金曜日4 ゆき先生と人間失格

 中学生の頃にお世話になった人がいる。三年前に久喜の居酒屋でテーブルホッピング(注:店内のテーブルを回ってお客さんに手品を見せること)をしている時に、偶然その人と再会した。そのとき彼女はわたしのことを「変わった少年だったけど、とても真面目で芯を曲げない子だったから」と、言ってくれた。お世辞だったのかもしれないけれど、あんなに短い期間だったのに自分のことを覚えていてくれて本当に嬉しかった。

 ゆき先生は、中学の時に代休した国語教師の代わりに赴任して来た非常勤の先生で、4ヶ月しか自分の中学いなかった。にも関わらず、わたしのことを覚えていてくれた。嬉しかった。わたしもゆき先生のことを覚えていた。授業中に太宰治のことを話していたのが印象に残っていた。ゆき先生が中学生時代に、太宰治の人間失格を読んだ同級生が遺書を書いて自殺したというエピソード。その遺書の内容を聞いて、わたしは太宰治に興味を持ったのだ。

 ゆき先生はわたしの誕生日には必ずメールをくれたり、また会いましょうと約束していたのだけれど、わたしがうつ病になってから、外に出て人に会うのが辛いと打ち明けて、誘いを全部断ってしまったのだ。

 去年の誕生日にもお祝いのメールをくれた。そして、来年の初めに会いましょう。あなたにプレゼントもあるから。と、さすがに拒否し続けるのも申し訳ないと思い、《分かりました。年内にもう一度連絡するので、その時に日程を伝えます》と返事をした。


 が、わたしは約束を破った。決して忘れていたわけではない。年内に連絡しなければならないという気持ちはずっと頭の片隅にあったが、会うのが億劫で返事を出さないでいた。決してちよさんに会いたくないわけではなかった。ただ、それ以上に外に出るのが面倒でたまらないのだ。ベッドから出るのもストーブをつけるのも、飯を食うのも、トイレに行くのも、掃除をするのも、洗濯するのも全てが面倒なのだ。でも、行動するための決定的なきっかけがあれば、自分は意外に動けるということに最近気づいた。


 そして、1月2日にゆき先生からショートメールが来た。


《ゆき先生 : 新しい年になりましたね。年明けに会いたいとメールしましたが、覚えていますか。実は生徒でおろちを読みたいという子がいるので一度こちらに返してもらってもいいですか。》


 わたしは去年先生とお茶をした時に楳図かずおの漫画を借りたまま、返してなかったのだ。すっかり忘れていた。わたしは慌てて返事を出した。


《わたし : すみません。お借りしてたのすっかり忘れてました。すぐにお返しします。いつなら予定空いてますか?》


《ゆき先生: 4日か5 日の夕方はいかがでしょうか?》


《わたし : 4日でお願いします。》


《ゆき先生: 春日部に5時頃でもいいですか?》


《わたし : 承知しました。》


《ゆき先生 : では、春日部駅西口に5時で。改札は混むので、駅横のタリーズコーヒーの前辺りにいて下さい。》


《わたし : 分かりました。よろしくお願いします。》


《ゆき先生 : 楽しみにしています。私けっこう老けてしまいましたが、驚かないで下さい。わかるかしら。》


《わたし : わたしもちょっと痩せちゃって、お互い様です。ほんとうにご無沙汰してすみませんでした。》


 というわけで、今日が約束の1月4日で、しかし、やっぱり、朝起きると全身が鉛のように重くて昼過ぎまでは何もかもが面倒くさくてたまらなかった。薬を飲むのでさえも億劫で、朝は飲まなかった。しかし、やはり、借りた本は返さなけれねいけない。その動機のお陰で、わたしは午後3時ごろにようやく身体を起こすことができた。コンサータとサインバルタを飲んでから、シャワーを浴びた。スネ毛が中途半端に伸びていた。気色が悪い。腕の産毛も脇の下も端から端まで丁寧に剃った。ヒゲはもともと生えない体質なのか、ほとんど産毛のようなものだったけれど、鏡に顔を近づけて見ると、何本か短くて黒い毛が出ていたので、全部毛抜きで抜いた。そんなことをしているうちに、1時間が経過してしまった。これから頭を拭いてドライヤーをかけてドライヤーをかけて歯を磨いて。なんてことをやっているうちに、約束の時間に間に合わないんじゃないかと慌てて、ゆきさんにショートメールを送る。


