第一章「顕現する黒歴史」

「――どわぁ!!」

 やっべえ。ひどい悪夢だった。いきなりファンタジー空間にいるとか今時のラノベじゃあるまいし、中二病時代を思い出すから悪夢以外の何ものでもない。まあ、夢だったからいいとする――

「ん?」

 うちの布団はこんなに寝心地が良かっただろうか。いや、そもそもこれベッドじゃね? 俺は敷布団派なんだが。……あれか、最近聞く高級ホテルのような病院か。じゃあナースコールのボタンが枕元に……枕でけえな!? ベッドの幅くらいあるぞ!? 大きさも人が三人余裕で寝られるくらいだし。

「……知らない天井だ」

 まさかこのセリフを現実で言う機会があるとは思わなかった。いや、まだ夢かも分からんが。とにかく起きて看護師さんか職員を探すか。

 と思い身体を起こした矢先、ノック音が聞こえた。俺が反応を返す前に扉が開く音が続き、人影が入ってくる。

「失礼いたします――」

 メイドさんだ。それもコスプレで見るような、スカート丈が短かったり胸元が開いていたりするそれではなく、ロング丈のスカートで、髪はまとめられていて、露出がほとんどない“メイド”だ。ぶっちゃけ、俺の性癖どストライクだ。

「え……あ! お目覚めになられたのですね!」

 そのメイドさんは俺と視線が合った途端明るい声を上げる。え、何。俺そんなにやばい状態だったの?

「あ、あのここは一体……」

 言いながら俺はベッドから出る。つーかやたら寒いなおい。股間も風通しが良いし――

「きゃぁああああああああああああ!?」

 全裸じゃん俺!? 道理で布団の肌触りが気持ちいいと思ったんだよ! 

「あ、お待ちください。お召し物をお持ちいたします。それと、お目覚めになられたことを殿下にお知らせいたしますね」

 俺の全裸と悲鳴にも全く動ぜず、メイドさんはそそくさと部屋を後にした。え、何……? 男の裸とか見慣れてるの? そういうサービスのお店? 俺未成年なんだけど。それとも俺の分身が視界に入らないほど粗末とかそういう話? 泣くぞ?

 結局全裸で突っ立っているのもまずいので、ベッドに戻った。あったけぇ……。これ羽毛布団だよな? この大きさってどれだけ金かかってるんだ。小市民には想像するだに恐ろしい。

 しばらくすると再びノックの音と共にさっきのメイドさんの声が聞こえた。

「失礼いたします、“黒曜”様。お召し物をお持ちいたしました」

「あ、ハイ。どうぞー」

 なんだかついかしこまってしまう。向こうの対応を見る限り俺は賓客扱いっぽいけど。……“黒曜”?

 俺の言葉の後にメイドが入ってくる。さっきは顔を見る余裕がなかったが、改めて見ると美少女と呼ばれるような部類だと思った。歳は俺とそう変わらなさそうで、背は少し低め。まとめてあるから長さは分からないが、髪は黒。瞳は茶色がかった黒。全体的にアジア人っぽいが、物腰は全くそれらしくない。

「お着替え、手伝わせて頂きますね」

 あ、ハイ。お願いしま――

「いやいやいや! 大丈夫です! 一人でできますんで!」

「え、ですが殿下からお手伝いするよう仰せつかって――」

「殿下? には後で俺から言うから! 分からないところあったら訊くから!」

 びっくりした。あまりにナチュラルに服を持ってこっちに来るから返事しかけた。

「……かしこまりました。では、こちらに控えておりますので、何かございましたらお申し付けください」

 メイドは少し悩んでから、頷いて扉の前に立った。良かった。これで着替えられ……

「あの、そこでこっち見られると、着られないんだけど」

 出ていくのかと思ったら待機とは。やっぱりそういうサービスのお店なの? いや俺そんな性癖はないんだけど。

「? 見ていませんとお手伝いにあがれませんので」

 あれか、羞恥心がないのかこの子は。というか。

「さっきから“黒曜”って、俺にはちゃんと名前が――」

 ――あれ?

 思い出せない。自分がごく普通の高校生活を送っていたこと。中二病時代のこと。家族のこと。全て思い出せるのに、家族や親戚も含めて、「名前」に関することだけはすっぽり抜け落ちている。代わりに“黒曜”という中二病時代の二つ名が浮かぶ。まるで自分が最初からそのような名前だったかのように。

「――と、とにかく! 見られてると着替えられないから、向こう向いてて!」

 違和感が酷いが、今は羞恥心が優先だった。納得のいかない顔をしているメイドを押し切って、背中を向けてもらう。

 よし、これで全裸から脱却だ。ここまで全裸でやっていたと考えると色々悲しくなるが後の祭りだ。

「ってこれは――」

 キャスター付きのハンガーラックに架かっている服を見て、俺は苦笑いするしかなかった。


 着替えを終えると俺はメイドに「殿下」のいる部屋の前まで案内された。途中、廊下はアニメや映画でしか見ないような長さと装飾だった。鎧飾ってる施設なんて美術館ぐらいしか知らなかったぞ俺。

