月曜日24 十字架と背徳

 久しぶりに早起きして42度の熱いシャワーを浴びる。いつものようにムダ毛を剃って入念にちんこと身体を洗って、髪を乾かし、歯を磨き、イソジンでうがいをしてから、紺のトランクと黒いタイツとブラジャーを装備して、魔女みたいな真っ黒な衣装を着た。上から緑のスカジャンを羽織って家を出る。駅まで歩く。冷たい。寒い。強い風。黒いロングなスカートがブワッと煽られて、かっこいい感じ。テヘヘ。と、思いながら、今日はまだ薬を飲んでないことを思い出して、歩きながら長財布に常備しているレキソタンとサインバルタとコンサータを口に含む。水がないのでポケットに入っていた290円のニッカウヰスキーの小瓶でグイッと飲むと、喉がクワッと熱くなって、なんだかとってもいい感じ。いつのまにか駅に着く。エスカレーターに乗って改札を通り、エレベータでホームに降りる。電車が来るまであと五分。冷たい風を全身に浴びながら、じっと待つ。その間に依頼先のキリスト教会の牧師さんにショートメールを送る。


 わたし: 手品師のアリスです。13:00頃にそちらに到着予定です。今日はよろしくお願いします。


 牧師さん: アリスさん。ハレルヤ、本日は宜しくお願いします。


 わたし: 感謝します。ありがとうございます。


 ところで、今のわたしは確信的な無神論者で、クリスチャンでも何でもなくて、むしろありとあらゆる宗教を憎んでいるのだけれど、それでも寒くて孤独な世界の向こう側から中央林間行きの電車がやって来ることに喜びを感じて、ハレルヤ、主よ感謝します。と、電車に乗りこんだ。あったけぇ。そして、座れる場所を見つける。端っこがいいな。端っこの消火器のあるところがいい。けれども、残念ながら婆さんがそこに座っていて、反対の端にもおっさんが座っている。空いてるのは真ん中で、仕方がなく真ん中に座ろうと思うのだけれど、その婆さんが真ん中の席に手荷物を置いて占領しており、なんて図々しい婆さんだ。と、思いつつ、わたしはニコッと笑って「すみません」と声をかけ、そこに座りたいアピールをする。婆さんが「あ、ごめんなさい」と言って邪魔な荷物を自分の肘にどかしたので、『そうだよ最初からそうすりゃいいんだよ』と思いつつも「いやすみませんありがとうございます」と、テキトーに礼を言っておっさんと婆さんの間に座る。


 とりあえず九段下までは乗り換えなし。このままずっと座ってのんびりできる。キャリーバッグは目の前に突っ立てて、隣の婆さんに肘が当たらないように斜め上方に肩をあげながらポケットからスマホを取り出すのだが、スマホを取り出すだけで一仕事したような感じになってしまって、なんだかちょっと疲れてしまった。もう帰りたい。でも、帰っちゃダメだ。と、自分に言い聞かせてスマホのホームボタンを押してツイッターアプリを開く。なんかテキトーにどうでもいいことを呟いて、さっさと誰かイイねをつけろよと思いながら画面を更新するがちっともいいねがつかず、げんなりして、ちっ、つまらん。と、今度はBookLive!(電子書籍アプリ)を開いてボーイズラブな漫画を見ることにした。はらだ先生の『あさとよるの歌』という大変にエロティックなBL漫画で、主人公のバンドマン(アサ)が度し難いクズ野郎なのだけれど、そのクズさが実に人間らしくてよい。BL界の神と呼ばれている作者のはらだ先生はゴミクズみたいな性格のアサを決して断罪せず、彼に対して献身的で愛の塊のようなヨルという存在を与えている。尊い。この作品はもはや文学の領域だと思っているのだけれど、そうは言っても大変エッチなボーイズラブ。激しくずっこんばっこんやってる描写が多くて、両隣に人が座っているとさすがに読みにくい。なので、出来るだけ座席に深く腰を押し付け、スマホを斜めにしないようにしながら顔に近づける。そうしないと男同士の過激なセックス描写が見えてしまう。だからわたしは端っこに座りたかったのに、ちくしょう。と、心の中で嘆きつつ、苦労しながら読んでいる間に、どうやら降車すべき駅である九段下を5駅も通り過ぎてしまったようだった。わたしは慌ててキャリーバッグを引きずりながら電車を降りる。しかし、ちょうどいい感じにホームの反対側に逆行きの電車がやって来たので、ハレルヤ。グロリア。と、思って、それに乗り、九段下到着のアナウンスに注意深く耳を傾け、無事に元の場所に降りることができた。その後、さらに乗り換えて現地の仙川駅に到着。地図のアプリを開いて、画面と睨めっこしながらガラガラバッグを引きずる。歩いて15分くらい。屋根にシンプルな十字架の立っている白い建物にたどり着いた。緑の掲示板にクリスマスイベントのポスターが貼ってあって、なんかの聖句が墨汁で書いてあり、誰でも入ってくださいという白い札が画鋲で刺してある。


 今日はこの教会のクリスマス会でマジックショーをするわけだけれど、そういえば、わたしがマジックに興味を持ったのも、クリスマスの教会で謎のおっさんが見せてくれたマジックショーがきっかけだった。


