日曜日23 yesとno

 いつものようにけだるい朝でカーテンの隙間から射し込んでくる光がうざくて洗濯バサミで挟んで隙間を埋めて口の中がネバネバするからうがいをしながら明日のキリスト教会でやるクリスマスショーの準備のことを考えると憂鬱になって衣装とか下着とか全然洗ってなくてそれらが洗濯乾燥機のまわりの床に散らばりまくっていたので洗濯しないといけないと思うのだけれど動くのが面倒くさくて苦しくてそれでもなんとか60デニールの黒いタイツと青だか黒だかよく分からない色をしたトランクスと紺色のブラジャーを洗濯機に入れるのだけれどブラジャーは着けると息苦しくなるのが嫌でいつも思うのだけれどプールで男が乳首を晒すのが問題なくて女がおっぱいを出すのが問題あるという理由がよく分からないと思いつつそういえばわたしは高校生の頃に修学旅行などに行ってみんなでお風呂に入るときにみんなの前で胸を晒すのがとても嫌でちんこ見られるのはもっと嫌でどうして嫌だったのかというと自分のちんこが嫌いで自分の胸を出すのは嫌いだったわけではないけれど何となく恥ずかしいからでだけど同性のちんこを見てもべつに何とも思わないし恥ずかしいとも思わないので自分はホモではないと思っていたのだけれどやっぱり今のわたしは女性ホルモン入れたりしてるしちんこと胸を見られるのはちょっと恥ずかしいけれど嫌ってほどでもなくてしかしけれどもパンツだけはノーパンは嫌でそれは汚れるのが嫌だからとかそういうわけではなくて絶対に隠しておきたい場所だからでおっぱいは見られても別にいいと思ってるからブラジャーもほとんどしないしときどきお客さんがわたしのおっぱい触らせてという人がいたりするけれどそんなの全然普通に触らせるし別に何とも思わないしなどと考えながら洗濯と乾燥が終わるのをじっと待ちながら明日はどんな手品をしようか考えてキリスト教会のクリスマスショーだからあんまりグロいのはやらない方がいいなと思いつつ十字架のステンドグラスから光の注ぐ世界の中で気味の悪いグロテスクなマジックがどうしてもやりたくてガマ口バッグの中に針とか釘とかトンカチとかナイフとかいっぱい詰め込んで十字架の前で子どもたちの前で自分の身体が痛々しい感じになるのを見てもらってその傷ついた身体が全て元に戻るというマジックを見てもらおうと想像しながらわたしはそれを肯定するyesという存在を愛していたけれど真実の信仰に至らなかったわたしはキリスト教を嫌ってクリスチャンであることを拒否して教会という存在を憎んでいたはずなのにどういういうわけか再びプロテスタントのクリスチャンの前でパフォーマンスをすることになってクリスチャンの人たちはこういうときにこれも神さまのお導きだという言葉を使うのだろうなと想像するととても嫌な気分になってわたしは明日キリストを否定するために冒涜的な奇術をしようと思って心の中で何度もyesと呟いてわたしは睡眠薬のマイスリーと精神安定剤のレキソタンを飲んで洗濯乾燥機からパンツとタイツとブラジャーを出してキャリーバッグに詰め込んでyesと呟いて布団の中に入って子どもたちが喜んでくれることを祈りながら彼らを愛せることを願いながらありとあらゆることを肯定したくてyesと何度も何度も呟いて眠る。

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