ガリアⅡ(セカンド)
第6話 クラーケン
見慣れない天井は、昨日の出来事が夢ではなかったことをどこまでも雄弁に語っていた。
柔らかなベッドで寝返りをうち、周囲を見渡す。ガリアには似つかわしくない、整頓された部屋だ。忍び込んだ空き家でも、路地裏の日陰でもない。生活空間として用意された部屋と、寝床として用意されたベッドだ。
人生が変わった。
と、不意に戸が叩かれる。スラムには便所以外の扉をノックする習慣がなかったので、それがなにを意味する音であるのか理解できなかった。しばらく経って、透き通るような声が戸をすり抜ける。
「ガリア? 起きているか?」
スラムなら扉を蹴破られていたところだ。丁寧な対応に、むしろ面食らってしまう。本当に世界が変わってしまった。
そんな変わってしまった世界へ心細さすら覚えるが、そこにひとつの清涼剤が舞い込む。
「なんだ、起きてるじゃないか」
扉を開けて現れたのは金髪碧眼の美女。昨日からガリアの恩人兼上司になったメライアだ。お近づきになれただけでも前の暮らしを捨てただけの価値はある。いや、そもそもスラムに未練などない。心細くもなんともないね。
「今日は朝から行軍だと言っただろう。早く支度してくれよ」
小言すらも愛おしい。声を聞くだけで空間の幸福度が上がるというものだ。さて、幸せ補給はこれぐらいにしておこう。ベッドから起き上がり、サクッと着替えようとして失敗した。服の寸法が合いすぎていて雑に着ることができないのと、そもそもガリアは着替えることに慣れていないのだ。
「じゃあ私は先に待ってるから。ASAP」
え、えーえすえーぴー……? とにかく意味のわからない言葉を残し、彼女は去っていった。
どうやら彼女はガリアの学力を買いかぶっているらしい。単語の意味を考えながら慣れない袖に腕を通し……しまった。今日は行軍だから私服じゃ駄目なんだ。これだから高貴な暮らしは面倒くさい。スラムに帰りたくなくもない。
いそいそと支給されたばかりの甲冑に着替え直し、集合場所である格納庫へ向かう。刺さったままの小骨が不愉快だが、構っている余裕はなかった。
格納庫ではメライアが不機嫌そうにしていた。
「まあ遅れるのは見越していたが……」
「俺は素人だからな。なにも知らん。そのつもりで指導してくれ」
彼女ははガリアを買いかぶりすぎている。このあたりで釘を差しておく必要があるだろう。俺様は初心者様だからなガハハハハ。
「こいつは……」
呆れたようにため息をつく。言うだけ言って満足したところで、隣の人影に気づいた。
「あれ、マジータちゃん?」
「おはよう少年」
鎧姿だったので気が付かなかったが、彼女は紛れもなく仕立て屋マジータちゃんだ。どうしてこんなところに居るのだろうか。
「私もこう見えてナイトなんだよ。ま、メライアちゃんほど偉くはないけどね」
説明を引き継ぐようにメライアが背後のVMを示す。
「今回の作戦には彼女も参加してもらう。水辺での戦闘はなにが起きるかわからないからね」
見慣れないVMだ。レギンレイヴやドラグリアンより防水装備のレベルが低いので、後方支援を主にするのだろう。得物は魔法の杖だろうか。マジータちゃんらしい。
「てなわけでよろしく少年」
「よろしく」
挨拶代わりに尻へと伸ばした腕に激痛が走る。なにかが触れたわけではない。ただ痛みだけがガリアの腕を貫いたのだ。小骨など比ではない、今すぐに腕を切り落としたくなる類の痛みだ。
ガリアが声にならない悲鳴をあげていると、彼女は微小を浮かべる。
「後ろに私がいるってこと、くれぐれも忘れないようにね」
これは警告だ。機嫌を損ねるようなことがあれば背後から刺す。こちらにはその準備がある、と。彼女はそう言いたいのだ。当たり障りない言葉の裏に真の悪意をはらませるのはアウトローの嗜み。悪人の流儀をよくわかっている。ガリアの気性も掴んでいるようだ。
「見境ないな、まったく……反省するように」
メライアが呆れ顔のまま便乗する。そういえば彼女の尻も触りそこねていた。
※
城下から港町まで、国を縦断する街道がいやに広いのは、必要に応じてVMを輸送するためのようだ。馬車に積まれた三台のVMは、歓声に包まれて海辺に運ばれた。
「情報によれば、クラーケンは二匹確認されているらしい。港のすぐそばまで接近することもあるらしく、気が向いたときに近くを通った船を襲っているとのことだ。そこで今回は……」
作戦はこうだ。
まずガリアが一匹誘き寄せ、足止めしている間にメライアとマジータちゃんでもう一匹を仕留める。それからガリアと合流し、二匹目も仕留める。ってゴリ押しじゃねーか!!
そんな作戦でもうまくいく。そう、ドラゴンクラスならね。
マジータちゃんのVM『ローズヴァイゼン』は重火力支援タイプ。レギンレイヴで翻弄し、
そしてこの作戦は、降って湧いたチャンスでもある。
「別に俺が殺してもいいんだろ?」
「できるものならね」
言質は取った。国の金で大型魔物相手に大暴れするチャンスだ。
これは乗ればわかるのだが、ドラグリアンの性能ははっきり言って未知数だ。国の把握しているスペックは表面上のものに過ぎない。身の振り方を考えるにしても、手札の把握は重要だ。
「それでは作戦を開始する。各員配置につけ!」
「ぶっ殺してやるぜぇ!!」
考えなしガリアは駆け出す。着込むタイプの防水装備の影響でシルエットが変わっているが、可動を極端に阻害するようなものではなかった。思う存分暴れることができる。
今回の役目は囮だ。暴れた方がいいに決まっている。
「さあ出てこいクラーケン!!」
ガリアが啖呵を切るのとほぼ同時に、海中から巨大な軟体生物が姿を表す。
その数――三。
三匹?
えっ。
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