死者が見る明日の空

連海里 宙太朗

第1話 死者が見る明日の空

 両手を大きく横に広げ、俺は崖下へと身を投げた。

 水分を失った体は、右へ左へと風に煽られる。

 すぐに地面に叩きつけられ、人生の終焉を迎えると思っていたが――走馬灯だろうか。幼き日のこと、走り回った青い草原。優しく厳しかった両親。そして、最初に死んだ時のこと。

 一生で二度も死ぬなんて……そんな奇妙な人生に苦笑しながら、俺はその時を待っていた。


 遠くから木々のざわめきが聞こえる。風が俺の体を撫でていく感触がするが、汗もかかないこの体にとって心地良さは全く感じられない。

 ゆっくり目を開けると、先日降った雨でぬかるんだ地面に顔を埋めていた。確かに俺は崖から身を投げたはずだ。

 ……死ねなかった。

 どれほど悩んだだろうか。一度死にこんな体にされ、絶望に晒されて再び死のうと決心したのに。

 死ねなかったことを悔やみ、固く閉じた目を開けると、木々の間から差し込んでいた木漏れ日が陰った。

「死ねませんでしたね?」

 凛とした、清流を思わせる声が頭に響いてきた。俺はうつ伏せの状態から、頭だけを上に向けた。

 その声の主は今、俺が感じたイメージを吹き飛ばすには十分だった。

 くぼんだ眼窩。痩せこけた頬に骨と皮だけの、朽ちた木のような肌。

「ひっ……でぇ顔だなぁ」

「あら。そうですか? あなたの顔の方がもっとひどいですよ」

 女はピクリとも表情を変えずに、直立したまま俺を見降ろしそう言い放った。

 俺が女だと分かったのは、耳に付いた美しい黒曜石のピアスに、グアリー王国の女騎士だけが装備することが許される、磨き上げられたプレートメイルを身に着けていたからだ。

 女の装備しているプレートメイルには大小様々な傷が付けられ、いくつもの戦いをくぐり抜けてきたのだろうということが伺える。

「俺を助けたのか?」

 ぱきぱきと朽ちた木のような音を体から発しながら、俺は女の方に体を向けた。

「いいえ。まさかあんな崖から落ちただけで、死ねると思ったのですか?」

 今まで表情を崩さなかった女が、目を細めあからさまに怪訝な表情で俺を睨んだ。すると、腰のあたりに目を落とし、一本のショートソードを手に取ると、俺の目の前に投げた。

 ショートソードはぬかるんだ地面にズグ、と音を立て突き刺さった。

「その剣で首の後ろ……うなじの辺りを切りなさい。それで私たちは安らかな死を迎えることができます」

 女は歯噛みしながら、俺の目を直視していた。

「そうか……」

 俺はそう言いながら、女の投げたショートソードを手に取った。うなじの辺りに刃先を押し付ける。ほとんど感覚が失われたはずだった体にピリッとした感覚が走る。

 女の言うことが本当ならば、このまま横に引き抜けばこの苦しみから解放されるのだろう。

 しかし、俺の手は力を失った。そのままショートソードは地面に落ちる。

 目の前に迫った本物の死。それを受け入れる覚悟は俺には無かった。

「崖から身を投げ、母なる大地に自分の運命を任せるほど楽なことなどありません。死ぬも生きるも全て自ら決めなさい」

 そう言うと、女は地面に落ちたショートソードを拾い、腰の鞘に戻した。

「でも、俺は……お前だって……! 俺たちはリビングデッドなん……だぞ? 人間じゃないんだ。骸なんだ!」

「でも、生きています」

 およそ、生きているとは思えないほどの風貌。後はただ朽ちていくはずだった骸に残った人の意識。しかし、女のくぼんだ眼窩の奥から覗く瞳だけは、生への渇望が見えていた。

「私は希望を持っています。希望がある限り絶望はしません」

 そう言うと、女は俺に背を向け歩き始めた。

「ま、まて! 名前は? お前の名前――」

「人に名乗らせる前に、自ら名乗りなさい!」

 女がぴしゃりと言った。

