木曜日3 プリンとコーヒー

 うんこや小便が封入されている人肉の塊としか言いようのない日々が続いており、今日もまた朝になって目覚めてもカーテンを開ける気にもならず、それはなにも陽光が嫌いなわけではなく、カーテンを開けると外から醜い自分の姿を見られているようで、すごく嫌な気分になるからだった。


 しかし、それでも、今日はやるべきことが二つある。


 一つはテレビ局の下請けリサーチ会社にTikTokの動画使用に関する同意書にサインしてメールを送ること。この前の日記に書いた内容には続きがあったのだが面倒で書いてなかったので、書いておくことにする。


 この前、テレビ局の協力依頼に対して丁寧な返事を出したのに無視されたと思い込んで不貞腐れた翌日に、先方からツイッターにダイレクトメッセージが来ていた。


『番組の企画書等をお送りさせて頂きたいのですが、まだメールが届いていないようでして…。大変お手数ですが、改めてメールを頂いても大丈夫でしょうか?』


 という返事だった。

 その後、わたしのメールが先方の迷惑メールフォルダに振り分けられていたことが判明し、なんとか企画内容と同意書に関する説明文をもらうことができた。その文書には企画内容は放送前なので外部に漏らさないで欲しいということ。また、同意書にサインしても動画がテレビで使用されない可能性もあるということが記載されていた。もちろんギャラもでない。


 もう面倒くさいからいいや。と、思ったりしつつ、それでもやっぱりテレビで自分の動画を使ってくれたと知人に自慢したかったので、『近日中に同意書に署名してメールで送ります』と、返事をだした。


 しかし、糞尿を溜め込んだ単なる肉塊に成り果てた今のわたしは、食事をするのもトイレに行くのも、風呂に入るのも苦痛だった。というかもう四日間風呂に入ってない。それでも、自己顕示欲を満たしたいという気持ちが動力となって、今日の昼間までに何とか動画使用許諾の同意書をパソコンでプリントアウトしてサインして年齢を書いて押印してそれをスキャナーで取り込んで署名入りの同意書を先方に送った。


 なんか、久しぶりに仕事をしたような気になった。しかし実際にはこんな面倒な作業をしたにも関わらず、わたしの銀行口座には一銭の金も入金されないし、許諾した手品動画もテレビで使われない可能性もあるのだ。一体なんでこんな苦役を朝っぱらからやっているのだろうか。人間はいつか死んで全てを失うのに、どうしてメシを食うための仕事をする必要があるのだろう?


 まあいいや。


 そして、もう一つやるべきことがあって、それは、両親に昨日の弟とのやりとりを知ってもらうということだ。


 わたしは玄関を隔てた向こう側のリビングへ行った。そこはカーテンが開いて、太陽の光が燦々と射し込んで、三匹の猫がフローリングや椅子の上で寝転がってウニャウニャしている。暖かかった。

 母がちょうど台所で洗い物をしていた。わたしは声を出そうとして、脳みその中から単語を選び出して、その言葉を吐き出そうとしたのだけれど、何をどういう順番で話せばいいのか分からなくなってしまった。


 わたしはクルッと背を向けて、自分の部屋に引っ込んだ。カーテンの閉じられた暗くて冷たい部屋。昨日の夜に灯油を切らしてしまったのだ。であれば、ストーブにポンプでパコパコ補充すればいいのだけれど、それはとても面倒くさくて。っていうか、そんなことはどうでも良くて、弟が自分を気にかけてくれたことを両親にどうしても知ってもらいたいのに、口でうまく説明できないのがもどかしかった。仕方がないので、昨日書いた日記をA4の用紙にプリントアウトして、それを持って行くことにした。光に満たされた向こう側のリビングへ。洗い物を済ませて椅子に座ってテレビのなかの駅伝を見ている母がすぐ目の前にいる。バラバラに砕けそうな言葉をなんとか繋ぎ合わせて、「あのさ」と、わたしは言葉を発した。母が「え?」っと振り向いて、Tシャツとトランクス姿のわたしを見る。わたしは勝手に喋り続ける。「昨日、弟と話した。心配してくれた。良くしてくれた。あと、今、自分がどういう状況にあるのか知ってもらいたい。医者に説明するために先月から日記を書いてた。でも、全部読むのは苦痛だと思う。だから昨日のだけ読んで。主観で書いた日記だから感傷的過ぎたり、記憶を捻じ曲げて書いちゃってるかもしれないけど読んで欲しい」と、言ってA4用紙に印字された冷たいわたしの臓腑の一部を母に手渡した。「読みたくなかったら捨てていい」と、ずるい言葉も付け加えた。母がそんなことをするはずがないと分かっていながら。自分が『いい子』でいるために。そう言った。


