日曜日16 わたしとぼく

 今日は川崎のとあるホテルで、営業。すなわち、メシを食うための仕事をさせてもらった。一昨日の夜に先輩マジシャンから連絡があって、メインマジシャンとしてやらせてくれるというのだ。感謝している。


 昨日の手品仲間との飲み会の席では、


「ちぇ。こんな安い手品の営業をひきうけちまったぜ。まったくよお」


 などと、大物然として毒づいていたが、しかし、今、わたしはその先輩マジシャンの斜め後方に張りつきながら「先輩、いつも仕事を振ってくれて本当にありがとうございます。嬉しいです!」などとヘコヘコしている。


 はぁ。相変わらず自分は嫌なやつだなあと他人事のように思いながら、「ちょっとすみません。トイレに」と言って男子便所に直行してカバンからストロングゼロを取り出して半分だけ飲んで便器に流した。

 少し気分が落ち着いた。

 なんとなく明るい気持ちを取り戻して先輩の後ろについていく。先輩が担当のお姉さんと段取りについて話している。クリスマスイベント。サンタが子供にプレゼントを配る。マジシャンが手品で飴をいっぱい出す。ステージで15分マジック。その後、子供だけステージの前に集めて目の前でマジックを見てもらう。わたしはその子供たちを担当する。先輩はテーブルを数卓ホッピングする。なんか聞いてるとやたら面倒くさいプログラムだなあと思った。まあでも、基本的に先輩が音響などもやってくれたので、わたしは自分の手品に専念できてスムーズに、全て計画通りにことが運んだ。


 こうしてクリスマスイベントの営業はあっさり終わった。なんの問題もなかった。ミスもなかった。しかし、なぜだろう。なぜなんだろう。生活の中心を支える仕事。行為、所作、心身の自動的な活動。ただ、それだけのためにやった手品だった。やりがいみたいなものは全く感じなかった。


 そのあと、先輩やわたしがいつもお世話になっている営業先のお店に連れてってもらい、そこで一緒に飲もうという話になった。が、行ってみると貸切パーティーをしており、店長から今からマジックをしてくれないか。ということで、急遽先輩マジシャンとテーブルホッピングをすることになった。


 なぜか、この時のマジックはすごく楽しかった。演技をしていて相手が楽しんでるのを実感できた。プログラムに組み込まれたエンターテイメントではなく、いきなり予期しないサーカスがそこにやってきた。混沌だ。わたしは混沌が好きなのだ。秩序に沿って組み込まれたイベントというのは、やる方も見る方も疲れる。秩序の中のエンタメは「楽しまなければいけない」という一種の強制なのだ。けれど、混沌から生まれたエンタメは違う。混沌から派生したエンターテイメントは本能的な喜びを呼び起こす。


 楽しかった。さっきのメインの現場より、とってもいい仕事をしたような気がする。この後、店長と先輩からビールと食事をおごってもらった。ビールを飲んで少しく酔ってしまったわたしは色々余計なことをベラベラ喋った。


「わたしは自分の性別が分からない。女性らしく手品するってどういうことですか? わたしにはそれが分からないんです」


 店長はこの店とは別に、おなべバーも経営している人だった。だから、わたしのような性的マイノリティーが何を悩んでいるのか、なんとなく分かってくれているようだった。


「お店での接客はキャラだから、演技として割り切ってやれば大丈夫。プライベートとは全く別だから。アリスちゃんならできるよ」


 そう言ってくれた。


 でも、わたしはそれができない。決してできない。女性らしくなりたいと思っているはずなのに、心の奥にある『ぼく』が女性らしさを演じることを強烈に拒否してしまうのだ。これは一体どういうことなのだろう。


 わたしは店長に微笑んだ。


「アドバイス、嬉しいです。頑張ってみます」

 店長は優しさからわたしにアドバイスをくれた。だから、その言葉だけは心の中に受け止めたいと思った。

 先輩マジシャンも、わたしの不躾な愚痴を黙って聞いてくれた。

 帰る途中、「アリスさんは自由にやればいいよ」と、彼は言ってくれた。

 苦しくなる。


 わたしは先輩にお辞儀をして、殊更ニコニコしながら駅の改札で別れた。

 ホームへの階段を降りながら、自分の顔に貼り付いた偽物の笑顔が気持ち悪くて仕方なかった。

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