「王都の娘たちが熱狂する近衛二番隊の偶像事情」3
綺麗に舗装された石畳の大通りを、ぱかぱかと馬の蹄の音を響かせながら、二列に並んだ白い制服の騎士隊が近づいてくる。隊列のちょうど真ん中には、王太子とその小姓を乗せた馬車があり、その数列前には文官たちが乗る馬車が、逆に後方には荷馬車が配置されていて、近衛二番隊の騎士たちはそれらを守護しての帰還であった。
「やっぱりヴェンシナ様は先頭なのね、遠目でもすぐにわかるわ!! きゃーっ、ヴェンシナ様っ! 今日も可愛いっ!!」
窓枠から上半身を乗り出さんばかりにしながら、甲高い声でジョセフィーが叫んだ。隊列の先頭を華やかに飾る、近衛騎士には珍しい、細身で小柄な体つきをしたヴェンシナ・ビュセザレイジヤは、彼女のご贔屓騎士である。
「今お幾つなのでしたっけ?」
「二十歳!!」
同じ窓に貼りついているサヴィローネの問いかけに、すかさずジョセフィーから答えが返ってくる。その頃にはヴェンシナの、華のある紅顔がはっきりと見て取れるようになっていた。
「見えない……。成人していらっしゃるとは思えない……」
神がその少年美を惜しみ、十代半ばで時の流れを遅らせてしまったような、瑞々しい童顔を眺めながらルナダリアが漏らした。
いくら若手といえども、叙任されたばかりの少年騎士でもないのに、見物中の女性たちから「可愛い」の大合唱を引き起こす騎士といえばヴェンシナくらいのものだろう。それを軽く聞き流せずに、どうにもこうにも困った風情で、
「成人男性なのに可愛いとか。童顔だけど凛々しいとか……! おかしいなあ、私、ヴェンシナ様を見ていると、いつの間にか歳を追い越しちゃった気分になるのよね。私の憧れの騎士様は、素敵なお兄様だったはずなのに、今では健気に殿下にお尽くしの、年下の騎士様を応援している気持ちに……!」
「わかりますよ、ジョセ。わたくしの
「そうそうそう! そうなのよサヴィ、そういう感じ! 近衛二番隊に入られた時は十七歳で、既に十六歳でもなかったんだけれど、最初から幼げで、とにかく見た目にお変わりがないのよね!」
きゃっきゃっと会話に花を咲かせている、友人たちに水を差すように、デジレは窓枠に身をもたせかけて、ちっちっちっと指先を振った。
「一見お変わりがないようですけれど、ご忠義に厚いヴェンシナ様は、制服の下に名誉の傷をお作りになってらっしゃるのですよ。ああ、白い上着のお裾を捲って、それを拝見できる仲になりたいっ」
「きゃー、何言ってるのよデジレ!」
「永遠の十六歳を汚れた目で見ないでー!!」
「みなさん現実は直視して! 見た目は十六歳でも実年齢は二十歳でいらっしゃるの! ヴェンシナ様にも、そのうちサヴィみたいな子がぽっと現れるかもしれませんよ」
「もうっ、わたくしをいちいち引き合いに出さないで下さいな。それよりもほら、今ルーダがご贔屓中のキーファー様がお通りですよ」
サヴィローネの言葉に促されて、娘たちは続けて金茶色の巻き毛が特徴的な騎士に注目した。こちらはヴェンシナとは対照的に、利発そうな顔に爽やかな笑みを浮かべ、人々に騒がれる状況を楽しんでいる風である。
「あ、手を振り返してもらってる小さい子たちがいる! いいなあ」
沿道の子供たちに張り合うようにして、念よ届けと言わんばかりに、ルナダリアはキーファーの名を呼びながら窓から突き出した両手を振りまくる。
「行進中に、ああいう風になさっているのをお見掛けするのってキーファー様くらいよね」
「とっても気さくな御方ですよね、ご奉仕精神旺盛で。お付き合いさせて頂くと楽しそう。
さあさあルーダ、ジョセとサヴィと三人で清聴してあげようじゃないですか。近頃急にキーファー様推しに転んだ理由は?」
二階からの熱視線に気づいてくれることはなく、行ってしまったキーファーの背を名残惜しく見送りながら、それでもめげないルナダリアは友人たちに主張した。
「キーファー・トリフォーレル様の良さは器用さよ! 近衛二番隊に所属できる武芸者で、宮廷医師団にもお名前を連ねられるお医者様の卵で、加えて外務省の方々から、勧誘が絶えないという弁士でもいらして。全くもう、どれだけ多才でいらっしゃるのかと……!
