雪が降る
俺は電車を待っている。
空から雪が降ってきて、地面に落ちて溶けていく。
人は少ない。誰も、何も言わない。
《黄色い線の内側にお下がりください》
アナウンスが聞こえる。
あの線を飛び越えた先には何があるんだろう。恐怖?痛み?それとも安らぎか?
電車が来た。シルバーの巨体が近づいてくる。
やけにライトが眩しかった。
気付くと俺は電車の座席に座っていた。
あたりに人は少ない。
小太りの、スーツを着た中年男が立って電話をしている。
マフラーを首に巻いた中学生ぐらいの少女が座席に腰を下ろし、ぼぅっとしている。
俺は車窓から外を見た。雪はかなり積もっていた。
中年男は電話を終えた。何だか凄くいらいらしているように見える。
電車はトンネルに入り、また外に出る。
雪はだんだん激しくなっていった。
「騒がないでね」
電車は無人駅に停車した。小学生らしい男の子と母親らしい女性が乗り込んでくる。
二人は少女の隣に座った。
母親は騒ぐなといったけど、男の子はおとなしかった。
電車が動きだし、男の子はしばらく外の景色を見ていたが、母親が「勉強は?」というとバッグを探り出した。
俺はしばらくうつむいた。まだがさがさと探る音が聞こえる。
顔を上げると男の子はバッグを逆さまにしていた。
忘れちゃったんだ。
母親が気付いた。
「単語帳は?」
「えっと……」
「忘れたの!?」
「うん……」
母親は大きくため息をつく。
「あんたやる気あんの?なんでもかんでも忘れたり、無くしたり」
「……やる気は……あるよ」
「なんて?」
男の子は口をつぐんだ。
俺は気分が悪くなったけど、立ち去ることが出来ない。
視線をそらすと少女がじっとこっちを見ていることに気づいた。
雪は吹雪になっていた。
少女は足をぶらぶらと揺らし、中年男は何故か座らずに壁にもたれかかって携帯をいじっていた。
「お手洗い、行くから」
母親がそう言って、やっと顔を上げた男の子は、深く頷く。
「……はい」
母親はすたすたと、不機嫌を体全体で表しながら、隣の車両に消えていく。
しばらくして少女が口を開いた。
「お母さん、嫌い?」
男の子は驚いて少女を見た。
「……知らない人とは…」
「喋っていいよ」
少女は俺を指さして
「あのお兄さんの方がよっぽど怖いよ。ずっとこっちみてるもん」
俺は少し慌てた。
「いや、俺は違うよ」
「ヘンシツシャじゃないの?」
「違うよ」
「なら良かった」
少女はあっさり身を引いた。中年男はまだ携帯を触っている。
「お母さん、嫌い?」
同じことを男の子に聞く。
「……僕が悪いんだよ」
「悪くないよ」
「母さんは嫌いになっちゃだめなんだよ」
「なんで?」
「なんでだろう……」
しばらく男の子は黙った。
また沈黙が訪れた。
俺は奇妙なことに気がついた。
母親が帰ってこないのだ。
「ね、あのね、好かれようとしなくていいんだよ」
少女は口を開く。
「そんなことしてたら息苦しいだけだよ」
少し間をおいて男の子は頷く。
外の雪は少しおさまってきた。
「あと三駅で降りるんだ」
男の子は言った。
ぷしゅーと音がしてドアが開く。
男の子は少女にさようならと言って俺の座っている方のドアへと向かう。
男の子は俺の横でふいに立ち止まった。
「じゃあね」
俺はぽかんとして彼を見た。
何だかひどく大人びて見えた。
男の子が電車を降りて、かなりの時間が過ぎた。
「あー、くそ!」
中年男はイライラして声を上げた。
電車は再びやって来た吹雪によってついに止まってしまったのだ。
「急がないと、やばい」
中年男が呟いた。
「降りるんですか?」
「あ?」
「降りるんですか?」
ダメだっって、イライラしてるやつに話しかけちゃ。
「仕事があるんだよ」
「凍え死んじゃいますよ」
「うるさい!」
中年男は車窓を割った。手の甲から沢山血がでた。
「ガキにはわからないんだよ」
そう言って中年男は割れた車窓から飛び出す。