《わたし : ゆきさん、30分遅れます。ごめんなさい。必ず行きます》


《ゆき先生 : 私もその方がありがたいです。では五時半にね。》


《わたし : ありがとうございます。すみません。》


 泣きそうなくらい慌てて急いで準備して駅までせわしなく歩いた。駅まで歩いて20分。ハアハア言いながら歩く。地元の駅から春日部までは10分ほどで着く。すぐ近くで、そんなに焦る必要もなかった。と、改札を抜けて階段を駆け下りながら、駅のホームの案内盤の横にくっついているアナログ時計を見ると、針は午後4:30分を示していた。最初に約束した時間に全然間に合うじゃねーかよクソが。と、思ってはあっと大きなため息をついた。こんなことなら「遅れます」などと連絡しなきゃ良かったと思いながら中目黒行きの各駅電車に乗り込む。春日部駅に到着。クレヨンしんちゃんのオープニングテーマ。電車の発車の合図音だ。さっさとゴミゴミしたホームを抜けたい。歩く。スマホを見ながら目の前をちんたら歩く図体のでかい若い男に舌打ちしそうになるのを我慢して、追い抜いて階段を昇る。西口の改札まで歩く。改札を出て、待ち合わせ場所のタリーズコーヒーがすぐ横にある。店の前で待っててねと言われたので、店の前で立って待ってようと思ったがガラス張りで店内の人が丸見えだった。人の顔を見るのも嫌だったし、なんだか逆に変な目で見られてるんじゃないかと恥ずかしくなって、道を挟んだ店の反対側の自販機横に移動して空を見上げた。黒と青の中間くらいな色の空。今日は雲が多い。視線を落とすと歩いてる若い女の人の顔が視界に入ってしまう。それが嫌で、地面に視線を移してる俯く。首が痛い。左肩がズキズキ痛む。ザッザッとせわしなく道を歩いていく靴。何も見たくなかった。わたしは目をギュッっと瞑る。人の喋り声が聞こえてしまう。悪口を言われているようで怖い。イヤホンを持ってくるのを忘れたことを後悔する。サラリーマンっぽい男の人たちの声。「この前入ってきた新人と行ってきたんだろ? どんな感じ?」「あんなんじゃ勉強にならねえよ」憎たらしかった。偉そうにしやがってクソ野郎が。

 居酒屋の呼び込みをしてる若い兄ちゃんがこっちに近づいてきた。素通りしてホッとする。あと30分、ここで待たなければならないと考えるとウンザリする。もちろん、自分のせいなんだけど。


 待っている間、どこに視線を合わせていいのか分からなかった。かと言ってiPhoneを出してポチポチするのも嫌だった。先生に、自分が今時の若者だと思われるのが嫌だったから。ゆき先生がわたしに抱いている幻想を壊したくなかった。

 彼女はわたしのことをいい子だと思い込んでいるようだった。

 それはある一つのエピソードのせいだった。


 中学2年の頃に、学校で一番の不良だった高村が仲間の沢口と消火器の白い粉を噴射して、リノリウムの床を真っ白な雪のようにしていた。わたしは偶然その現場に鉢合わせしてしまった。ドキッとした。でも、少しワクワクしてもいた。非日常的な世界に迷い込んだときのような高揚を感じた。

 高村は教室の掲示板に貼ってある学級新聞に火をつけたり、気に入らない奴をトイレに連れ込んでボコボコに殴ったりするようなヤンキーだった。教師たちの大多数が彼に手を焼いていたし、他の生徒たちにも恐れられていた。だから、やっぱり怖くて、脚がガクガク震えていた。他にこの光景を見ている生徒は誰もいなかった。教師もいない。

 あの時は、確か何かの行事の最中で、わたしはおしっこを我慢できなくて体育館を抜け出したのだ。不良の彼らはもちろんそんな形式ばった行事には参加しない。邪魔な教師たちがいないのをいいことに、そんなバカなことをやっていたのだ。なんてツイてないんだろうぼくは。と、絶望しながら固まって棒立ちしているわたしを見やって、不良の高村がツカツカ歩み寄ってくる。その後ろで不良仲間の沢口がニヤニヤしていた。背が高くて見てくれは良いがクソ野郎だった。