「殿下、“黒曜“様をお連れいたしました」

「通して頂戴」

 扉の向こうから鈴のような声が聞こえる。メイドさんがそれに応じて扉を開く。促されるまま、俺もその中へ入った。

 部屋は広めの書斎のようだった。壁は全て本で埋め尽くされ、窓も含めた光源は最低限。そして正面の机には女の子が座っていた。おそらく彼女が“殿下”だろう。女の子は俺の姿を認めるや否や、立ち上がり声を発した。

「お初にお目にかかります“黒曜”様、私はリンディス・イリディウス。この国の王女です」

 リンディスと名乗ったその子は俺の方に歩いてくる。絹糸のように薄い金色の髪と、宝石のような翠の瞳。身長はそんなに変わらないかな。ただ、“王女”と名乗った割にその恰好はいわゆるお姫様らしいドレスではなく、軍人の礼服のようだった。

「申し訳ございません。今は有事のため、このような恰好なのです」

 俺の視線に気が付いたのか、リンディス……様?は少し恥ずかしそうに微笑んだ。いや、それはそれで好きなんで大丈夫です。って違う。

「あの……状況が全く飲み込めないんですが」

 目が覚めてからここまで、何の説明もない。ここが病院やいやらしいお店じゃないことは分かったが。

「ああ、申し訳ございません。確かに説明が先ですね」

 言うと、リンディス様は部屋の隅にあるソファに向かった。小さな円卓を挟んで二つ並ぶそれに俺たちは座ると、話を再開する。そこにタイミングを合わせてメイドさんが紅茶を用意してくれた。

「まず、ここはあなたが住んでいた世界とは異なる世界です」

 ――うん、そんな気はしてた。正直今も夢だと思っているけど、状況があまりにもテンプレだったから。じゃあ、どうやって俺がここに来たかというと。

「私たちはある魔導書の断片を用いてあなたを召喚したのです」

 それがこれです、とリンディス様が取り出したのはA4サイズの紙。待って、それめちゃくちゃ見覚えがあるんだけど。

「伝説の英雄“黒曜”とその戦いが記された魔導書。その一項です」

ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?

 思わず叫びたくなったが何とか真顔を保った。代わりに大量の脂汗が顔を覆い、全身の肌が粟立った。

 それは間違いなく“†ダークネス戦記†”の一部だった。それも“黒曜”こと俺自身の設定について事細かに書かれているページだ。リンディス様は俺の黒歴史の一部を大事そうに持ち、説明を続ける。

「その魔導書は元々我が国で厳重に保管されていたのですが、ある時王室直属の魔術研究所で研究をすることになったのです」

 なんてことを……

「当時は誰も問題視しませんでした。厳重に保管されていたとはいえ、あくまで異界の存在を召喚する触媒になるだけなので、召喚さえしなければ、と」

 あー何となく思い当たる奴がいる。“†ダークネス戦記†”には確か本自体に封印された敵が何体かいるんだよ。

「その項を開いた瞬間、研究者たちはそれが危険なものだと理解しました。しかし封印は解けかかっており、再封印の方法を調べる間もなく、それらは解き放たれてしまったのです」

 言わんこっちゃない。いや、俺はその場にいないからどうしようもないけど。人の黒歴史暴いたりするからそんなことになるんだよ。

「封印から解放された闇の軍勢は魔導書を奪い、城を蹂躙し始めました。その際の戦いで、国王や私の兄も斃れました」

 リンディス様は悔しそうに拳を握り、肩を震わせた。……ノートを開いたのは彼らの責任だけど、そんな顔をされると責任を感じてしまう。

「しかし兄の決死の攻撃によって、“黒曜”様の項だけを取り戻せたのです。そして戦いのさなか、兄は私に魔導書の一部を託し、息を引き取りました」

 だんだんと今の状況が現実味を帯びてきた。リンディス様の話し方はひとつひとつが真摯なもので、彼女が嘘をついているようには思えない。

「その後敵はなぜか撤退し、国境領の都市に向かいました。けれどそれからが、災厄の始まりだったのです」

 思ったより状況はまずそうだな。まあ、俺が召喚されたときの景色があれだから、当然か。

「はい。黒曜様もご覧になられたかと思いますが、今我が国は内乱状態なのです。それも、先に申しました国境領の領主が反乱を起こすという形の」

「じゃあ俺が召喚されたのは――」

「はい、国境領軍との戦闘のさなかです」

 なるほど、だからお姫様が軍服着てるわけか。ようやく繋がってきた。だけどそれならそれで別の疑問が湧く。

「内乱状態って割には、静かですね?」

「はい、向こうも簡単には攻め落とせないと分かっているのでしょう。少しずつk地らの戦力を削ぎ落すつもりのようです」

「なるほど。ではもう一つ。領主は以前から反乱の素振りを見せていましたか?」

「いいえ。そもそも国境領は王弟リカルド、叔父上が治めていました。叔父上は王族にも関わらず、貴族に身分を落としてまで国防に力を入れた方です。本来このようなことはありえません」

 オッケー理解した。今回の敵の正体は「覚えている」。ノートがなくても記憶に敵の能力は刻んでいる。忘れたくても忘れられないから“黒歴史”なんだ。

「分かりました、リンディス様。まずはこの状況を、俺が何とかしてみせます」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界『†ダークネス戦記†』転移譚 門松明弘 @kadoma2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る