「お、俺の名はロルフだ」

「シス」

「え?」

「私の名はシスです」

 俺と同じリビングデッド。生前はどんな姿をしていたのだろう。凛とした態度や言葉の節々には内面からは気品のようなものが感じられた。

 シスは、もう話す事はない、と言わんばかりに俺に背を向け歩き始めた。

 俺はそんなシスを呼び止めることもできず、ただ、遠ざかっていく後ろ姿を見つめているだけだった。


 この世界は地獄だ。

 俺自身もリビングデッドとなり、それなりに不幸だとは思うが、命ある人間も負けず劣らず不幸なのだと思う。

 数十年前に突如現れた魔王により、この世界は死と恐怖に陥れられた。

 魔王は自らの軍勢を指揮し、この世界を恐怖に陥れようと、各国の都市や街へと進軍を開始した。わずか数年で人間の世界はほぼ魔王の物になり、人は絶望に打ちひしがれた。

 しかし、人間も無力ではない。

 世界各国の王は魔王討伐の元、一致団結し魔王の軍勢を押し返す事に成功した。

 しかし、その代償は大きく大陸中の都市や街、各村々に至ってまで戦争のつけが回って行った。

 魔王軍による虐殺、疫病、飢饉……など、俺も目を覆いたくなるような場面には何度も遭遇してきた。

 俺が、今いるこの村もそうなのだと思う。元々は比較的大きな村だったのだろう。土壌は肥えており、畑なども大きく、家畜を世話する土地も十分にありそうだった。

 しかし、現在は田畑も荒れ果て、家畜の姿は全く見えない。

 あの女――シスの背中を追い続けた先に行きついたところがこの村だった。

 シスに何かしてほしくて後をついて行ったわけではなかった。シスの言った『希望』と言う言葉が、妙に俺たちの境遇には不釣り合いに感じられてしまったからだ。

 確かに、当初に比べ魔王軍を押し返している現在は、生ある者たちにとっては希望にもなりえるだろう。しかし、俺のようなリビングデッドにはそれが絶望になりえる理由がある。

 荒れ果てた田畑を尻目に、俺は荒廃した村の中へと入って行った。

 魔王が出現する前は、潤っていた村だったのだろう。古くなってはいるが立派な教会に、石造りの集会所まである。水車小屋などは今でも使えるほどにしっかりと整備されている。

 ……と、言うことは今でもこの村には人が住んでいるのだろうか?

 俺は外套のフードを目深にかぶり、さらに村の奥へと歩を進めた。

 村の中央まで来ると、疑問は確信に変わった。

 外側こそ荒れ果てていたが、村の中心に近づくに従い、建物は人の居住に耐えられる程度には整備されていた。

 おそらくこの村にはまだ人がいる。

 と、そのとき、視界の隅で何かが動いた。

 やはり人が……。

 俺がそちらに向くと、腕をだらんと下に伸ばし、よたよたと歩く男が目に移った。俺の気配に気が付いたのか、男は勢いよく首を上げ俺を見据えた。

 くぼんだ眼窩、腐って乾いたような異様な色の皮膚。

 リビングデッドだ。

 その男は小走りに近づいてきたかと思うと急に歩を早め、俺に枯れ木のような腕を伸ばしてきた。

 突然のことに俺は対応できず、そのまま覆いかぶさられてしまった。

「! ぐぁっ……! ぐ……」

 油断した……。こんな所にリビングデッドがいるなんて……!

 男は俺を飲みこまんばかりに、口を大きく開けた。そのまま近づいてくる。比較的自由だった左腕を男の目の前に出し、引き離そうとする。

 が、男は構わず俺の腕に噛みつき、頭を思い切り振り、引きちぎろうとしている。

 俺の腕が、乾いた音を立てた。バキバキと乾いた皮と、骨が砕けている音がする。

 恐ろしいのは、既に腕が千切れそうなくらい噛みつかれているのに、俺は全く痛みを感じていないことだ。生きている死体。リビングデッド。痛みも感覚もなく、ただ意識と記憶だけは人間と同じものを持っている。これは地獄だ。

