第二話「お野菜と恋をするのは不可能です」

 カチェリア様のお邸からの帰り道です。

「お義姉様、怖かったです……」

 ご立派なお邸が、車窓から見えなくなって、ようやく、緊張が解けたわたくしは、馬車のお向かいに掛けられたお義姉様に、恨み事を漏らしたのでした。


「騙し討ちみたいな真似してごめんなさいね。トゥーリが、サヴィは下手に考える時間を与えると、一人でどんどん先走りして、つんのめってしまう子だから、入れ知恵はしない方がいいと言うものだから……」

「兄様には、完っ全に他人事でございますものね」


 お義姉様に代わりに謝らせるなんて、あの馬鹿兄様、一体どうしてくれましょう?

 首尾はどうだったかと、にやにやしながら聞いて来られるに決まっておりますから、お夕食のテーブルの下で、脛でも膝でも蹴っ飛ばして差し上げましょうか。


「だけど、サヴィは賢明でしたわね。我慢させてしまって、可哀想なことをしたけれど……。

 真相はどうであれ、親同士が決めたお話にしておけば、どなた様にも角が立たないわ。そういうことなら仕方がないわって、諦める気持ちにだってなれますもの。悪い言い方ですけれど、ご自身がお選びになってもらえずに、振られたわけではないのだと、矜持を保ったままでおれますしね」


「ええ。本日お会いした方々に限らず、世のエリオール様贔屓のみなさまが、そう受け止めて下されば……」

「本当にね」


 ――自分と交際してくれると『助かる』。


 エリオール様が、何からどう『助かり』たかったのか……? お仕事はよくお出来になられるらしいのに、人あしらいの不器用そうな方ですもの、 先ほどのお茶会での出来事で、わたくしにはようくわかった気がします。


 先月、交際のお申し込みを下さった日。

 あの日、おそらくエリオール様はわたくしの父様に、わたくしとの交際の許可をもらいに来て下さっていたわけではなくて、王都で非常に『困った』ことがあり、それについての『相談』をしにいらっしゃっていたのでしょう。

 その解決策として父様が、別に嫌いでないのなら、サヴィローネと交際していることにしておけば? とでも、ごくごく軽い気持ちでご提案なさったに違いありません。


 ええそうです。きっとそうです。絶対そうに決まっています。


 だから、交際してくれると『助かる』などという、色気もそっけもないあの告白――と呼んで差し支えないものかどうか、誠に疑わしい台詞――が、切羽詰まったエリオール様のお口から、ぽろりと飛び出てきたのでしょう。


 あ。本音を聞かせて頂けた、という意味では、紛れもなく告白でございますね。



「ちょうど折も良かったのでございましょう。娘の縁談は、成人前の十七歳になったら考える、というのが、父様母様の方針なので。大姉おおねえ様も小姉ちいねえ様もそうでしたので、わたくしにもそろそろ、いいお話を持ってきて頂けそうなものだけれどと、日々夢想していたところでした」

「良縁には違いないと思うけれど、落ち着くまでがたいへんそう。まさかのお話でしたわね」

「ええ」


 わたくし、サヴィローネ・ヘルロー、十七歳。人生初めての殿方とのお付き合いが、人気騎士様との偽装交際、なのですから、本当にまさかもいいところです。


 遊戯ではない正式な交際は、男性が女性側の父兄や後見人にお許しを得て下さって、初めて申し込んで頂けるものです。たとえ親同士の取り決めがあっても、男性から求愛をされ、それを女性が承諾する、という形式を踏むことは必要で、そこから二人で節度を保ったお付き合いをしながら、お互いの気持ちや価値観の擦り合わせをしていって、結婚を目指すのが正しい男女交際のあり方です。


 けれど、交際というのはあくまでも婚約の前段階。実を結ばずにお別れをする、ということも決して珍しくはありません。

 あまり繰り返してしまっては、縁遠くなってしまいますので、破談にしてもよい回数はせいぜい一、二度ですけれど。先のお相手は近衛騎士様でした、ということになれば、平民のわたくしにはむしろ箔が付きそうです。


「十七歳で、というのは、何か特別な理由があるのかしら? ヘルロー商会の社長令嬢なら、女の子が社交の場に出る十四や十五になったらすぐにでも、ご縁談が寄せられていそうなものなのに」


「はい。独身の娘を、成人後あちこちのお邸へ外商に行かせるのに、交際相手や婚約者がいれば、伺った先の旦那様も若様も、悪い気を起こされるのを躊躇なさるでしょうし、何よりも奥様がご安心をなさるから――というのが、成人前にお相手を決定しておきたいという、父様母様のご意向らしいのです。

 だからといって早くに決め過ぎると、お嫁に行かせるのも早くなってしまうので、成人直前の十七歳で、と。大姉様も小姉様も、二十四と二十二で、嫁がれるまで優秀な外商員でしたし」