 高村とわたしは同じくらいの身長だった。ニキビだらけで、肌が荒れていた。目が三日月みたいな形になっていた。楽しんでいるのか、それともわたしを脅すためのハッタリなのか判断がつかなかった。

 ところで高村もわたしも中学一年の頃に他所の地域の小学校から転校してきた、余所者同士だった。お互いに最初は孤独だった。他の135人は小学校からの顔見知りで、すでにコミュニティが形成されていた。そんな中にいきなり放り込まれた、わたしは学校で苦痛でたまらなかった。ただ、趣味の手品を見せることでなんとか、目立って見せかけのトモダチを作ってなんとか中学時代をやり過ごすことができた。

 それに対して、高村は学校で暴れて他の生徒を殴ったりすることで周囲に権威を示して仲間を作り、孤独な状況を回避したのではないかとわたしは思っている。


 わたしたちは似た者同士だったのかもしれない。わたしたちは孤独だったのだ。


 高村がジグザグの歯を見せながらわたしのほうに近づいてきてグイッとニキビだらけの顔をわたしの口元に近寄せる。

「誰にも言うんじゃねえぞ」

 と、高村が言った。わたしは頷かなかった。わたしは臆病だが、他人に支配されることが嫌で堪らなかった。支配されることの方が怖かったのだ。だから、あからさまに高村を睨みつけた。すると、高村が言った。「ガンつけてんじゃねえよ」「ガンなんてつけてない。見てるだけ」とわたしが言い返す。オタクっぽいこもった声音で。わたしは自分の声をテープに録音して聞いたことがある。自分の声はとても気持ち悪かった。でも、自分で喋っている時の声はとても凛々しく感じられた。不良に刃向かうぼくって超かっこいい。とも思った。っていうか普通だったらこんなこと言ったら顔面をぶん殴られと思うのだが、なぜか殴られなかった。高村はただずっとわたしの目を見て睨みつけている。わたしは、脚が震えるのを強引に両手で抑えて、ビビってなんかいるもんか。と、自分に言い聞かせていた。しばらくの間、ずっと睨み合って、高村が「ちっ」と舌打ちをした。「さっさと失せろ」と吐き捨てる。わたしは内心ホッとしてそのまま顔を反らして早足で廊下を抜けて行くが、走りはしない。奴らに自分が臆病だと悟られたくなかった。「絶対センコーにチクるんじゃねえぞ」と、金魚の糞みたいにくっついてる沢口のバカが背後から怒鳴ってる。言ってろ、雑魚が。と、思った。


 そのあと、当たり前のように学校中が大騒ぎになって、帰りのホームルームで犯人探しが始まる。教室でアンケート用紙を配られた。何か知ってることがあれば書いて欲しいと、社会科教師の担任のおっさんが言っている。こんなもん書いたらわたしがチクったのバレるから書けるわけねーだろ! と、思いつつ、わたしは馬鹿正直に自分の見たことをそのまま書いた。嘘をつくのが嫌だった。嘘をつく自分に罪悪感を感じて毎晩寝る時に苦しむくらいならチクってぶん殴られた方がマシだと思った。


 そして翌日に犯人である高村と沢口がわたしの告発がきっかけで、親と共に職員室に呼び出され厳重注意されたらしい。


 その日の昼の休憩時間、わたしがトイレに行こうと教室を出ると、高村が男子便所の前で待ち伏せをしていた。「お前チクったな?」と、彼が言った。

 なぜかわたしはウキウキしていた。心臓がバクバク動いてめちゃくちゃビビってるはずなのに、マンガの主人公みたいになった気分になって、変なテンションになっていた。わたしはあからさまに演技をする感じで、にた。と、笑って、「うるせえ馬鹿。本当のことを言って何が悪いんだバーカ」と言ってしまった。普段物静かなわたしがクラスメイトにこんな言葉遣いをしたのは初めてだった。スッキリした。とても気持ちが良かった。高村がキョトンとした顔になって固まっていた。わたしのことを『頭のおかしいやつ』だと思ったのかもしれない。