線路をつたって走っていき、やがて見えなくなった。
列車はまだ発車しない。
割れた窓から雪と冷たい風が入り込んでくる。僕は隣の車両に移ろうと立ち上がる。
「行かないでください」
少女が言う。
そんなこと言われても、吹雪が入り込んでるじゃないか。
僕は割れていた窓をみる。
何故か、窓は元通りになっていた。
僕はまた同じところに腰かける。
「どこ出身なんですか?」
少女が尋ねる。
「僕は……県境の小さな町だよ。どうしようもないくらいの田舎」
「奇遇ですねぇ、わたしもです」
列車が動き出す。吹雪はおさまったらしかった。
「あと二駅で終点ですよ」
少女はそう呟いた。
列車は音をたてて停車する。
僕がドアの前に立つと少女も隣に来る。
僕らは外に出る。ホームには誰もいない。
ポケットを探り、切符を忘れたことに気付く。
「大丈夫ですよ、無くても通れます」
少女はトントントンと階段を降りていく。僕は滑らないようにゆっくりと歩いたが、「早くしてくださーい」と言われて、急いだ。
少女は軽々と改札を通り抜ける。
向こう側で僕を待っているので、勇気を出して通り抜けた。
「ほら」
「確かに」
僕はあたりを見渡した。
銀世界だ。
小さな商店、赤いポスト、僕等の前にのびる道まで、すべてが白く染められていて。
でも空は真っ暗な闇で、それでも小さな星たちが煌めいていて。
僕はなんだか、寂しいような、懐かしいような、変な気持ちになる。
「雪ってなんか好き。世界を別人にしてくれるから」
少女はそういうと積もりに積もった雪にダイブする。
そして雪玉を作って僕に投げつけてきた。
「こんにゃろ、こんにゃろ」
僕は結構痛い雪玉をくらいながら昔を思い出した。
小さい頃、朝起きて雪が積もっていた時の感動、兄弟で雪合戦をした思い出。
いつから僕は雪が積もっても、雪合戦をしたいと思わなくなったんだろう。
「投げてきてよ」
少女の一声で我に返った僕は雪玉を作ろうとして、気づいた。
手が小さくなっている。
僕は子供になってしまったのだ。
少女の方を見る。彼女も背が低くなっている。
「ふふ」
少女が走って逃げて行ってしまう。
「待ってよ」
結構すばしっこい。僕はそんなに速く走れるわけでもないから中々追いつけない。
どこにいくんだろう。どこに僕をつれていくんだろう。
息があらい。僕は民家の前に辿り着いた。
僕の家だ。もう何年も帰ってない家。僕が育った家。
涙が出てくる。必死にこらえて玄関のドアを開けた。
家の中は真っ暗だ。
閉まるドアの音に驚く。
僕は、霊感はなかったけど、家に何かいるとずっと感じていた。
だから闇の中で、ひとりでいるのは、とてつもなく怖かった。
僕は照明のスイッチを押す。つかない。そうだろうなぁとは思っていたけど。
「どこにいるのー?」
僕は声を出す。何も返ってこない。返ってきても怖いけど。
家の中を散策する。小さい頃のままだ。
僕の背がキッチンの高さより高くなって感動していた母の言葉とか、押し入れを改造して作った秘密基地とか、あの頃のままだ。
二階に上がる。悪夢にうなされた寝室とか、兄と屋内サッカーをして怒られた洋間とか。
廊下の突き当たりに鏡がある。大きな鏡だ。小さい頃は少し不気味に感じていた鏡。
「あ」
鏡の中に少女がいた。
「やあ、探したよ」
僕は手を振る、彼女はなぜか同じ動きをする。
僕は手で鏡に触れてみる。同じ動きをした彼女の、指の冷たさが伝わる。
そうか、そうなんだ。
僕はそっと唇を鏡につけた。
世界が割れるような音がした。
僕は満点の星空と、真っ白な雪が降り積もった大地とのはざまで、少女の両手を握っている。
いつか見た、スカイダイビングみたい。でも、僕等は自由落下なんてしていない。
僕等は世界にたったひとり。
「君は僕なんだ」
少女は首をふる。
「わたしが君なんだよ」
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