第18話 かわいそうなタコ
夢を見ていた。
小さい自分と、赤毛の少女。少女に嗜められながらも水辺で遊んでいたガリアは、藻に足を滑らせて転んでしまう。ひざ丈ほどの水辺で転べばどうなるかは明白で、なにが起こったかも理解できずにジタバタともがき続ける。鼻や口に水が入り込む仲で、少女が必死の形相でガリアを引き上げていた。
「ガリア!? 大丈夫!? ガリア!?」
懐かし声だ。
何度も何度もその名を呼ぶ、ガリアと同じ赤毛の少女。ああ、この女の子は一体誰だったか。
靄がかかった過去の記憶に、新しい記憶が覆いかぶさっていく。
「ガリア! ガリア!」
相も変わらず、女の声がガリアを呼ぶ。
夢にしては、あまりにも脳に声が響く。それにこの声は少女のものではない。最近巡り合った、透き通るようなこの声は――
※
メライアに揺さぶられ、ようやく目が覚めた。ガリアを揺さぶるのをやめ、ほっと一息つく。
「ようやく目を覚ましたか」
思っていたのと似たようなことを言われ、ガリアは苦笑した。
ここは港町から少し離れたところにある無人島だ。
気を失っていたのになぜ覚えていたかと言うと、流れ着いたあとにカルドから降りようとしたところで気絶したからである。景色がぐんと動いた記憶があるので、恐らくこびりついた海水で脚を滑らせて頭を打ったのだろう。
キルバスの攻撃を受けて海に落ちた二人の機体は、荒れた波に流されて無人島に漂着した。レギンレイヴは無事だったが、カルドはもう駄目だ。かろうじて無事だった両足の関節は、波に揉まれて崩壊していた。もはや立つことすらままならない。
「さて、目が覚めたのはいいんだけどどうやって帰ろうか」
少し離れたところに見える港町を眺め、メライアは言った。先程破壊した結婚式場を目視できる程度の距離ではあるが、自力で移動するのは困難な距離だ。耐水装備のVMがあれば話は違うのだが、生憎こんな任務に耐水装備を持ち込む道理はなかった。
「泳いで帰るには遠いしなあ」
呑気に彼女はそんなことを言う。そもそもガリアは泳げない。せめて飛べるタイプのVMであれば……と、あることを思い出す。
「式場にレギンレイヴを呼んだアレで帰れないのか?」
メライアがレギンレイヴを呼んだ時は、次元の壁を突き破って現れた。あの能力があれば、戻ることなど容易ではないのか。
すると彼女は苦笑する。
「あれはサモアドラゴンの力だから。私の居るところに召喚するしかできないんだよね」
ドラゴンクラスは文字通りドラゴンをベースに造られたVMだ。特徴として、素材となった強大なドラゴンの力を行使することができる。
「サモアドラゴンは太古に魔術師が眷属として生み出した人造ドラゴンでね。主の声が届けばどんなところにも現れるんだ。まあ、今は誰にも作れないんだけど」
人造ドラゴン……そういうのもあるのか。見聞が広がった気がする。状況は変わらないのだが。
「でもどうするかな。それ以外に本当になにも思いつかない」
このままここで朽ち果てるならば得た知識も無駄になってしまう。どうにかしてここから脱出できないかと知恵を絞るが、ガリアはバカなので現実的な案が浮かばなかった。
メライアは波の動きを眺めながら呟く。
「潮の動きが激しい……船を作っても漕ぎ出すのは現実的じゃないな……」
ないなら作ればいい……というのは確かにあるだろう。しかし船が駄目なら後は駄目だ。メライアも似たような結論に至ったのか、何もかも放り出したように地面に見を投げ出す。
「これはお手上げだ。助けを待つしか無いと言いたいところだが……こんなところに助けが来るとも思えない。呼ぶ手段もないしな……」
ここは寂れた港町の、更に外れの無人島。都合よく誰かが通りかかるような道理はない。
「これは駄目そうだな……」
彼女は呟くと、ガチャガチャと擦れる甲冑を脱いでインナー姿になった。緩めの黒いタンクトップに同じ色のスパッツ。マジータちゃん特製のインナーは、汗で湿っても不快にならないよう魔法繊維を編み込まれているらしい。
「業務を遂行できないのは心苦しいが、仕方がない。覚悟を決めるか」
見知らぬ土地で惨めに飢え死ぬぐらいならと、自決でもするつもりなのだろうか。恐る恐るガリアは訊ねる。
「覚悟ってなんだよ」
ガリアの問いに、彼女はさも当たり前のことのように答えた。
「状況が変わるまで、ここで暮らすってことだよ。……君が一緒なら、退屈はしないだろうし」
なにもかも投げ出して、ここで暮らす。
あまりにも彼女らしくない言動に、ガリアは息を呑んだ。無人島で美人と二人きりで暮らすのは悪くない……いやむしろ好みの女性であるところのメライアが相手であれば、嬉しいとまで言える。しかし、そうじゃない。言い知れぬ違和感がガリアの胸中に湧き上がる。彼女は早々にこんな判断を下すような人間ではなかったはずだ。
「いや――」
――「それはおかしいだろ」……続く言葉を、ガリアは胸に押し止める。
代わりに思い出したのは、早口で捲し立てるマジータちゃんの姿だ。
――『あと、疲れてたり寝起きだったりすると判断が雑になる。夜中の襲撃とか、所属も確認しないで燃やしちゃったりね』
ああ。きっと今、彼女は物凄く疲れている。ここまでの長旅もそうだし、業務一日目にして奇襲を受け、ギガトンクラスとドラゴンクラスを相手取った。それから海を放流し、部下は足を滑らせて気絶。そのうえ仕事はちっとも終わっていないのだ。心も体も疲れているに決まっている。
これもまた、紛れもない彼女の側面のひとつだ。疲れが溜まるといろいろなことが面倒臭くなる。彼女もガリアと同じ一人の人間なのだから、そんなことだってあるだろう。だから今は疲れた彼女にそっと寄り添い、支えるべきなのだ。
さりとてできることなどなにもないのだが。
少しでも、彼女の心労を減らすことはできないだろうか。帰る手段を提供できない以上、目下最大の悩みのタネは潰せない。であれば、小さな負担から取り除いていくしかないだろう。
とりあえず、少しでも難しいことを考えずに済むようにしなければ。
そこまで考えて、ガリアは言葉を選んだ。
「……そうだな。とりあえず、まずは飯でも探してくるよ。昼食ってないから腹減った」
同調しつつ、課題は肩代わりする。なによりガリアの空腹が限界近い。
どうやら気絶している間に相当な時間が経っていたようだ。天頂近かったはずの陽光はすでに大きく傾いていて、空を茜色に染めている。そろそろ食料を調達しないと、暗くてなにも見えなくなってしまう。
立ち上がったガリアは周囲を見回す。女王の陰ながらの支援があったとはいえ、ゴミどもの楽園ことスラムで食料が不足することなどざらにあった。それはまさに生きるすべを磨くのにうってつけの試練だ。なにが食べられるものなのか、探し当てるのは得意だった。
しかしメライアは呑気なものだった。
「そうだね。私もお腹が空いたよ。でも、今日は困らないかな」
言うと彼女は立ち上がり、駐機姿勢をとっているレギンレイヴの腕を軽く持ち上げた。どこかの関節からタコが落下し、潰れたような水気の多い音をたてる。
死んでるのか生きてるのかすらよくわからないタコを持ち上げ、彼女は言った。
「気づいたらはさまってた」
可哀想に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます