金曜日14 女性らしさとピクトグラム

 先輩マジシャン : 明日の営業、もっと女性らしくアリスさん(わたしの芸名)らしくお願いします(^ ^)


 わたし : 分かりました。できる限り女性らしくします。


 先輩マジシャン : (^ ^)


 というショートメールのやりとりを昨日の夜にしたらしいが、全く覚えていない。睡眠導入剤を飲んでからの記憶は、いつも綺麗さっぱりすっ飛んでいる。別の世界にいるような不思議な感覚に襲われる。


 起きてケータイのディスプレイに表示されている時刻を見ると、午後2時20分だった。っていうか、もっと女性らしく。ってどういうことだよこのやろうふざけんな。と、思いつつ、しかしこれが先輩マジシャンの意志ではなく、彼の雇い主である店のオーナーからの注文であることは容易に推察できたので、彼に対して憤りを感じてはいない。それに、オーナーだって本当はすごくいい人なのは知っている。ただ、わたしが女性のように美しくなりたいと願いつつ、社会的な「女性らしさ」という枠に閉じ込められることに対して、過剰に拒絶反応してしまうだけなのだ。だいいち、これは仕事だ。ギブアンドテイク。相手の要望に応えて、わたしの欲する金銭を受け取る。ただ、それだけのことであって、こんな個人的な価値観の相違ごときで先方に憤るなんてことは筋違いなのだ。


 身体を起こして、テーブルに無造作に転がっている薬袋の中からコンサータとサインバルタとレキソタンをパキパキ抜いて、口に含んで唾で飲み込む。寒い。ムカつく。異様に重く感じる前頭部を右手で抑えながら風呂場へ向かう。シャツとパンツを脱ぎ散らかして、42度のシャワーを浴びながら、すね毛をカミソリで剃る。

 キンタマを手術でとって男性ホルモンを減らし、さらに強力な女性ホルモンを毎日摂取しても、ムダ毛は生えるのだ。そうだ。女性ホルモンは決して魔法の薬ではない。そんなことはとっくに分かっている。でも、飲むのだ。女性ホルモンが体内に存在しているという安心感を得るためだけに飲んでいるのだから。しかし、ムダ毛の処理というのは、なんて面倒くさいんだ。60デニールの黒いタイツを履いてしまえば、どうせスネ毛なんて見えやしないのだが、そうはいってもこんな気色の悪いものが自分の肉体から生えていることが許しがたい。他人から見えようが見えまいが、剃らずにはいられない。ああ。猫や犬の毛はモフモフして可愛いのに、人間の下半身から生えるムダ毛はなんて醜いのだろう。


 風呂からあがり、髪を乾かしながら女性らしさについて考える。このボサボサの髪の毛に女性らしさは微塵も感じられない。かといって今から美容院にいっても現場に遅刻するので、シルクハットをかぶってごまかすことにした。服装に関しても、女性らしい格好というのがイマイチよく分からなかったので、とりあえずエロ漫画でよく見るような、スカートの短いサンタのコスプレと黒タイツと白い三つ折りソックスとローファーをナップザックに入れた。


 現場に到着したのは午後5時20分。控え室がないのはいつも通りのことだった。近所のスーパーの男子便所の個室に入っていそいそと着替える。パンツ以外脱いで、まずはタイツを履いて、白いソックスを履く。なんとなくエロい感じがする。このエロい感じが女らしさというものなんだろうか? 赤いサンタのワンピースを頭からかぶる。静電気で髪がひっちゃかめっちゃかになる。ローファーを履いて一丁上がり。あとは適当に化粧をするが、口紅だけ真っ赤なやつを厚めに塗った。手鏡に映る自分の姿を見て、なんか闇金から借りた金を返すために身体を売ってる娼婦みたいだな。と、思った。


 この格好のままで、男子便所から出るのが、今回のミッションで一番の難関だった。扉の外に誰もいないのを確認して急いで出なければならない。幸いにも着替え中に人は入って来ていなかった。ふう。と、息を吐いて戸を開けて、バシャバシャと洗面台で手を洗う。嫌でも鏡に映るサンタのコスプレをした自分を見てしまい、女性らしさとはなんだ。と、自問自答する。手を拭く間に人が来るかもしれないのでびしょ濡れの手のままで男子トイレを出た。が、この時、入れ替わりにくたびれたコートを着たサラリーマン風のおっさんが入ってきて目があってしまった。おっさんがギョッと目を見開いて動きが固まっている。おっさんは「えっ?」と声を出して、一歩下がって上を見上げる。ピクトグラムを見ている。その記号が青の記号なのか、ピンクの記号なのか確認している。そして、こっちを見て、おっさんが見てはいけないようなものを見たという表情をしている。わたしは俯いた。俯いてそのまま足早に去る。


 トイレを出たわたしはそのままの格好で酒売り場へ向かって日本酒を手に取る。すれ違う人々がこっちを見て、すぐに目を逸らしているのを感じる。構うものか。これが女性らしさというやつなのだろう? わたしは仕事でこういう格好をしてるだけなんだ。仕事のために、こんなわけの分からない格好をしているんだ。そんな目で見るな!


 わたしは、ナイフを振り回して街中で無差別にサツリク行為をしてしまう犯罪者の気持ちに少しだけ共感してしまった。わたしもこの場でチェーンソーを振り回したらどんなに気分が楽になるだろうか。と、そんなことを想像しながら、レジのお姉さんにお金を渡した。


 外に出て日本酒の瓶を開けて、一気にあおる。自販機横の缶捨てにビニールごと突っ込んで捨てる。きっと顔が赤くなっているはずだ。ファンデーションをさらに厚塗りして、チークをつけて色々誤魔化す。フリスクを出してガリガリかじって、消臭用の8×4を首と口周りに塗って、営業先のお店に向かう。


 こうして、今日のわたしは女性マジシャンとしてパフォーマンスをしてきた。お客さんは喜んでくれた。チップも信じられないくらい、いっぱいくれた。店長も、オーナーも、喜んでくれた。店長は「120パーセント、みんなアリスちゃんのこと女の子だと思ってるよ」と言ってくれた。わたしは笑った。嬉しいのに、何かが悲しくて仕方がなかった。


 今は布団の中にいる。まだ、化粧を落としていない。自分の顔にファンデーションがついていることを想像するだけで気持ちが悪い。面倒だけれど、お風呂に入ろう。そして、マイスリーを飲んで深く眠るのだ。

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