「そう、お義父とう様とお義母かあ様は、合理的で進歩的なお考えをお持ちなのね。お義姉様たち同様に、サヴィにも期待をされているのでしょうね」

 わたくしを映しておられる青い目を、お義姉様は少し眩しそうに細められました。買いかぶりなお言葉に照れてしまいます。


「どうなのでしょう? なにぶん末っ子でございますからわたくしは、期待よりも心配をされていそうな気がします。

 少し話を戻しますけれど、それでもお好きな方はお好きだから困るのよね、と、姉様たちは溜め息をつかれてらっしゃいましたけれど、交際相手が高名な騎士様なら、その点の問題はまず起こりようがないと申しますか……。エリオール様とのお話に、父様がたいそう乗り気でらっしゃるのは、そのためもあるのではないかと思います」


 利には目敏い商売人の父様ですもの。ご友人のご子息相手にも、持ちつ持たれつといったお気持ちがあるのでしょう。

 それにわたくしにも、末娘として家族から、甘やかされている自覚はございます。但し、不肖の兄様は除く、でございますけれど。


「そうね、エリオール様からサヴィを奪おうと思ったら、決闘も辞さないくらいの覚悟が必要ね」

 ころころとお笑いになるお義姉様は、ご冗談もお上手でらっしゃいます。なのでわたくしも、冗談で返します。


「ですね。どれだけお好きでらっしゃいましても、そうまでしてわたくしを摘まみ食いなさろうかという方は、まさかいらっしゃらないでしょう。

 十八になってからのことですから、もう少し先になりますけれど、幼い頃から家族に話を聞いてきて、わたくし外商に出るのがとても楽しみなのです。わたくしが顧客に持たせて頂くのは、主に上流階級の奥様お嬢様となるでしょうから、本日のお茶会も、その予行練習になったかもと思えば」


「そう? サヴィが前向きで良かったわ。先々のお商売に繋げられるかわかりませんけれど、紹介だけならわたくしにもできるから、サヴィさえよかったら、またわたくしのお友達やお知り合いの集まりに、一緒に招いてもらいますわね」


「はい、是非とも、よろしくお願い致します、お義姉様。未来の販路拡大のため頑張ります。あと、お義姉様が、兄様が買い付けてきた品々をご愛用下さっていることが、我がヘルロー商会の宣伝にもなっているのですから、紹介だけだなんてとんでもないことです」


 心の底からそう訴えますと、ヘルロー商会の魅力的な広告塔であられるお義姉様は、白い頬をぽっと染められました。


「ありがとう。トゥーリの選んでくれるものは、昔からわたくしの好みを外さないの。他の方からの贈り物でも、まあとっても素敵だわと思って、どちらでお求めにとお訪ねしたら、ことごとくヘルロー商会の、それも副社長からなのですもの……。こんなにもわたくしのことをわかって下さる方、他にはおいでにならないと思ったわ」


「もうそののろけ話、何十回とお伺いしました。それで侯爵様筋のお姫様が、お嫁に来て下さるのですから……、兄様がお義姉様のお心をお射止めになられたのは、兄様の一生分の奇跡だと思っています」


「あら、わたくしにとっては奇跡ではなくて、トゥーリと二人で両親にお願いしてお願いして、やっと叶えてもらった幸福な現実よ。

 あなたの方は、どうなのかしら、サヴィ? あなたがエリオール様との交際をお受けしたのは、もしかして身の安全ためだけ?」


「えっとですね……、そういう打算ももちろんありましたけれど、わたくし思春期の始めから、エリオール様に見慣れてしまったせいで、殿方を見る目の基準値がたぶん、おかしくなってしまっているのです。

 他の殿方はことごとく、茄子とか南瓜とかにしか見えなくて、お野菜相手に恋なんてできなかったものですから……。人並みに恋人気分というものを味わってみたいなら、このちゃんと格好のいい男性に見える騎士様と、お付き合いをしてみるしかないのかなって」


 わたくしだって乙女ですもの、それくらいの夢見る気持ちはございます。たとえ関係は偽装でも、このふわふわとした気持ちを楽しんでみますのは、いけないことではないと思うのです。


「うふふ、のろけ返されちゃった」

「えっ? どこがのろけに聞こえたのですか?」


 お義姉様のからかいにきょとんとしておりますと、わたくしたちを乗せた馬車は、富貴街の下手にある本邸に到着致しました。



*****



「リジー!」

 朗らかにお義姉様の愛称を呼びながら、玄関に乗り付けた馬車の扉を外から開けて下さったのは、わたくしの不肖の兄様でらっしゃいました。


「まあ、トゥーリ、ただ今帰りました」

「お帰りリジー、君がいなくて寂しかった」


 とかなんとかのたまいながら、兄様はそれはそれはもう大事そうに、先に立ち上がられたお義姉様を馬車から抱き下ろしてらっしゃいます。愛し恋しのお可愛らしいお義姉様ですものね、そのお気持ちはわかりますけれど。


「お熱いのは結構ですけれど、わたくしのことは完全無視ですか? 兄様」

 仕方なく介添え無しで、一人不貞腐れて馬車から下りたわたくしに、真っ赤になったお義姉様の肩を抱いた兄様は、悪戯小僧のようににやりとなさいました。


「サヴィ、エリーのやつ来てるぞ。というか、例の茶会今日だから、来れるなら来いよって呼び出しといたから。何か溜めて帰ってきたなら、俺に八つ当たりしてやろうとか余計なことは考えずに、直接あいつにぶつけてやれよ」

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