すっごい美形ってわけじゃないけれど、賢そうで人当たりのいいお顔も好き。大真面目に考えて、旦那様になって欲しい騎士様といったら断然キーファー様でしょ!」
「旦那様と来ましたか!」
「今度こそ大本命なのでしょうか?」
「接点がまるで無いんだから、夢のまた夢には違いないけれどね」
夢見る陶磁器人形のような見た目とはうらはらに、幼馴染みの許婚がいるジョセフィーは、実状に即した異性関係と、偶像に抱く憧れは別物としてきっちりと区別している。
一方で、金勘定にめっぽう強く、即物的と思われがちなルナダリアは、その割り切りをなかなかつけられない理想家であった。
「いーえっ! これから先ならサヴィに取り持ってもらうという手がある!」
「そんな無茶を言わないで下さいな。わたくしキーファー様とご面識なんてありません」
「それじゃあ自分でお近づきになるから、サヴィとエリオール様の結婚式で会わせてね。ね、ね、ね」
大事な友達であるルナダリアに、隣の窓からぜひにぜひにと懇願されて、しかしながら実は偽装交際なのですとは白状できず……、後ろめたい気持ちになったサヴィローネは逸らした目を空に泳がせた。
「お、お気が早くてらっしゃいますよ、ルーダ。わたくしエリオール様と一応のこと恋人関係になりましたというだけで、この先どうなるものか知れませんのに……」
「何気弱なこと言ってるの。どうなるかじゃなくてどうにかするの。頑張って、サヴィ!!」
「誰のための激励なんだか」
「ま、ルーダの下心はともかくとして、このままサヴィにエリオール様という大魚を釣り上げて欲しいのは同感ね。興味深いお話だけれど後にしないと、もうすぐ王太子殿下が前を通られますよ」
馬上にある騎士たちとは違って、箱馬車に乗る王太子の姿を目にできる機会となると瞬く間だ。その時の王太子の向きによっては、
デジレの指摘にはっとなって、娘たちは俄然眼下の行列に目を凝らした。王太子の馬車の直前には、若者たちから野太い歓声を集めている、鉄色の髪をした偉丈夫の姿がある。
「殿下の馬車の一番のお近くは、いつも通り隊長様ですね」
「そりゃそうでしょう! フェルナント・ヴォ・フェルシンキ様は我が国一位の剣豪様だし、近衛二番隊の結成前から殿下専属の騎士様としてお仕えになられてきた御方だもの、王太子殿下になさってみれば安心感が桁違いでしょ。今年三十路に入られたらしいけれど、フェルナント様はまだまだおじ様じゃないわね」
見たままの様子をサヴィローネが述べると、両手で頬杖をつきながらジョセフィーがそう唸った。近衛二番隊の最年長、隊長を務めるフェルナントは、競技会での活躍ぶりや男気溢れる気性、そして筋骨隆々とした男臭い容貌から、異性以上に同性から熱く惚れ込まれている騎士であった。
「そういったご信頼関係も美味しく頂けますけれど、堪らないですね、あの肉体美。制服姿も素敵ですけれど、フェルナント様だけは、裸に剥いた鋼のお身体を、彫刻にして後世に残して頂きたいわー」
「あー、またデジレが破廉恥なこと言ってる!」
「あらわたくし、今度は芸術的観点から申し上げていますよ? フェルナント様の磨き上げられた上腕二頭筋だとか腹直筋だとか大胸筋なんかを、石膏の模造品で構いませんから、思う存分撫でくり回させて頂きたいなーとか思っているだけで」
家業により培われた審美眼を盾に取り、さらなる過激発言を続けるデジレに、友人たちは親しさゆえの情けから口々に忠告した。
「デジレ、涎が垂れそうな顔になってるから!」
「駄目ですよ! そのようなお顔を曝してらっしゃったら、デジレを描いた絵画の価値が大暴落してしまいます!」
「えーいこの残念美人、お手ふり下さる殿下のお姿で、心を清めて戻ってきてー!」
といった調子で、ちょうどこちら側の窓を向いてくれた王太子の微笑にぽーっとなり、それからさらに数名の騎士をかしましく話題に上げた後、四人の娘たちは最終的に、最後尾にいたエリオールに釘付けとなっていた。
サヴィローネとの交際が発覚したばかりのエリオールに対しては、祝福の言葉が多数掛けられる一方で、ひょっとして王太子の護衛についている彼自身を、警護した方がよいのではないかと、心配になるような悲鳴も上がっている。
しかしそんな状況下でも、表情筋をほとんど動かすことなく、黙々と任務に徹するのがエリオール・シャプリエという騎士である。サヴィローネに言わせれば、想定外の事態に困惑して、よりいっそう無表情になっていらっしゃるのね! といったところなのだが。
「凄いわね、大騒ぎ! まあ、エリオール様は文句なしに格好いいし、硬派だ硬派だって言われてきた御方なだけに衝撃も大きくて、みんなのエリオール様だったのにいっ! きいいっ!! ――ってなっちゃう気持ちはわからないでもないけど……。サヴィ、道行く時は用心しなきゃ駄目よ」
「ありがとうございます、ジョセ。わたくし自身は無名ですから大丈夫かと」
「うーん、だけどあの記事で、サヴィの名前も一気に売れちゃったわけでしょ? 大店ヘルロー商会の社長令嬢に、そうそう嫌がらせなんてできないとは思うけど……」
「ええ。ヘルロー商会の良い宣伝になりました。ご心配を頂いているのとは逆に、エリオール様
やみくもに取り越し苦労をすることはなく、父親譲りの商魂で瞳を生き生きとさせているサヴィローネに、ジョセフィーは陶器の頬を崩した。
「逞しいなあ、私サヴィのそういうとこ好き」
「わたくしも好きですよ」
「あたくしもあたくしも」
友情を深める二人の会話を聞きつけて、デジレとルナダリアもすかさずそれに参加した。じんとしながらサヴィローネは、三人の友人たちへ思いを返すことにした。
「ジョセ、デジレ、ルーダ、わたくしだってみなさんのこと、負けないくらい大好きなのです」
「嬉しい告白だけどね、サヴィ、そういう可愛いらしいこと、あなたが告げなきゃいけないお相手は他にいらっしゃるでしょう? ほらほら早く手を振ってお迎えしなきゃ」
「珍しくルーダがいいこと言った!」
「こっそりとなのかもしれないけれどしっかりね」
友人たちに焚き付けられて、サヴィローネは改めてエリオールを見つめた。近衛二番隊の騎士となり、こんな風に王都の娘たちから偶像に祭り上げられてしまう以前、
――あの方は、今、わたくしの、恋人。
偽装の、という文言を外して、自分自身に言い聞かせてみると、祝祭日のような街の華やぎに、高揚していた気分がさらに高まった。そのときめきに浮かされるまま、サヴィローネは懸命に手を振った。今まさに、眼下に差し掛かろうかというエリオールに向けて、「お帰りなさい、エリー」と、心を込めてつぶやきながら。
その時。
隊列の最後尾を任され、油断なく馬脚を進めていたエリオールが、サヴィローネがいる両替商の二階の窓に眼差しを巡らせた。
「あっ……」
警備の延長としか感じさせぬさりげなさであったが、目と目が確かに合った気がして、サヴィローネの心は跳ねた。それはほんの僅かな時間の出来事であったが、そこにサヴィローネがいることを、予測していたかのような眼差しだった。
「ねえ今、エリオール様、サヴィの方を見なかった……?」
サヴィローネの傍にいたことで、まともに受けてしまったエリオールの流し目に中てられつつも、その視線の行方を誤解しない冷静さがジョセフィーには備わっていた。
「わたくしもそう思いました。見られましたよね、絶対」
「ねえサヴィ、あたくしの家から行進の見物をするんだって、エリオール様にはお知らせしていないんじゃなかったの?」
友人たちに問い詰められて、サヴィローネは思いがけないエリオールの行為にまごつきながら、赤く茹で上がった頬を両手で包んだ。
「えっとあの、おそらく、なのですけれど……。お見送りをさせて頂いた際に、偶然見つけてもらっていた気がしますので、お戻りの時も同じ場所にいるかもって、お考え下さったのではないかと……」
「うわっ、なにそれっ! 事前に二人で示し合わせていましたっていうよりも、よっぽど甘美なんだけど!」
「愛の力は偉大ね」
「そっ、そんなのではないと思います!」
「じゃあどんなのなのかしらっ?」
「どんなのなのでしょうっ……!?」
大勢の見物人の中から、誰より出迎えて欲しかった恋人――彼にとっては偽装のつもりなどさらさらない――らしき人影を見いだすに至っていた、エリオールのそわそわした胸の内など、知る由もなく。
友人たちが並べるにやけ顔を前にして、ただただ答えに窮するサヴィローネであった。
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