水曜日12 必要と不要

 電話の音で目が醒める。カーテンの隙間から光が射し込んでいる。今日は晴れているのだ。ふざけやがって。ピッピコピコピコ♪ と、繰り返し音を鳴らして震えているiPhone。手に取るのが怖い。電話に出たくない。喋りたくない。お願いだから、メールで連絡して欲しい。かといって、折り返しの電話をかけるのも死ぬほど面倒くさいので、意を決して電話を取った。布団から出る。身体を起こす。寒い。


 知人のマジシャンからの電話だった。来週、平日の夜に新橋の店で手品をやって欲しいということだった。そうか、そうとも。わたしはマジシャンで、自分の好きな趣味を披露してお金をもらえるのだ。これは喜ぶべきだ。でも、やりたくなかった。仕事としてお店で手品をするときの、心臓が押しつぶされるような緊張感が嫌でたまらないのだ。なんてことをモヤモヤ考えているうちに、先方が、ギャラについて電話の向こうで早口にまくしたてている。そのギャラは、交通費を引いたらコンビニかなんかの一回分のバイト料程度のものだった。わたしは一瞬沈黙したあと、「分かりました。やります。いつもありがとうございます」と、形式的に返答した。ちっ、安すぎんだろ。と、思いながらも、お金の問題じゃない。手品というのは人前でやればやるだけ技術があがる。やらせてもらえる場所があることに感謝だ。そう思え。おまえは好きなことでお金がもらえる。喜ばしいことじゃないか。そう思い込む。そう思い込んだが、しかし実際、手品師の営業なんてものは、やればやるだけ技術が雑になっていく。テーブルを効率よく回る要領だったり、酔っ払ったおじさんたちのあしらい方なんかはうまくなって行くけれど、肝心の手品は上辺だけはうまく見せることができるようになっても、中身はスカスカの、カロリーだけが高いスナック菓子みたいな手品しかできなくなるのだ。


 それにしても。


 わたしは自分のことをプロの手品師だと自信を持って名乗っていいのだろうか。なぜなら、手品で社会貢献したいなどとは微塵も思わないし、そもそも手品で生活費を賄えるほど稼げてなどいない。セミプロというのもおこがましい状態だ。今のわたしは、わずかな貯金を切り崩しながら、親のスネをかじって生きている。しかし、あろうことか、そのわずかな貯金以上に高価な手品道具をクレジットカードのリボ払いで買って、それらが到着して開封して数日もすればすぐに飽きて、雑に扱ってぶっ壊してしまうのだ。そして、不要な粗大ゴミと化す。もう、こんな馬鹿みたいなこと、やめたい。


 と、うだうだ考えていると、また電話が鳴った。ディスプレイを見る。久喜、学校。と、表示されていた。出る。以前、田舎の廃校寸前の小学校でマジックをやった時の校長先生からだった。あの時のマジックが楽しかった。実は別の学校でまた廃校になるところがあるのでやってくれないかという依頼だった。嬉しい。嬉しいのに。どうしてこんなに胃がチクチクするのだろう。ちくしょう。仕事をさせてくれることに感謝しなければならない。子供たちに楽しい思いをさせてあげたい。自分は誰かに必要とされたい。そうとも。本当は嬉しい。自分は誰かに必要とされているんだ。でも、もし、自分が誰にも必要とされてなかったら、価値がないというのだろうか。そんなことはない。そんなことは決してない。


 人間に必要も不要もあってたまるか!


 ああ。もう、今日は暗い。寝よう。薬を飲んで、ミカンのお酒を飲んで、寝る。


 わたしは自分が手品師であることを誇りに思っている。社会にも貢献していないし、満足にお金も稼げていないけれど、マジシャンという言葉の響きが好きなのだ。必要とされようがされまいがマジシャンであり続けたい。


 おやすみなさい。


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