 目の前の男が噛みつきに集中しているのか、抑えられていた右腕が少しだけ動くようになった。すぐに腰に装着してある短剣を取りだした。

 ――うなじの辺りを切りなさい。

 先ほどのシスの言葉が脳裏をかすめた。

 俺は男の首の後ろに短剣をあて、思い切り横に引き裂いた。

 一瞬男は、噛みつく力を強めたがすぐに力を失い、俺に体を預けてくる。

 俺はそのまま、男の体を跳ねのけた。男はそのまま地面に横たわったままだった。偽りの生を授けられたこの男は、本当に安らかな眠りに付けるのだろうか。

 ふぅ、と一息つき噛みつかれた左腕を見る。

 半分ほど噛みちぎられてしまった。色あせた骨も顔を出し皮と、ほんの少し残った筋肉だけでつながっているようだ。

 その時、俺の背後の民家かの扉が開く音がした。

 千切れかけた腕を、外套の中に隠し顔を見られないようにフードをかぶり直した。

 次第に、ぽつぽつと周りの民家から人々が顔を覗かせていた。

 おそらくこのリビングデッドがこの村に迷い込んできたのだろう。それでこの村の人間は出るに出られなかったのだと思う。

 俺もリビングデッドだ。村の人間が怖がるといけない。早くここを立ち去ろう。

 村人は何かを言いたそうな表情をしていたが、構わず俺はその場を立ち去った。

 

 辺りは夜の帳が落ち、一面の闇に覆われていた。

 俺は火をおこし、何をするでもなくそれこそ朽ち果てた死体のように、ただ座り込んでいた。

 リビングデッドである以上、火をおこした所でこの体に暖かさが沁み渡るわけではない。人であった時の名残で意味なくしていることにすぎない。

 いや、こんな体になろうと夜の闇だけは怖いのかもしれない。

「ロルフ」

 突然自分の名を呼ばれ、飛び上がってしまいそうだった。自分の名を呼ばれるなどリビングデッドになってからは一切無いことだった。

「私も混ぜてもらえますか?」

 美しい声が俺の意識を覚醒させた。

「シス……か」

 シスはふわりと洗練された動きで、火を挟んで俺の対面に座った。

「お茶でもどうですか? 南の方で取れた良質の茶葉ですよ」

 シスは抱えていた革袋から、茶葉を取り出すと手際良くお茶を抽出しカップに注いだ。

「いや。俺はいい。こんな体で内臓なんか動いちゃいないんだ。腹に溜まるだけで出て行っちゃくれないだろう」

「あら……残念」

 シスは自分の分だけのお茶をカップに注いだ。さわやかなお茶の香りが……しているんだろうな、と思うが、リビングデッドには香りは感じられない。

「あの村を救ってくださって、有難うございます」

「見ていたのか?」

「ええ。……と言っても、最後の方だけ。本当はもう少し早く、村に戻る予定だったのですが、遅れてしまいました。

 戻る? 遅れた? リビングデッドなのに帰るところが? リビングデッドはその風貌のため、魔王軍の兵士と間違われることも多い。帰れるところなどないはずだが。

「あのリビングデッド……俺たちとは違ったな……」

「私たちのような人としての意識が残っているリビングデッドの方が珍しいですよ」

 追いつめられた魔王は自らの魔力を使い、死人を無理やり現世に蘇らせた。生者を妬み、害をなすリビングデッド。ただ本能で動き、朽ち果てていくだけの存在……だったはずだった。

「人としての意識など残さず、死んでいった方が楽だったかもしれないな」

 なぜ俺たちのようなリビングデッドが生まれてしまったのかは分からない。生への渇望がそうさせたのだろうか。

「確かにそうかもしれませんね。しかし、私は人として生きろと神に言われた気がします」

 俺はそんなふうには考えることはできない。リビングデッドは魔王の魔力によって生かされている存在だ。魔王が死ねば、俺たちも元の朽ち果てた死体に戻るだけだ。

「あの村は故郷かなんかか?」

「はい」

 この風貌で故郷に帰れると思っているのだろうか。俺たちに生前の面影など全くないはずだ。親が見ても本人だとは気が付かないだろう。

 そんな俺の思考が伝わったかのように、シスは身につけているプレートメイルに触れた。

「このプレートメイルはグアリー王国の正式な女騎士にしか与えられません。しかも、各個人で装飾が違います。私の両親もこの姿を見ています。風貌は違いますが、分かってくれるはずです」

