第19話 サンライズ島

 ちりちりと焼ける木材の匂い。クシ代わりに刺している木の枝には、今にも赤々とした火が燃え移りそうだった。

「そろそろ焼けたかな」

 色の変わったタコの具合を見ながら、メライアは言う。火から外すと、食欲をそそる香ばしい匂いがあたり一面に漂った。

「はい、めしあがれ」

 ガリアはタコの足にかぶりつく。独特の風味と食感が、ガリアに未知をもたらした。

「うめえ!」

 メライアは得意げに頷く。

「そうだろうそうだろう」

 無人島とは言え、衣食住が整っていれば悪くはない。むしろスラムの暮らしより上等まである。住は最悪ないしな。

「風が強くなってきた。早めに洞窟を見つけられてよかったよ」

 インナーだけでは涼しかったのだろう。彼女は甲冑からマントをはずして薄手の毛布代わりにしている。人気のない夜は暖になるものもなく、洞穴の外では冷たい風が吹いていた。

 住はしばらくこれでいい。衣も、まあいいだろう。しかし食はタコが尽きればおしまいだ。

「明日からは継続的な飯の確保か……まあ、最悪木でも食えばいいだろ」

 ガリアがボソリと呟くと、メライアはドン引きした。

「えっ、木は……食べないだろ、普通。固いし」

 彼女はまだスラムを知らない。教えてやろう、これがスラムの食生活だ。聞いて驚け。

「知らないのか? 限界までふやかすと食えるんだ。床板とかも洗えば食える」

 ガリアは大真面目に言ったのだが、彼女には響かなかったようだ。頭を抱え、苦い顔をする。

「……もし戻れたら、スラムへの食糧支援を強化するよう上申しよう」

 スラムでは食料が少ないので嫌々木を食べていると思われているようだ。否定はできないが、しかし代替食としての有用性は譲ることができない。ガリアはセールスポイントを必死に探した。

「天然モノは美味いんだぜ?」

 床板よりもやはり原木の方が風味が豊かだ。雑味も少ないし、なにより柔らかい。逆に雨水でふやかした壁材は死ぬほど不味かった。

 しかしメライアはガリアに半眼を向ける。

「木材に天然も人工もあるか」

 一蹴されてしまった。

「……このあたりに自生している植物なら、ある程度見当がつく。日が昇ったら少し調べてみよう」

「木だって植物だぞ!」

「そんなに食べたいのか!?」

 与太話はこれくらいにしておこう。かえって疲れそうだ。

 なにか気の利いた話題はないだろうか。彼女をちらりと見やる。黒いタンクトップの隙間から覗く白い肌のコントラストに、思わず息を呑んでしまう。音と視線で感づいたらしいメライアは、意地の悪い笑みをガリアに向けた。

「なんだ。気になるのか?」

 否定しても仕方がない。ガリアは開き直ってガン見することにした。

「そりゃあな」

 ラフな服装ではあるものの、凹凸の多いそのシルエットは衣服をすり抜けて自己主張している。端的に言うとすげえエロい身体だ。

「下手すりゃ一生このエロボディと一緒なんだよな……生殺しが過ぎる」

「不埒な……」

 モノローグで済ませたつもりが声に出ていたらしい。彼女は不機嫌そうに眉をひそめると、しかしすぐに思案顔になる。

「でもそうか……ここで暮らすというのはそういうことでもあるのか……」

 言うと、今度は品定めするような視線をガリアに向けた。やめてくれ、俺にだって選ぶ権利はある。いや他と比べても選べるなら選ぶけど。

 しばらく見つめられて、ようやく査定結果が出た。

「……まあ、一人で死ぬぐらいなら君が居たほうが良いかな」

 それはアリなのかナシなのか、あるいは比較的アリのような妥協の末の結論だったのか。期待しすぎても辛いだけなので、この生活が続くようならワンチャンあるだろう、ぐらいに考えておく。

