第9話
「……歳星さんは」
そんな歳星を見て、ころなは静かに口を開く。
「歳星さんはどうして、ファクターを続けようと思ったんですか?」
俯きがちだった顔を上げて、ころなは歳星に問いかける。
「だって歳星さんは、きっと辛かったはずです。諦めても仕方ない……ファクターを辞めたって、誰も歳星さんを責めたりなんかしないと思います」
それでも、ところなは歳星を見据えた。
「それでもこうしてファクターを続けているのには、何か理由があるんじゃないですか?」
「そんなこと……もう覚えてない。とっくに忘れたよ」
歳星はハッと目を見開くが、すぐに目を逸らしてしまう。
「わたしには、分かります」
ころなはフッと笑みを漏らすと、優しい声で言葉を続けた。
「好きなんですよね、この仕事が? 怪人から街を守って、市民の命を助ける大切な仕事が。そして――きっとそんな歳星さんのことが、環ちゃんは大好きだったはずですから」
信じられないものを見るかのように、歳星は顔を上げてただ唖然としていた。
「どうして……どうして、お前にそんなことが分かる?」
ベッドの上で眠る環に視線を向けると、脳裏には在りし日の光景が駆け巡っていく。
『環ね、お兄ちゃんが大好き! だって、みんなを守ってくれる自慢のヒーローだもん!!』
仕事で滅多に顔が合わせられなくても、家のことを任せきりでも、何一つ兄らしいことをしてやれなくとも。環は歳星のことが大好きだった。
本来ならば、恨んでいてもおかしくはない。少なくとも、歳星自身はそう思っていた。
でも、環は兄である歳星を慕っていた。それは何故か?
「だって――あの時の歳星さん、とってもカッコ良かったですからっ」
弾けるような笑顔を浮かべて、ころなは問いに答えた。
その表情からは尊敬や憧憬、彼女が胸に抱く輝かしい感情が溢れている。
「歳星さん。わたしは三年前のあの日、この街にいたんです」
胸に手を当てて、ころなは静かに語り出す。
「あの時、まだ小学生だったわたしは、怪人の襲撃を受けて炎の海に包まれていました」
当時の惨状を思い出すと、ころなは今でも胸が苦しくなってくる。
四方を炎の壁に囲まれて、肌はひりつくように熱く焦がされる。
空気すら炎によって熱を帯び、呼吸をする度に喉が焼けるように痛かった。
まさに地獄と称するに相応しい光景、少なくともころなはそう感じていた。
「それまで特に夢とか、将来なりたいものがなくって、漠然と生きてきたわたしでも、死んじゃうかもしれない……そう思うと、すごく怖かった。もう、わんわん泣いてました」
たはは、と気恥ずかしそうに苦笑を漏らすころな。
「でも、わたしを助けてくれた人がいたんです。その人は一瞬で炎の壁を吹き飛ばして、ただ泣いてることしかできなかったわたしに手を差し伸べてくれたんです」
あの時の光景をころなは、今でも鮮明に覚えている。
ただ死を待つしか無かったころなの前に、炎の壁を打ち破って颯爽と現れた姿――
泣き喚くころなに歩み寄り、差し伸べられた手の感触は生涯、忘れることはないだろう。
「その人は魔法少女でした。彼女の名前は――アルテミス」
ころなが告げた言葉を聞いて、歳星は目を見開く。
三年前のあの日、ころなと歳星は確かに会っていた。
当時は助けられる側と助ける側だったが、ころなは歳星と対等な立場へ辿り着いていた。
「あの後、わたしは魔法少女を目指し始めました。あの時のアルテミスみたいに、助けを求める誰かの力になりたい。助けてもらったお礼をしたい。そう思うようになったんです」
三年前の出来事は、ころなの人生を大きく変えた。
訪れた転機が良いものであるのか、悪いものであるのか、それは誰にも分からない。
ただ少なくとも、ころな自身は喜ばしく思っていた。
「だから……だからね、歳星さん」
その夢を与えてくれた歳星に、ころなは微笑みかける。
「今のわたしがあるのは、あなたのおかげです。あの時わたしを助けてくれてありがとう」
魔法少女としての自分があるのは、歳星によるものなのだと感謝の気持ちを伝える。
「だから今までやってきたことが、何の意味も無かったなんて……そんな悲しいこと、言わないでください。歳星さんがそう言っても、わたしの気持ちは変わりません」
彼が今まで救ってきた何千、何万もの人々もころなのように感謝をしているだろう。
それは魔法少女アルテミスが、八咫歳星がファクターとして、刻んできた軌跡なのだ。
例え歳星自身がそれを否定しようとも、彼に救われてきた人々の気持ちは変わらない。
「天道、お前は――」
ころなの独白を聞いて、歳星はどんな言葉を返せばいいのか分からなかった。
最初はやる気が空回りしている少女だと思っていた。
直向きではあるが、不器用。肩の力の抜き方を知らず、周囲と軋轢を生んでいる姿を見て、何が彼女をそこまで突き動かしているのか歳星は口には出さずとも、疑問に思っていた。でも、その疑問がようやく解ける。
自分の命を救ってくれた魔法少女に、天道ころなは心の底から憧れている。
その輝かしい想いが、今までの彼女を突き動かしていたのだ。
「わたしと歳星さんは、きっと同じ高みを目指しているはずです」
ころなは歳星の目を真っ直ぐに見て、確かな意思を感じさせる瞳で語りかける。
「わたしはアルテミスみたいに、誰かを救えるような魔法少女になりたい。歳星さんは環ちゃんが大好きだった、立派なファクターで在り続けたい……ほら、目的は一緒ですよね」
どこか照れくさそうに夢を語ると、ころなははにかみながら歳星を見る。
その表情に込められた意味を感じ、歳星は呼吸すらも忘れてころなの顔を見入っていた。
「だから、わたしに力を貸してください。わたしには、歳星さんが必要なんです」
ころなは万感の思いを込めて、歳星に自らの想いを告げる。
かつて命を救ってくれた恩人に、今のパートナーである相棒に、心からの想いを伝えた。
「俺は――俺には、そんな資格は……ない」
しかし、歳星は再び目を逸らしてしまう。
このままでは、過去の繰り返しではないのか?
