火曜日11 自己犠牲とチェーンソー

 精神クリニック。心のクリニック。バカな。バカバカしい。今日は天気が悪いし、やっぱり寒い。昨日の方がマシだった。昨日行っておけば良かった。今日は午前中に精神のクリニックに行って、さっさと薬をもらってこようと思ったのだけれど、例に漏れず、いつものように身体が怠くて、やっぱり午前中はずっと布団の中に潜っていた。睡眠剤を飲んだ翌朝は、殆ど必ず、だるいのだ。怠くて仕方がない。


 死にたい。などと思うことはないが、今すぐ死んでも構わないとは思う。今死のうが、50年後に死のうが結果は同じなのだから。と、思う。


 午後2時になって、ようやく布団を出る。シャワーを浴びる。ここ数ヶ月髪を切ってないので、洗うのが大変だ。髪が抜ける。風呂場の鏡に映る自分の姿を見て、とても嫌な気分になる。自分はこのまま無為に生き、禿げ散らかした醜いジジイになって死ぬのだろうか。だったら、誰かの身代わりになって死にたい。と、思った。どうせ死ぬなら、かっこよく死にたい。


 寒い。身体をテキトーに拭いて、服を着る。ドライヤーで無造作に髪を乾かす。ストーブの前でしゃがみこむ。面倒くさい。何もかもが面倒くさい。


 行こう。


 と、自分に言い聞かせてジャンパーを着る。寒い。とても寒い。でも、手袋はしない。わたしは手袋が嫌いだ。


 目を半分閉じたまま駅まで歩く。誰かの身代わりになって死にたいと思いながら歩く。爺さんでも婆さんでもクソガキでも犬でも猫でも構わない。誰かの代わりに死んで、自分の死に意味を持たせたい。などと、ヒロイックな妄想を繰り広げているうちに駅に着き、改札を通る。目の前をちんたら歩く婆さんが邪魔でムカつく、さっさと歩けよ。と、憤りを感じる。


 電車に乗ってイヤホンをつける。音楽はかけない。音楽を聴いているフリだけをして、電車の端っこで眠る。おっさんが目の前に座っていた。別の駅でスカートの短い一人のJKが入ってくる。目の前のおっさんがチラッとそっちを見るや、立ち上がって女子高生の座ってる席の向かいに移動した。次の駅で女子高生がおっさんから離れた隣の車両に移動して電車を降りた。おっさんも同じ駅で降りた。

 今時の女子高生の足はとても綺麗だ。と、わたしは思って、そのまま寝たフリを続ける。


 乗り継ぎなしで、1時間30分。病院のある駅に着く。受付で手続きをする。ゴムの付いた緑の番号札を渡される。腕につける。チャチなブレスレット。無邪気なガキになった気分だ。精神クリニックに来るたびに居た堪れない気分になり、わたしはいつも待合室で自分の顔を隠すように項垂れる。


 緑5番の方、診察室へどうぞ。と、いつもの先生の案内放送。立ち上がる。歩く。ノックして扉を開ける。「最近、どうですか?」「身体がだるいです。首と肩が引き裂けそうに痛いです」「それ以外に、なにか辛いことはありますか? 」「ありません。でも、とにかくなにもかも面倒で。薬が切れてここ数日飲んでなくて」「身体が痛いのは薬を飲まなくなってから? 」「いえ、ずっとです。飲んでも痛いんです」「じゃあ、レキソタン増やしましょうか。一日、三回に」「はい」


「あと、性別に関する悩みの方はどうですか?」


 この問いに、わたしは口を噤んでしまった。どれくらい沈黙したか分からないけれど、わたしはようやく「特にないです」と答え、「でも、わたしの性別が社会的に振り分けられることは、想像するだけで嫌です」と言った。「分かりました。このまま治療を続けましょう。良い年を過ごしてください」という先生の穏やかな声を聞きながら、わたしは力なく演技的にありがとうございます。と、答えて診察室を出た。


 そのあとで、マツキヨの薬局で処方箋を渡し、大量の薬を受け取る。そのまま駅に向かう途中に、階段で座ってるホームレスの婆さんを見た。わたしはこの人の身代わりに死ねるか? と、考えて「できない」と、思った。帰る途中に駅ナカにある回転寿司屋で570円の大トロの皿を一皿食べた。美味しくて、最悪な気分になった。


 店を出て、レシートを自販機横の空き缶入れに投げ捨てる。分別に御協力くださいという文字を見ても、何も思わない。誰も見てやしないんだ。電車に乗る。眠ったふりをしながら、隣の婆さんのお喋りや、ベビーカーの赤ん坊の甲高い声を聞きながら、こんな密室でチェーンソーを振り回す殺人鬼が出てきたら自分はどのように行動するか考える。


 地元に着く。駅を出ると雨が降っていた。

 傘を持ってこなかったので、雨に打たれながら家まで歩いた。寒くて、冷たかった。

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