 そんな幼少時代に思いを馳せながら入口の重たい扉を開いて、がらんどうとした感じの暗い玄関で「すみません〜、こんにちはー、手品師のアリスです〜」と、自信なさげに声を出すと、左手の扉の、おそらく礼拝堂の中から背の高いガタイのいい牧師さんが出てきた。「アリスさん。ご無沙汰してます。今日は遠いところからありがとうございます」と、にこにこしながら出迎えてくれた。そのまま、左の部屋に通してもらうと、そこはやはり礼拝堂で、一番奥の壁には十字架の形をした虹のステンドグラスがあった。光が射していた。礼拝堂には長椅子がいくつも並んでいて、教会のスタッフの人たちがみんなで準備をしていた。中には知的障害を持っていると思しき背の高い180センチくらいある20代の男性がいて、わたしに声をかけてくれたのだけれど、言ってることがあんまりよく分からくて、ちょっと戸惑ってしまった。彼に対して戸惑っている自分に罪悪感を感じながら、普通に対応しないとなんか悪いやつになってしまう気がして、あくまで自分はそういうのを気にしないタイプってな感じで、「あ、こんにちは。今日はここで手品やるので楽しんでくださいね」と、できる限り普通な感じに言った。すると彼は「テジナやるの? テジナー」と抑揚のない声音で叫んで光の射す礼拝堂を走り回った。


 彼がどこかへ行って、ホッとしてしまった自分に苦々しいものを感じながら、牧師さんに演技用のCDとMC用の紹介文を渡して演技の進行要領について説明して、その後、控え室に案内してもらい、甘いコーヒーとクラッカーやクッキーなどを出してもらった。ありがたや。一人になってホッとする。彼らの愛に接するのが息苦しくてたまらない。何の飾り気もない素直な愛に満ちた表情を見ると、自分の心臓が溶けてしまいそうになる。部屋には千羽鶴が飾ってある。どうしてだろう。牧師先生が病気になったりしてみんなが折ってくれたのだろうか。などと想像しながらキャリーバッグを開けて準備を始める。鼻に突き刺すための釘やトンカチ、舌に貫通させる長いスパイク。首がストーンと落っこちるステージマジック。わたしが幼い頃に見たクリスマスのマジックは絵のない絵本に色がついたり、銀の大きな輪っかが繋がったり外れたり、ボールがふわふわ浮かんだりする夢のようなマジックだったのに、こんなのやっていいのだろうか、と、ちょっと逡巡した。が、自分の中にいる黒いカエルと白いカエルが声を揃えて言った。《いいんだ。やれ。おまえはやるべきことをやれ》。


 テキトーに化粧をする。未だに綺麗な化粧の仕方が分からない。本当に化粧というのは面倒だ。家に帰って洗うのが面倒だ。どうして、化粧なんかする必要があるんだろう。と、グダグダ考えながら化粧水を塗りたくってファンデーションをゴシゴシ擦りつけ、口紅をする。はいおしまい。これでよし。すべてよし。


 緊張。財布からレキソタン を取り出す。出されたコーヒーと一緒に飲む。ついでにバッグの中にあるウイスキーも一口だけ。緩和。周りをキョロキョロしながら誰にも見られてないだろうかと気にしながら、不安になる。キャリーバッグの奥の方にしまって鍵をかける。神さまは見ている。と、幼い頃に何度も言い聞かされて育ったけれども、そんなこと知ったことか。と、強がってわたしは鏡を見る。鏡のわたしは、綺麗だろうか? 美人とはいえないけてど、肌は綺麗だと思う。でも、肌が綺麗なだけで美しくはない。わたしは美人な女の子に生まれたかった。本当に? 本当に? わたしは本当に女の子になりたかったのか? と、なんとも言えない違和感を感じながらも、しかし、後悔をしているわけではない。キンタマ取ったり、女性ホルモン飲みまくったりしていることを後悔しているわけではない。ただ、わたしは何者になりたかったのだろうか? という迷いが血管を駆け巡っていた。


 スマホで自撮りする。笑顔を作ってボタンを押す。撮れた写真の笑顔の自分は、一見優しそうな感じもするがなんだか無気力だった。すべてのことに興味がないといった冷たい感じがした。

 あんまりいい写真じゃないけれど、取り敢えずツイッターにアップした。パフォーマンスが終わったあとにいいねがいっぱいついてたらいいな。と、思いながらスマホをスリープ状態にして机に置いた。


 わたしは大きく息を吸って、身体の中にある二酸化炭素を全て吐き出した。準備ができた。礼拝堂の前で待機する。

 扉に背をもたれかけて、司会者の人がわたしの用意した紹介文を読み上げ終えるのを待ちわびる。


 そして、わたしは扉を開く。


 そんなに観客が多いわけではなかった。でも、子供たちがいる。生意気そうだったり、素直そうだったり、人見知りな感じだったり、色んな子供たちがわたしを見ている。わたしは、にた。と、笑って、虹のステンドグラスの十字架から光の射す舞台に向かって歩き出す。音楽に合わせてミュージカルのキャバレーを歌い、背徳的なマジックをしよう。人生はキャバレーだ。In here life is beautiful!

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