3 スコット

 アーニーは、ハウスに帰って夕食を済ませたのち、自室で日本のこと、特にイクエリアとの違いを調べていた。

 イクエリアは、生まれながらの平等を礎とする比較的新しい国だ。この国では、子どもたちのあいだに社会的・経済的格差は存在しない。子どもたちは、生まれた瞬間から国によって保護される。日本でいう「親権」にあたるものを国が持つのだ。その養育費は、国の予算から一人ひとり平等に配分される。

 子どもたちを直接育てるのは〈親〉ペアレンツだ。〈親〉は、国家資格をもった大人であり、公務員だ。その資格は、教員と同じように子どもの年代に応じて細かく別れている。子どもたちにとってもっとも身近な職業は〈親〉であり、将来の夢が〈親〉だという子どもは多い。また、〈親〉は子どもたちを平等に扱うことが厳格に求められている。〈血縁差別〉を防ぐため、血のつながった子どもの〈親〉になることはできない。

 日本では、子どもはいまも生物学的親に育てられるらしい。アーニーは、狂気の沙汰だと思った。そこでは、子どもにかけられるお金が、親の経済状況に依存する。国からの補助もあるようだが、それは最低限のものであり、大きな格差が存在することに変わりない。そして、多くの場合、生物学的親には子育ての専門的知識も経験もない。それぞれが独自の方法で子どもを育てるのだ。を引いた子どもはたまったものではない。そうした国では、どの親のもとに生まれたかで人生が大きく変わってしまう。そんな不公平が許されていいはずあるだろうか。

 しかし、世界的には日本のような国の方がまだ多数派だった。保守的な〈血縁差別主義者ブラッディスト〉たちが、親の愛などという不確かなものを神聖視しているのだ。一方で、若い世代のあいだでは、子どもたちの格差をなくそうという声が日に日に高まってきている。イクエリアの制度が世界に広まっていくのは時間の問題だといわれていた。

 ただ、のアーニーにとって、ナオミとともに日本に住むというのは、考えてみればたしかに悪い話ではなかった。アーニーは、親がどんな人物かわかっており、それをこともできるのだ。そして、話を聞く限り、ナオミにはそれなりの経済的余裕があるようだった。彼女に子育ての専門的知識や経験はないかもしれないが、アーニーはもう十四歳だ。親の助けが不可欠な年齢はもう過ぎている。

 何よりも、外国で暮らすというのは、他の子どもにはできないなことだ。しかし、そうはいっても、いきなり言葉も文化も違う異国の地で暮らすのは怖い……。

 その時、コンコン、とノックの音がした。「入っていい?」とスコットの声がドアの向こうから聞こえる。

「いいよ」

「何をしてたんだい?」スコットがドアを閉めてたずねた。

「いや、ちょっと調べごと」といってアーニーは肩をすくめる。

「ぼくには隠さなくていい。知ってるから」

「え?」

「ぼくがあの場所できみを待つように教えたんだ」と、スコットは続けた。「あのナオミという人は、実は昨日この家に来ていた。でも、〈親〉たちは手続きがどうこうといって、彼女をきみに会わせようとはしなかった。ぼくは、偶然そのやりとりを見ていたんだ。そして、彼女が帰るとき、あの道で待っていればきみが通るということをこっそり教えた。今日は統一試験の結果が返ってくる日だったから、きみはあの道を使うだろうと思った」

「なんでそんなこと……」

「興味があったんだ。外国の人間がどんな話をするのか。きみは気づかなかっただろうけど、あのカフェでぼくも近くの席にいたんだよ」スコットはそういって、にやりと笑った。

「全然気づかなかった」アーニーはカフェのようすを思い返したが、スコットがいたかどうかはわからなかった。

「それで、きみはこの国を出るのかい?」

「いきなり外国で暮らすなんて、すぐには決められないよ……」そうアーニーが言葉を濁すと、スコットが強い口調でいった。

「ぼくなら、こんな国出ていく」

 予想外の言葉に、アーニーはスコットのいっていることをうまく飲みこめなかった。そうしてアーニーが戸惑っていると、スコットがアーニーにたずねる。

「きみは、この国の子どもでよかったと思ってる?」

 アーニーは、さっきの言葉が聞き間違いでないことを確信した。「スコットはそう思ってないの?」

 スコットは首を横に振る。「この国の子どもは奴隷だよ。国の奴隷、社会の奴隷さ。ぼくらは、この国のいうことに逆らうことができない」

 アーニーは言い過ぎだと思った。「ぼくらは国に育ててもらってる」と反論する。「国のいうことを聞いて恩を返すのは当然だろう」

「国がぼくらを育てるのは、それが国にとって都合がいいからだよ。たとえば、きみは何のために試験でいい成績を取ろうとしてるんだい?」

 スコットの質問の意図がわからず、アーニーは眉をひそめる。「大学へいく奨学金をもらうため。大学へいけば、よりよい職業に就いて、よりよい生活ができる。子どものあいだは国が平等に面倒を見てくれるけど、大人になれば誰も面倒を見てくれない。大人になったときのために、いまがんばるんだ。スコットだって、そのために勉強しているんだろう?」