 そのあとのことはわたしはあまり覚えていない。ただ、それ以降高村から因縁をつけられた記憶がない。


 ゆき先生はちょうどこの事件があった時に赴任してきたので、この件の裏側を知っていた。アンケート用紙に消火器をぶちまけたバカどもの名前を書いたのはわたしだけだったらしい。というか、わたししかその場にいなかったんだから、そりゃそうだろうと思っていたのだが、先生が言うには実際は他にもそれを見ていた生徒がいたらしかった。その時、職員室で「白子のことを守ってやんなきゃな」と、教師たちで話し合ってくれたらしい。


 わたしがあの時、高村に暴言を吐いても殴られなかったのは、そういうことだったのか。と、大人になってからこの話を聞いて了解した。


 ところで、中学を卒業して高校になってから一度だけ高村に会ったことがある。学校の帰りだった。なんか白くて派手な金色の刺繍で文字が書かれたコートみたいなものを羽織って、駅の近くでバイクに乗っていた。

 彼からわたしに声をかけてきた。「よう、元気にしてたか?」と、見てくれは明らかに暴走族だったが優しい笑顔だった。色々話を聞くと中学卒業後に右翼団体に入って活動してるらしかった。


 わたしは彼と正反対の真面目ないい子を学校で演じていたが、本当の自分は高村のように暴れ散らしたかった。ルールに縛られて学校生活を送るのが苦痛でたまらなかった。そういう意味では、わたしは高村を尊敬していた。自分の欲望を解放して好き放題やってしまえる勇気が羨ましかった。

 わたしたちは別れ際に軽く抱き合った。高村がポンと背中を叩いて「それじゃあな」という。わたしもうなづいてそのまま背を向けて家に帰った。


 と、こんな昔話は、自分の都合の良いように記憶を歪めて美化してしまっているかもしれない。向こうだって別にわたしを特別視してたわけでもないだろう。


 くだらないな。


 と、思って顔をちょっと上げた時に、ゆき先生が目の前を通過していった。慌てて「ゆきさん!」と声をかけた。最初に会った時は彼女のことを先生と呼んでいたのだけど、先生と呼ばれるのが嫌だというので、そう呼ぶようにしてる。でもわたしの心の中では彼女はやっぱり先生だった。

 相変わらず背がちっちゃくて可愛らしかった。歳をとっても可愛い先生だと思った。そして、彼女はクリスチャンだった。彼女は中学の頃のわたしがクリスチャンであることを知っていた。今もわたしがクリスチャンであると思ってるらしかった。


 お互いに痩せたね。と、言い合いながら、二年前に会った時に行った喫茶店まで歩いた。先生が先に扉を開けてくれるが、わたしはその扉を逆に掴んで「お先にどーぞ」と促す。中にも扉があった。今度は彼女が扉を開いて「次はお先にどうぞ」と言われたので、「はいはい」と言いながらわたしが先に扉を抜ける。


 テーブルに案内されて、早速わたしは借りていた本を返す。「長いこと借りっぱなしでごめんなさい」「いいのよ。気にしないで。それよりあなたに渡したいものがあるの」先生が緑の唐草模様の紙に包まれた箱をだした。受け取った。「すみません。わたし先生に何も先生に持ってきてなくて」「いいから開けてみて」と言われて開けてみたら、木でできたネズミのおもちゃが入っていた。金沢土産らしい。箱の中に、おもちゃの歴史が書いてある説明書が入っている。米食いネズミというおもちゃらしい。紐を引っ張るとお米を食べる動作を知るらしいのだが、取り出してみるとおもちゃの紐が切れて壊れていた。それを見て先生が慌てた。「あら? ごめん。あれ、わたしのあげたかったのこれじゃなくて。べつのやつで。しかも紐が切れてるし、あれ! あれ!」と、騒いでいるのを見てなんか可笑しくて笑ってしまった。「いいんです。あとでテープで貼り付けるんで。こういうの治すの得意なんです」と、言いながら実は全然壊れたものを治すのは得意じゃない。けど、そんなことはどうでもよかった。正直言ってネズミのおもちゃには全然興味ないけれど、先生がわたしのためにお土産を買ってきてくれたことが嬉しかった。でも、きっと捨ててしまうかも。いや、捨てない。捨てちゃダメだ。本当にわたしは酷いやつだ。わたしはいつだって人の好意を無下にするような悪いやつなのだ。それなのに先生はわたしの本性を知らないのだ。嘘をついているようで気持ちが悪かった。左肩がズキズキ痛む。わたしはゆき先生に自分がいい子でないことを知ってもらいたかった。だから中学にいた頃にした自分の悪いことを全部喋ってしまった。