 わたしは部屋に戻った。

 布団に入る。

 感傷に浸る。

 しばらくして、父と母が出かける。

 今日の晩ご飯は何にしよう。とか、何を買いに行こうか。とか、いつもと変わらない会話を二人で交わしているのが、玄関から聞こえる。


 わたしの書いた文章を読んだかどうだか分からなかったけれど、わたしは自分の今の気持ちをを両親に託したことで自分勝手に満足していた。充実していた。でも、なんかサラリーマンのおっさんが無駄な残業をした帰りに「今日もたくさん仕事したぞ」と言いながら居酒屋に立ち寄って、酒を飲み過ぎて酔っぱらって、終電間際の電車で我慢できずに途中下車してそれでもなんとか駅のトイレに駆け込んで胃の中のものを便器の淵に吐き出して黄ばんだ無機ガラスコートの床にヘタレ込んでいるような気分だった。


 もう、わたし一人ではどうにもならないところまで来てしまった。わたしは大人になることに失敗した。もう、両親の足元にすがりついて、助けて欲しいと喚き散らすしかなかった。お父さんとお母さんに、ぼくの絶叫を聞いて欲しかった。


 午後3時頃に父と母が帰ってくる。母がすぐにわたしの部屋へ来て、ユニクロの袋に入った女性ものの部屋着を出して「着てみて。ちょっと小さいかな。でも痩せてるから大丈夫だと思うんだけど」と言いながら折りたたまれたピンクの服をわたしの手の上に置く。わたしは薄汚れた灰色のTシャツを脱ぐ。女性ホルモンのせいで乳腺の発達した胸。筋肉のないブヨブヨにへこんだ腹の肉。男とも女ともつかない中途半端な身体の半身を、母の前に晒した。実家に戻ってから初めて母の前で自分の裸体を晒した。わたしは少し恥ずかしくなって母に背を向けた。受け取った服を着る。「女性ものの服だけど、嫌だったらごめんね」と、母がいう。嫌なわけがない。嬉しかった。他にもスヌーピーのイラストが書いてあるフカフカの可愛い上着をくれた。「可愛いすぎたかな?」「ううん、可愛いの好きだから」そして、伸縮性のあるズボンをくれた。母はスカートを。嬉しかった。


「あと、プリン買って来たから置いとくね。あとで、コーヒー入れて持ってくるから」



 母が向こうのリビングに戻る。

 コーヒーの豆を挽く音。コーヒーの目が醒めるような香り。そして持ってきてくれる。ありがとう。と、言いながら母が向こうのリビングへ戻るのを待って、それを食べることも飲むこともせずに布団に入る。先に汚い部屋を掃除してから食べたかった。外が暗くなってきたのをカーテンの隙間から確認してから、ようやく布団から出て、掃除をしようと思った。でも、埃が舞ってプリンとコーヒーが汚れてしまうから、やっぱり先に食べることにした。生クリームのたっぷり載ったプリンをプラスチックのスプーンで削り取る。その断片を口に運ぶ。幸せを感じる甘さだった。冷めきったコーヒーを一気に飲み干す。甘くて苦くて美味しかった。


 そのあと、1週間ぶりに部屋の掃除をした。掃除機をかけて、テーブルに散らばっている空の薬袋や空になった錠剤シート、ウイスキーの空き瓶をゴミ袋に詰めた。


 夜はすき焼きを食べた。

 お米はあまり食べられなかった。

 でも、お肉は美味しかった。


 21:09分。薬を飲んでもう寝る。と、思いながら夜中の3時までツイッターでバカなことを呟き続けてスマホゲームをして遊んでから本当に寝た。

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