 それが希望か。リビングデッドになり果てたとしても、このプレートメイルを見せれば村に受け入れてもらえるとシスは思っている。

 夢物語だ。この辺りは魔王の居城が近い。シスの故郷の住人たちも散々魔王軍の脅威に晒されてきたはずだ。リビングデッドとなった俺たちでは受け入れてもらえるわけはない。

「その腕……あの時に?」

 シスが表情を曇らせた。

 気が付かないうちに、外套の中に入れていた腕を外に出していたようだ。千切れかけた腕が力なく地面に落ちていた。

「ああ、この腕はもう駄目だな。俺もグアリー王国の兵士として魔王軍との戦いに参加していたんだ。利き腕が駄目になっちゃあ、おしまいだな」

 シスは俺の言葉を聞き終わらないうちに、革袋の中を探り始めた。取り出したのは粘度の高い緑色の液体と、真っ白な麻でできた包帯。

「腕を貸してください。クツキの葉をすりつぶした粘液を千切れたところに塗って、包帯を巻いておけばすぐにくっつきます」

 そう言いながら、シスはてきぱきと、俺の腕の千切れたところにクツキの粘液を塗り始めた。

「おいおい、なんだか適当な体になっちまったなぁ」

 シスは口角をわずかに上げ、微笑んだ。

 風貌はおぞましく、魔物と言うにふさわしかったがシスの内面からは力強い生者の意識が感じられる。

「ふふ。あなたもグアリー王国の兵士だったのですね。階級は?」

「ん……一番下っ端だ」

「そうなのですね。私の部下だったとは」

 シスは妙に嬉しそうに笑った。

「そーですね。騎士様。無礼を働いて申し訳ありませんでした」

 シスは尚も微笑み続けている。

「何がそんなに面白いんだ?」

「うふふ、面白いのではないですよ。嬉しいんです」

「嬉しい?」

「私はリビングデッドになってから人と話すのは初めてなんです。だからロルフと話せることがうれしいのです」

 同じ境遇の者が居る。それはとても力強く希望が湧いてくる。たとえ残り少ない命だとしても……。

 触れているシスの体温は感じることはできない。しかし、温もりは感じられる。

 俺は死のうとしたことなど忘れていた。


「ねぇ、ちゃんと付いて来てくださいね」

「ついてきてって……じゃあ、お前が前を歩けよ」

 シスは俺の外套の端を摘み、後ろからちょこちょこと歩いている。

 行先はシスの故郷の村。昨晩話していた通り、シスが身につけているプレートメイルを見せに両親に会いに行くと言う。

 不安を覚える。本当にシスの両親はプレートメイルを見て自分の娘だと気が付くのだろうか。俺自身もリビングデッドになってから何度か、人間に接触しようとした。結果は散々だった、悪魔、魔物、怪物などと罵られ拒絶された。先日、死を選んだのもそれが原因だったのかもしれない。

 そんな不安をよそに、シスの村はどんどん近付いてくる。

 荒れ果てた田畑。まだ昨日の今日だ。リビングデッドがいなくなったとしても、田畑を耕すほど余裕はないのだろう。

 村に近づくにつれ、なぜか不安が大きくなる。

 全く村の人間が居ないのだ。村に近づけばちらほらと人が居てもいいはずだ。

 その不安はシスの胸にもあるのか。いつの間にか掴んでいた外套を離し、シスは早歩きになっている。俺の前を歩き、今にも走り出していきそうだ。

 不安は的中した。

 村の中央まで来ると、住人の代わりにリビングデッドが村を我が物顔で歩いていた。しかも、一体ではない。十体、いや、三十体程のリビングデッドが村を蹂躙している。

「なぜ……昨日たしかに……」

 俺があまりのことに動くことができずにいると、シスが剣を抜いた。

「うっ……うあああああああ!」

 獣のような咆哮がシスの口から洩れた。

「止めろ! シス。あれだけの数だ。一旦冷静にな……って」

 シスの体を押さえ、その先を見ると昨日、俺がうなじを切り裂き殺したはずのリビングデッドが何事もなかったように歩いていた。

 いや。俺の切りつけたうなじの傷はそのままだ。確かに切りつけている。だったらなぜ?

 痛むはずのない左腕が疼く。

 左腕は利き腕だ。切りつけたのは右腕……。

 まさか……リビングデッドの動きを止めるほどの力を込めることができなかったのか?

 ……悩んでいる暇はない。現実に目の前であれだけのリビングデッドが闊歩しているのだ。

 昨日のリビングデッドが再度動き出したに違いない。安心した住民がリビングデッドに殺されたのだ。

 この辺りは魔王の魔力の影響が届く範囲だ。殺された住民がリビングデッド化したに違いない。

 左腕は? ……動く! 