「先生は4ヶ月しかいなかったから知らないかも知れないけど、わたし、中一の時に放課後に女の子の上履きを下駄箱から盗んで、職員室のトイレでオナニーしてたんです。最初は終わったら元の場所に戻してたんですけど、何度もやってるうちに家に持ち帰るようになって、数ヶ月後に押入れに隠してた盗んだ上履きが見つかっちゃって、校長先生が両親の知り合いだったから連絡されて、それから被害者の女の子の家に両親と一緒に言って泣きながら謝ったりしてたんですよ。知ってました?」


 聞くに耐えないようなことを全部吐き出してしまった。自分の本性を知ってもらいたかった。


 もう自分のことを誤解されるのは嫌だった。いい子を演じることに疲れてしまった。でも、いい子じゃない自分をに話すこともまたいい子に見せようとする偽装行為なんじゃないか。と、話しながら思った。自分が嫌になる。


 ゆき先生はわたしのことを「それでもわたしにとってあなたはいい子なんだよ」と言ってくれた。わたしは「ごめんなさい」と、黙ってコーヒーを啜った。その時、ゆき先生が言った。「ありきたりなセリフだって思ってるでしょ?」それに対して、わたしは「うん」と思いっきり、うなづいてしまった。二人で大笑いした。先生は続けて言った。「それでいいのよ。思ってること喋っていいのよ。我慢なんかしないでいい」と言ってくれた。


 それからわたしはキリスト教がクソだと思って棄教して、今の自分が確信的に無神論者であることを伝えた。先生はちょっと悲しそうな顔をした。「わたしはあなたはクリスチャンだと思う」と、ゆき先生が言ったので、「ごめなさい。わたしはクリスチャンでいることに耐えられないんです」と応えた。


 夜の11時まで色々な話をした。


 そして最後に、最近わたしが日記を書いてることを言って、書いている日記の内容を、その場でメールで送った。長いから時間のある時に読んでくださいと言った。


 それと、「今日話したこと日記に書いてウェブにアップしていい?」って聞いたらちょっと困った顔をして、二人だけの思い出としてとっておきたいから。と、言われた。他にも色々書きたいことがあるけれど、それはやめておく。と、いいつつ、結構色々ぶっちゃけて書いちゃったな。ゆき先生、ごめんなさい。

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 それから三日後の日曜日に、先生からメールが来た。


『メールありがとう。君の日記を読ませて頂きました。何度も読み返しました。久しぶりに色々な事を考えて、久しぶりに眠れない夜を過ごしました。「ごめんなさい」なんて言わないで下さい。考え事をしながら眠れなくなるというのは、今の私にとっては新鮮な事なのです。いつも、時間に追われてあくせくし、心が麻痺するような毎日を送っている私には、必要な事でもあったのです。

 日記の行間から、君の辛さが伝わってきて、とても切ない気持ちになりました。先日会った時に、自分が言った事を思い返しました。私の言葉は、ありきたりで、月並みで、苦しい君の気持ちに寄り添うものではなかったでしょう。どの言葉もあまりにも平凡で陳腐で、君は「それはわかっている、みんなそう言う」としか感じられなかったと思います。体験した人でないと、理解できない事がある、解りたくても解らない痛みがある、それは私自身が何度も味わってきた事ですから、余計に自分の貧弱な語彙が情けなくなりました。言葉を教えるのが仕事なのに、しょうがないね。だけど一つだけ言える事、それは私には君に伝えたい事があるという事です。わかってほしい、気付いてほしい事があるという事。今は、ありきたりの言葉でしか言えないけど、いつか君の心にストンと落ちる言葉を見つけたいと思います。

 君の日記を読んで、また話を聞いて、自分の高校時代のある経験を語りたくなりました。8日以降は仕事に埋没する日々になるので、今日か明日書いてみます。書けたら、紙面にして送ります。

 寝不足なので、文章がおかしいと思いますが、ごめんなさいね。今日はこれから用事があり、出かけるので、返信はいいです。またメールします。

 朝から変なメールをして、気を悪くしてしまったらごめんなさいね。柚木』

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