また自分は輝かしい想いを抱いた少女の未来を潰してしまうのではないか?
過去の失敗が、払拭できない罪の意識が、彼を臆病にさせる。前への一歩を拒ませる。
「大丈夫ですよ、きっと」
そんな歳星の苦悩を断ち切ったのは、ころなの言葉だった。
「二人でなら頑張れます。今度は歳星さんだけが抱え込むんじゃなくて、わたしも頼ってください。わたしたちはコンビですから。良いことも、悪いことも、分かち合いましょう」
二人でなら――それは歳星にとって、久しく考えていなかったことだった。
セレナとコンビを解散して以来、彼はいつでも一人きりだった。
自分の復讐のために力を求め、全ての想いをその身に抱え込んできた。
己の身の上について語ったのも、ころなが初めてだったことに歳星は気付く。
「天道……俺は――」
歳星は躊躇していた。果たして自分は、差し伸べられた手を取る権利があるのか。
目の前の人物は、こんな自分の過去も受け入れてくれる。
苦悩や葛藤、懊悩や煩悶をも理解して、あまつさえ肯定してくれるという。
それはこれまで孤独に戦ってきた男が、初めて他人に心をさらけ出した瞬間でもあった。
「歳星さん。二人で立派な正義の味方になりましょう。わたしたちなら、それができます」
震えている歳星の手を取って、ころなはニッコリと笑いかける。
「…………」
やんわりと手を握られ、歳星はころなの顔を見つめていた。
年相応のか細い指は、冷え切った自分の無骨な手を包み込んでいる。
その温もりを感じると、彼はついに一つの決断を下した。
「……いいのか、俺の指導は厳しいぞ?」
ぽつりと漏らした呟きを聞くと、ころなは一気に表情を輝かせていく。
「――はい! わたしにできることなら、なんだってやってみせますっ!!」
弾けるような満面の笑顔で、ころなは精一杯の声を上げた。
彼女の真摯な想いは、固く鎖された歳星の心へとついに届いたのだ。
「それと俺たちは対等なパートナーだ。これから敬語は禁止だ。俺のことは歳星でいい」
「えぇぇぇ!? そ、そんな……いきなり言われても、心の準備が……」
急な提案を聞いて、ころなは素っ頓狂のような声を上げて狼狽える。
「もう一度言うが、敬語は禁止だ。いいな、〝ころな〟?」
「あっ――」
歳星は今、自分たちを俺たちと言った。
ころなのことも今までのように天道ではなくころなと言った。
それは彼が本心から、ころなのことをパートナーとして認めたということだ。
「はい、じゃなかった――うん、分かった……よ?」
そんなころなを見て、歳星は満足そうに頷いて微笑む。
「じゃあ早速、明日の朝から特訓開始だな」
「えぇぇぇ!? 明日からです……じゃなかった。明日、から? しかも、朝からっ??」
「やることは山積みだが、まずは体力作りからだ。とりあえずこれから毎朝は走り込みだ」
「えーっと……ごめんなさい。わたし、朝はちょっと苦手で……」
「何でもやる、確かそう言ったはずだが?」
「うっ……それは……」
ころなはぐうの音も出ずに、項垂れて渋々と明日から始まる早朝特訓を受け入れた。
「改めてよろしくな、ころな」
そんなころなを見て、歳星は口元に笑みを浮かべて手を差し出す。
ころなは嬉しそうにその手を握り返すと、満面の笑みで答えるのだった。
「うん――こちらこそよろしくね、歳星っ!」
固く握手を交わすころなと歳星。
この瞬間から二人は、本当の意味でパートナーになることができたのだった。
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