 俺は剣を抜き、リビングデッドの群れと対峙した。

「シス! 行くぞ! 俺たちが……俺たちがやるんだ」

 俺が言い終わる前に、シスはすでにリビングデッドに切り込んでいた。

「あああああぁあぁぁぁ!」

 魔物のように咆哮しながら、シスはリビングデッドの首を次々とはねていった。

 シスの人としての意識が無くなってしまったかのような戦い方だった。


 気が付いた時には、あれだけいたリビングデッドは完全に動きを止めていた。

 俺は倒れているリビングデッド全てを見て回り、今度こそ完全に息の根が止まっていることを確認した。その後、火を付け全てのリビングデッドを燃やした。

 シスは激しい戦いで消耗したのか、剣を地面に突き立て、なんとか立っている状態だ。消耗したのは体ではなく心の方かもしれない。

 約三十体。ここはシスの故郷だ。シスの知った顔も含まれているに違いない。もっとも、風貌からは生前の人物は分からないが……。

 俺もシスも満身創痍だ。

 シスも支えている腕は無事なものの、反対の腕は何とか皮一枚でつながっている状態だ。肩やわき腹も噛みちぎられ、ぽっかりと空洞になっている。

 俺もシス程ではないにしろ、噛み傷などが体中至る所にある。

「シス。生きてるか?」

「はい。大丈夫です」

 短く言葉を交わす。

 それ以上は何も言えなかった。

 俺が昨日、あの一体のリビングデッドをしっかり始末しておけば、こんなことにはならなかった。俺のせいだ。

「シス……俺――」

「大丈夫ですよ! ……大丈夫です」

 シスはまるで自分に言い聞かせるように声を荒げた。俺はそれ以上、何も言えなかった。

 辺りにはリビングデッド達を焼き尽くした灰が点在していた。何とも言えない匂いが辺りに充満する。

 周りの家には人の気配はするものの、誰一人として出てくるものはない。あたりまえだ。昨日のこともある。おいそれと外に出てくる者などいないだろう。

 シスはよろよろと立ちあがり、歩きにくそうにしながらもどこかに向かっている。

「シス!」

 俺はすぐにシスの元へ駆け寄り肩を貸した。

 シスの左の太ももが大きくえぐれている。これでは歩きにくいのも無理はない。

「シス……すまない。俺のせいだ。俺が昨日……」

「あなたのせいではありません。この辺りは魔王の魔力が及ぶ地域です。いずれこのようなことになっていたでしょう。でも……まだ私は……」

 シスはきつく唇を引き結び、頬を震わせ何かに耐えているようだった。

 故郷の村の人々がリビングデッドになり、誰かに怒りをぶつけたいだろう。それを耐え前を向こうとしている。

「ロルフ。申し訳ありませんが、もう少し肩を貸してはいただけないでしょうか? 行きたいところがあります」

「ああ、もちろんだ」

 ゆっくりと俺はシスの行きたいと言った場所に歩を進めた。

 民家の鎧戸の隙間から俺たちを見る視線に気が付いた。俺たちは村を我が物顔で闊歩していたリビングデッドを撃退したのだ。俺たちもリビングデッドだが、二人きりになったところを襲わないと言うことは、何かしらの期待をしていいと言うことだろうか。

 ゆっくりと歩いていたシスが歩みを止めた。目の前には、どこにでもあるような民家がある。

 シスは俺の元を離れ、民家の玄関までよろよろと歩いて行った。そして、声を張り上げ玄関を叩く。

「お父さん! お母さん! 私だよ! シスだよ。帰ってきたから開けてよ!」

 まるで子供のように泣きじゃくり扉を叩いている。そう言えばシスの年齢は聞いていなかった。リビングデッドの風貌からは年齢は推測できない。その物腰からある程度の年齢かと思っていたが、今のシスの姿を見ると、少女のようにも見える。