 そんなガリアの思案を知ってか知らずか、言うだけ言って、彼女はそっぽを向いてしまう。試しに追求の視線を向けてみると、拗ねたように彼女は言った。

「あんまりこういう話はしないから……違う話をしよう」

 要は色恋沙汰は慣れないということだ。ガリアも別に慣れているわけではないので構わないが、さりとて話題があるわけでもない。

「そうだな……女王陛下の話でもしようか」

 こういった状況で、自分から他の女の話を切り出す女というのは珍しいのではないだろうか。なるほどツッコミ待ちなのだろうか。

「他の女の話はしないで!」

「君が言うのか!?」

 ノリツッコミの後、彼女は咳払いして話を続けた。

「君はまだ騎士ナイトではないから、謁見したことはないだろう。そのうち騎士の位に就けるよう私から上申しておく」

「そもそも騎士ってなんだ」

 何人か他の騎士とも知り合ったが、彼女らの立場は千差万別。どうも業務内容やポストとはまた違った位付けに思える。

「陛下の加護を受ければ騎士。受けていなければそれ以外だ。騎士であるかどうかの他に階級もある。私は女王陛下付きの騎士だから少し違う立場ではあるけどね。あとは――」

 ガリアの問いに、彼女は楽しそうに答えた。こんな状況だと言うのに、嬉々として薀蓄を並べる。

「――まあ、いろいろあって覚えにくいとは思う。まずは自分の立場が私の部下であることだけ覚えればいいよ」

 気になって、だからつい、訊いてしまう。

「……話すの、好きなのか?」

 出会ってから今日まで、彼女は無知なガリアにいろいろなことを教えてくれた。どうでもいい情報も、仕事のことも、感謝してもしきれないようなことも。

 すると彼女はきょとんとしてガリアを見た。まるで毛ほども考えていなかったことを訊ねられたように蒼い瞳をぱちくりとさせてから、少し考えるように腕を組み、瞑目する。

「あまり意識したことはないかな。多弁な方でもないと思うし……」

 考えながら話しているのか、片目だけ開いて彼女は言った。優しい瞳に吸い込まれそうで、ガリアは息を呑んだ。

「まあ、君はちゃんと聞いてくれるから話し甲斐があるよ」

「それは……どうも」

 いい雰囲気になったが、この後普通に交代で見張りしながら寝た。



 というわけで最後の見張り番である。夜の帳は拭い去られて、空はすでに白んでいた。朝と夜の境に漂う独特の空気の中で、ガリアは深呼吸した。

 結局危険な野生動物などは居なかったし、輸送船の類も通らなかった。明日から見張りはいらないかもしれない。

 あまりにも暇なので、少し探索することにした。洞穴から離れすぎないように、海辺を歩く。

 するとどうだ。昨日はなかった足場があるではないか。隆起した砂地が、潮の満ち引きで表出したのだ。見れば、かなり長く、陸地の方へと続いている。

 これ帰れるだろ。

 すぐにメライアを起こしに行った。エロい寝姿も一晩で見慣れたので動揺せずに起こすことができる。

「おい。帰れるぞ」

「どうしたんだい、まったく……」

 例の足場を見せると、彼女は驚愕した。

「えっ帰れるじゃん!」

 この後普通に歩いて帰った。



 役所に入るなり外泊を冷やかされたので、メライアは頬をほんのり染めながら否定していた。経緯を訊いた受付のおばちゃんは、楽しそうに話してくれる。

「あの島はね、サンライズ島って言って有名な新婚旅行スポットなんだよ」

 三日に一度、一帯の潮の引きが強くなり隠された通路が姿を現す。前日に式を挙げた男女は徒歩で島に向かい、ちょうどガリア達が新色を共にした洞穴で三日三晩ヤりまくるらしい。

 最後に水平線に浮かぶ美しい朝日を眺めながら、手を繋いで島を去るのが定番なんだとか。

 要するにあの部屋はカップルのヤリ部屋だったのだ。

 それから三日間、微妙な気まずさの中で査察を終え、帰りの馬車でこのことは忘れようと二人で約束した。

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