木曜日13 Hopes and Dreams

 朝から精神安定剤を飲んでボーッとしていると、夜が来るのが早い。今、わたしはピルカッターで薬を半分に切っている。この薬は精神安定剤ではない。わたしは12時間ごとに女性ホルモン剤の錠剤を半分に割って飲んでいるのだ。


 ところで、女性ホルモンというものは、大きく分けて2種類あるそうだ。一つは卵胞ホルモン(これはエストロゲンと呼ばれている)。もう一つは黄体ホルモン(これはプロゲステロンと呼ばれている)。


 わたしが使っているのは卵胞ホルモン(エストロゲン)である。ちなみに女性化には黄体ホルモンの方は不要とされているらしいので、飲んでいない。細かいことはよく知らないので、興味のある人は内分泌科かなんかに行って医者に聞いてみるといいかもしれない。


 卵胞ホルモンの中にもそれぞれ種類があって、エストロン、エストリオール、エストラジオールに分類されるそうだ。そして、この中で最も強力な女性ホルモン剤とされているのが、エストラジオールであり、その製品名がプロセキソールである。通常、この薬は前立腺ガンの治療に使われるらしい。

 わたしが女性化するために毎日飲んでいるのが、このプロセキソールというやつである。


 わたしは生物学上の男性であるが、手術で睾丸を去勢している。25歳の時だった。世間ではわたしのような種類の人間を『オカマ』と呼ぶ。もう、10年も前のことだ。去勢してからしばらくは筋肉注射で上腕に卵胞ホルモンを打ってもらっていたが、2週間ごとに病院に行くのが面倒だったので、錠剤に切り替えてもらった。去勢したあとなら、女性ホルモンをそんなに入れなくても良いと医者に言われたが、もっともっと綺麗になりたいので強い女性ホルモンが欲しかった。


 一般的にトランスジェンダーのオカマが使う女性ホルモンとしてメジャーなのが、プレマリンという製品名の薬剤である。これは卵胞ホルモンの中で最もマイルドなエストロンであり、効果が弱いらしい。


 しかし、わたしはさっさと美しくなりたかったから、プレマリンではなく、最も強力とされるエストラジオールのプロセキソールを処方してくれるように、医者に懇願した。わたしの去勢を担当した美容外科医はあっさり処方してくれた。保険が効かないのでかなり高価だったが(120錠で8800円)、それでも満足だった。これで、自分は綺麗になれる。と、ウキウキした。ワクワクした。もうなにも恐れることはない。以来、この魔法の薬を毎日欠かさず飲んでいる。


 そして10年経った今、洗面台の鏡の中にうつるわたしの頬は、30を過ぎて垂れ下がりはじめ、浮腫んできていた。口角は卑屈に下がって、その垂れ下がり方がとても意地悪く見える。ちっとも美しくなかった。

 10年前のわたしは、睾丸を除去し、女性ホルモンを入れて、自分は絶対に綺麗になると確信して、夢と希望に満ちていた。でも、今の自分の姿は、かつて理想としていた美しさとは程遠かった。


 そもそも最初に求めていた美しさが何だったのかまるで覚えていなかった。


 過去のわたしは、いったいどうなりたかったのか。おそらく、その時の自分が嫌なだけで、理想とする自分なんてなかったのだ。なりたい自分なんて最初からなかったのだ。


 気分が悪い。でも、この気分の悪さが、心地よい。この気分の悪さを忘れないように脳みそに刻んでおかなくては。と、そう思った。レキソタンを飲む。マイスリーを飲む。そして今日もプロセキソールを飲む。綺麗になれないと分かっていても、飲むことをやめられない。たぶん、一生。これからも。ずっと。

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