 すると、扉が勢いよく開いた。入口には壮年の男性が立っている。

「お父さん!」

 良く見ると、シスの父の後ろには優しそうな女性が立っていた。あれがシスの母親だろうか。

 シスの父は少し後ずさりながら、娘の身につけているプレートメイルを凝視した。

「その装飾は……シスのプレートメイル……?」

 シスの表情にほんの少し生気が宿ったような気がした。

「そうだよ! お父さん。覚えていてくれたんだね。こんな体になっちゃったけど……私、シスだよ!」

 シスが父親に歩み寄る。

 次の瞬間、父親は腕を大きく振り上げ――シスの首筋にナイフを突き立てた。

「う……ぐっ――なん、で?」

「シスっ!」

 シスはそのまま後ろに倒れてきた。俺の腕の中に収まったシスはとても軽かった。

「貴様っ……! シスの……それはシスのプレートメイルだっ! お前ごとき怪物が身につけてよい物ではない!」

「……お父さん……、ち、違うよ。私だよ。シスだよ……」

「ヤメロっ! その薄汚い唸り声をやめろ! 聞くに堪えん!」

 ぶるぶると震える父に、シスは必死に訴えた、がシスの父は聞く耳を持たない。

 唸り声? もしかして……。

 ひょっとしたら俺たちの声は、人の言葉として届いていないのかもしれない。俺もシスもリビングデッドとなってからは会話をしたのは、お互い同士が初めてだ。

 俺は何度も何度も人と会話をしようと近づいていったが、怯え、恐怖しとてもではないが会話をする状態ではなかった。

 リビングデッドは何も感じず、痛みも空腹も渇きも無い。ただ、人の意識を持つのみ。声帯もほとんど機能していないことは考えられる。

 シスと会話しているとき、脳内に響く心地良い声だと思っていたが、それは違ったようだ。魔王の魔力なのかは分からないが、人には俺たちの声は怪物の咆哮のように聞こえているのだろう。

「出ていけ! この村から出ていけ!」

 シスの父は斧を持ち出し、シスの頭めがけ振りかぶった。

 俺はシスを庇い、背中で斧を受けた。鋭い衝撃が走り軽い体は吹き飛ばされた。

「シ……シス。だめだ。この村にはいられない。ここを出よう」

 シスは朦朧とした意識で、小さく頷いた。

「俺が居る。世界中でみんながお前を拒否しても、俺がお前と一緒にいる」

 シスはゆっくりと目を閉じた。


 逃げて、逃げて……どのくらいの間、逃げていたのか分からない。

 周りはいつの間にか暗闇に満ち、狼の声が遠くから聞こえてきた。

 シスは村を出た辺りから一切返事が無い。リビングデッドは体の生命活動が停止しているため、呼吸も体温もない。意識が無ければ生きているのか分からない。

「シス。なあ、おい」

 シスの体を大きく揺さぶる。少しだけ口元が動いた気がした。

「……ん」

「シス!」

 シスはゆっくり目を開けた後、じっと俺の目を見据えた。

「本当にひどい顔ですね。これだけ近くで見ていると、本当に怪物のようです」

 と、言うとシスはニコリと笑った。

「はっ。笑うなよ。ぶっさいくだな」

「む。これでも私はグアリー王国に措いて、史上最年少で騎士の位を授かった才女なのですよ。容姿端麗。頭脳明晰。グアリー王国に咲く一輪の黒バラとは私のことです。あ、ちなみに私は黒髪だったのです。今は艶も無くなって酷いものですが……」

「自分で言うなよ。って、お前一体年はいくつなんだ? この風貌じゃ年は分からないからな」

「十五ですよ。ビックリしましたか?」

「じ……十五? はぁー。俺よりも五つも年下なのか……」

「ハタチでグアリー王国の一般兵ですか? その年でしたらもう少し上の地位にいてもおかしくはないのですが……」

「う……」

 俺たちはお互いの酷い顔を見比べながら、大きな声で笑った。

「さてと、それでは行きましょうか?」

「行くってどこへ?」

「次の目的地ですよ。一緒に来てくれるのではないのですか?」

「いや、そうだけど、目的地があるのか?」

 あれほど打ちのめされ、拒否されて……。それでもシスはまだ希望を持てると言うのだろうか?

「ここからはるか北の国に、人を蘇らせる事の出来る秘術があると聞きます。それがあれば私たちのこの体も元に戻るとは思いませんか?」

 それは俺も聞いたことがある。しかし、その手の話はほとんどが眉唾だ。探しに行くだけ無駄のような気がする。

「シス。お前はなぜそこまで強い? 実の親にまで拒否されて……」

「人は希望があれば絶望はしません。でも、孤独は死の病です。私にはあなたが居る。それだけで私は人として生きていける」

 シスはそれだけ言うと、ポカンとした俺の腕を引き歩き始めた。

 そうだ、孤独ではない。同じ価値観、境遇を共有できる人が一人でもいれば生きていける。

 生きよう。最後まで人として胸を張っていこう。

 大きく息を吐き空を見上げた。満天の星空だ。久しぶりに空を見た気がする。明日はどんな空になっているだろう。

「さあ。行きましょう」

 俺の目にはシスは美しく、輝いて見えた。

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