第3話


「……決まり、かな」


 黙りこくってしまったころなを見て、呟く声が聞こえてきた。


 声の主は直子のファクターである佐々木哲夫(ささきてつお)のものであり、彼は静かに言葉を続けた。


「キャリアーとファクターが揃って初めて、魔法少女は変身することができる。だからキャリアーの直子君が辞めると言うならば、ファクターの僕も辞めざるを得ないからね」


 魔法少女は女性であるキャリアーと、男性であるファクターの二人が協力することで変身を果たす。言わば変身中は二心同体の存在で、決して一人では魔法少女にはなれない。


「僕も今回のコンビを最後にして、ファクターから足を洗おうと思っていたんだ。妻ともそういう約束をしていたからね」

「え……佐々木さん?」


 佐々木を声を聞いて、ころなはハッと我に返った。


「実は子供がね、来年から小学校に入学するんだよ。これから学費もきっと、たくさん必要になってくる。ファクターの仕事は好きだけど、家族のためにもっと堅実な仕事に就かないといけないって思ってたんだ」


 佐々木の年齢は三十代後半だと、ころなは聞いていた。

 そのくらいの年齢ともなれば当然、養うべき家族もいるだろう。


 彼はころなたちとは違い、家の大黒柱として家族の人生を背負って生きている。

 収入が不安定なファクターの仕事では、その妨げになってしまう。


 佐々木の言葉の重みの前に、ころなは何も言えなくなってしまった。


「あー……そーゆーことなら、自分も抜けさせてもらっていいッスかぁ?」


 佐々木に続くように呑気な声で手を上げたのは、恭子のファクターである長田政二(ながたせいじ)。


 明るく染められた茶髪はほぼ金髪に近い色合いで、肌も日焼けしているためか浅黒い。

 アクセサリーなどの装飾品をジャラジャラと身につけ、だらしなく服を着崩している彼は、その外見を裏切らない軽薄な調子で言葉を続けた。


「いやー自分、実はこの前の合コンでカノジョできたんスけどね……ぶっちゃけ、そのカノジョがデキちゃったみたいなんスよ~。いや、マジで」


「え、できたって……ひょっとして子供が、ですか!?」

「あっはっは、そのまさかッス!」


 肩にかかるまで伸びた長髪を揺らし、長田は軽い調子で笑う。


「まっ、こうなったら、そろそろ身ぃ固めとくべきじゃないッスか? ラッキーなことに、行きつけのショップの店長さんが、正社員で働かないかって誘ってくれてるんスよ!」


 今後の人生を決める重大な出来事も、まるで笑い話のような気軽さで語ってみせる。


「決まりね」


 ファクター二人の話を聞いて、恭子は軽く息を吐いて短く呟いた。


「じゃっ、ころな。そういうことだから」

「……ゴメン、ころな」


 その言葉を皮切りに、恭子は躊躇なく事務所から出て行った。

 直子もその後に続くが、一瞬だけころなの方を振り向いて、小さく謝罪の言葉を漏らす。


「それじゃあ、僕もこれで。また後日、契約については早乙女社長と相談するよ」

「え~、なんか面倒くさそうッスね……長田さん、オレの分も頼んでいいッスかぁ?」


 二人が出て行くと、佐々木と長田も同じように部屋から出て行く。


 後に残されたのはころなと、彼女のファクターである八咫歳星(やさかさいせい)だけだった。


 ころなより二歳年上の彼は都内の高校に通う学生で、ブレザーとチェックのズボンといった構成の制服に身を包んでいる。耳にかかる程度の黒髪と、同じように黒い瞳。


 百八十センチに届きそうな長身は、一見痩せて見えるが貧弱さは感じさせない。

 少し地味目だが、よくよく見ると顔立ちは悪くない。しかし、その表情は冷たかった。


「……八咫さんは辞めないんですか?」


 四人が出て行ったドアを呆然と見つめながら、ころなは歳星に尋ねる。


「俺はお前のファクターだ。お前が辞める、とでも言わない限り続けるさ。契約だからな」

「……ちょっと安心しました。八咫さんまで辞めちゃったら、ひとりぼっちですから」


 たはは、と力のない笑みをどうにか浮かべ、ころなは言葉を漏らす。


「……八咫さん。わたし、間違ってたのかな……?」


 よろよろと力なくソファーに座り込み、ころなはポツリと歳星に問いかけた。


「わたし、魔法少女になるのが夢だったんです。だから自分に魔法の適性があるって分かったとき、すごく嬉しかった」


 歳星を見ることなく視線を床に落として、ころなは独白めいた言葉を続けていった。


「こんなわたしでも、みんなのためになれると思ったから。だから今まで結果が出なくても、いつか必ず報われると思って頑張ってきました」 

「…………」

「きっとみんなも同じだって、魔法少女になれたことが嬉しいんだって。だからきっと、志は一緒だって……そんな風に思ってたんです」


 いつの間にかころな小さな身体を振るわせ、嗚咽を必死に噛み殺していた。


「バカ……です、よね。きっと最初から、空回りしてただけだったんだ……みんなの気持ちも考えないで、一人で勝手に突っ走って……」


 もう堪えきれなくなったのか、ついにころなはポロポロと涙を流していた。

 苦楽を共にしてきた仲間を一気に失った悲しみは、彼女の心をきつく締め付けていた。


「……別に、お前は間違ってない」

「――え?」


 その言葉が予想外だったのか、泣きじゃくっていたころなは思わず声を漏らした。


「だけどな、あいつらの言い分も、間違っているとは言えない」

「…………」


 肯定と否定の入り交じった言葉に、ころなは何も答えることができない。


「お前が何を思って魔法少女になったのか、それは誰にも否定できない。それと同じように、あいつらが何を思って魔法少女になったのかは、本人以外には否定できない」


 どこか遠くを見つめながら歳星は言葉を続けた。


「俺から言えることはな――自分の理想を他人に押しつけるな、ってことだ。そんなことをしても、きっと傷つくのはお前自身だよ」

「自分の理想を……他人に……」


 歳星の言葉をころなはうわ言のように口にしていた。

 涙を拭って見た歳星の顔は、どこか痛みに耐えるように苦々しく歪んでいる。


 どうしてかそんな彼の姿が、ころなには目が離せなかった。


「時間だな」


 呟いて腕時計を一瞥すると、短く声をかけて歳星は事務所を後にした。

 その後ろ姿を見送ると、ころなは今度こそひとりぼっちで部屋に取り残されたのだった。

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