 歴史に名を残す特別な存在になるため、というのは子どもっぽいので、アーニーはあえて言わなかった。でも、きっとみんなどこかで特別になりたがっている。全員が平等だからこそ、特別になることに意味がある。

「それこそが、この国が子どもを育てる目的なんだ」スコットが冷たい口調でいった。「国を維持していくには、勤勉で従順な国民が必要だ。ぼくらは、自らの意思でそういった国民になるよう仕向けられている。学校では教えられないけれど、この国では子どもの権利が厳しく制限されている。国はぼくらの生活を保証すると同時に、いろいろな権利をぼくらから取り上げているんだ。そうやって自由を制限することで、ぼくらを彼らにとって望ましい国民になるよう巧妙に誘導している。この国は民主主義だけれど、その『民』にぼくら子どもは含まれていない。ぼくらは、平等と引き換えに自由を奪われているんだよ」

 アーニーには、スコットの言うことがいまいちわからなかった。彼自身は、勤勉で従順な国民になるつもりなんてなかったし、自分が不自由だとも思わない。たしかに、国や社会に迷惑をかけるようなことをすれば罰が与えられるけど、それは当たり前のことだ。

「外の国はそうじゃないの?」アーニーはたずねた。

「子どもの権利がこれほど認められていない国はないよ。多くの国では、子どもの養育は親の義務だ。子どもがきちんと育てられなければ、親が罰せられる。けれど、この国では、子どもがきちんと——つまり、国にとって望ましい形に——育たなかった場合、罰せられるのは国ではなく子どもなんだ。外国の子どもは親に逆らうことができるけれど、ぼくらは親代わりである国に逆らうことができない」スコットはそういうと、あきらめるように肩をすくめた。

「でも、それって『平等』を実現するためには仕方のないことなんじゃないかな。国に面倒を見てもらってるからこそ、ぼくらは平等でいられる」アーニーは、平等こそがもっとも大切なことだと教えられてきた。そのためなら、ある程度の犠牲は仕方のないことのはずだ。「スコットは、平等よりも自由が欲しいってこと?」

「端的にいえば、そうだ」とスコットは即答する。「それに、この国の平等はまだまだ不完全だ。たしかに、ぼくらは肌の色や性別といった目に見える違いで差別されることはない。でも、遺伝子はそういった目に見える違いだけじゃなく、能力といった目に見えない違いにも影響を及ぼしている。そして、ぼくらは常にそうした能力で区別される。けど、それは本当に肌の色や性別で差別するのと違うものなのか? 結局のところ、どんな遺伝子を持つかは運でしかないし、いくら平等にしようとしても、細かいところで運の要素がなくなるわけじゃない。そんな中途半端なくらいだったら、不自由な平等なんて取っ払って、自由にギャンブルさせてもらう方がいいね」

「スコットは、能力をもっている側の人間じゃないか。そんなギャンブルしなくたって、すでにが決まってる」アーニーがそういうと、スコットは悲しそうに首を横に振り、ぼそりと小さな声でいった。

「ぼくは、ヴァイオリンが弾きたかったんだ」

 その言葉で、アーニーはなぜスコットがこの国をだというのかわかった。

 スコットは去年までヴァイオリンを習っていた。小さなコンクールで賞をもらうくらいにはうまかった。しかし、大きなコンクールで賞を取れるほどではなかった。

 イクエリアの子どもは、幼少期にスポーツと芸術を少なくとも一つずつ習うことになっている。十二歳までは、本人が望めばそれを継続することができる。しかし、十二歳以降も続けるには、実績が必要だった。チャンスは平等に与えられる。そのチャンスをつかめるかは、本人の努力しだいということだ。スポーツや芸術だけでやっていける人は多くない。十二歳以降も継続できるのは、ほんの一握りだった。

 そして、スコットはヴァイオリンを続けることができなかった。少しだけ、実績が足りなかった。最後のコンクールの直前に手を怪我さえしていなければ、続けることができたかもしれない。その意味で、運は彼に味方しなかった。

 スコットがアーニーに背を向けていった。「きみは幸運だ。イクエリアのやり方にことを選べるんだから」

「ぼくは、才能に恵まれたスコットのほうが幸運だと思ってたよ」アーニーは、部屋を出ていくスコットの背中に向かってそういった。

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