第12話



「……」


 解体屋と呼ばれたチェーンソウ男は、後ろに手を回し、肩に刺さったドライバーを一気に引き抜いた。ぐじゅっ、と血が飛んだが、彼は顔色一つ変えずに後ろを振り返っていた。

「なんだ。鍵ってドライバーで開いちまうのか?」

 振り返った先には、ユウがいた。けれど、何か様子がおかしい。懐中電灯でかすかに照らされたその顔には、いつもの笑顔はなく、ひどい疲労の色が見えた。心なし息も上がっていて、いつもよりずっと具合が悪そうだった。

「開けられるよ。古い家の鍵なら、尚更ね」

「ふーん」

 ドライバーを投げ捨てると、嬉しそうにチェーンソウのエンジンをかける。彼はもう、痛みも、苦しみも悲しみも、何も感じない人形のようだった。

 焔のような怒り以外は。

「なら、死ね」

 うなりを上げる刃が、ユウに襲いかかる。


 正面から襲ってきた刃を、ユウは紙一重でかわすと、懐中電灯を投げ捨て、いつの間にかもう片方の手に構えていたナイフで男の目元を狙った。チェーンソウ男の方もかがんでそれを避けると、足元を斬ろうとチェーンソウを大きく振り回す。

「お、っと」

 ユウは一歩後ろに飛び退いたが、わずかに遅れ、服の膝のあたりが切れる。

「避けんなクソ野郎」

 子猫を轢き殺そうとする巨大なブルドーザーのように、再び振り上げられた凶器がユウの手元のナイフを狙う。光る切っ先に回転する刃が当たって、小さく火花が飛び散る。欠けたナイフの先が、固い音を立てて床に落ちた。

 チェーンソウ男は獲物を振り回しながら、ひたすら避け続けるユウに向かって叫ぶように尋ねた。

「お前、なんなの? お前も二重人格の仲間?」

「だったら、何?」

「壊れてるくせに、一丁前に仲間意識働かせてるのが気に食わねえ、って話だよ!」

 チェーンソウが朽ちた椅子を捕らえる。刃が木を刻む音と、骨組みの折れる激しい音が響き渡る。

「どーせ、はじめから相手のことなんて思いやれねぇくせによ。自己満足で馴れ合って、満足か? 外面は善人ぶって慰め合ってても、腹の底ではお互いを見下して、嗤ってる。そんな屑が、人並みに愛されるとでも思ってんのかよ?」

 熱に浮かされたように語る彼の背後に回ったユウが、背中にナイフを突き刺そうとしたその瞬間、チェーンソウの化け物は恐ろしいほどの速さで振り返る。

「!」

「遅ぇんだよ、バカ」

 乾いた血の色のブーツが、ユウの腹部を思い切り蹴り飛ばす。

「が、っ……」

 吹っ飛んだユウの身体は、割れたテーブルにぶつかって床に転がり、動かなくなった。

「ユウ!」

 息を潜めていた私は思わず大声で叫んだが、返事はない。チェーンソウ男は尚もユウの方をにらみつけたまま、凶器を持ってゆっくりと歩いて行く。

 男がすぐそばに近寄ったとき、ユウが小さく呟いた。

「……み……けど」

「あ?」

「君は……勘違いしているみたいだけどさ。僕は、その子を可哀想と思ったことなんか、一度もないんだよ」

「へえ」

 どうでもよさそうに相槌を打つ男に向かって、ユウは血の滲んだ唇で微笑んだ。

「新しい生命は……等しく慈しまなければいけないからね」

「なんだそれ。聖書か……ん……?」

 ガクン、と今度はチェーンソウ男が膝をつく。チェーンソウがガシャンと床に落ちる。

「な……くっそ、いてぇ……!」

 男は突然、ドライバーで貫かれた肩と、火傷した腹部を押さえ、痛みに顔を歪ませ始めた。不思議に思っていると、さっき男が立っていた場所に、月明かりに照らされて光るものがあった。見れば、それは小さな銀のペンのようなもので、先が注射針のように尖っている。私はその時理解した。

 背後に回ってナイフを刺そうとした一瞬前、服が焦げて露わになった脇腹に、ユウはこのペン型の注射を刺していたのだ。

「て、めえ……なに、を……」

「打ったのは、ただの鎮静剤。度を超えた怒りは痛みを忘れさせるけど、落ち着いてしまえば、痛みは一気に押し寄せる」

 うつ伏せに倒れ、悲痛な呻き声を上げてのたうち回る男に対して、ユウは重い身体を引きずるようにしてその場に立ち上がり、服の汚れを払う。足元に転がったチェーンソウのエンジンを切ると、部屋の隅へ向けて蹴飛ばした。

「くそ、殺す……ぜってぇ、ころ、して……」

「僕は君みたいな面白い子、殺したくなかったけどね」

 月明かりを手にして立ったユウは淡々と言い、懐から新しいナイフを取り出した。

「何か、言い残すことはあるかな」

「……」

 そう挑発的に言われたら、また怒りに任せて飛びかかるのではないか、と私は恐る恐る男を見ていた。だが、意外にも彼はやすやすと抵抗を諦めた。焼けるような痛みにも慣れてしまったのか、あるいはもう痛がる体力も残っていないのか、徐々にのたうち回るのをやめ、やがて、仰向けに寝転がった。端から見ていても、彼の身体からさっきまでの殺気や生気が急速に失われていくのがわかった。ユウがしゃがみ込んで彼のゴーグルを外しても、腕一本動かそうとしなかった。自分の生死が--命がかかっているというのに、彼はもう、もがきもあがきもしなかった。

「お前、さ……」

 彼は言う。眠る前に絵本をせがむ子供のような無邪気さが、この場には全く不似合いだった。

「うん?」

「お前、稼ぎ、いいだろ?」

「まあね」

「好きな仕事して、金儲けられるって、いいよな」

「そうだね。いい仕事ばかりじゃないけど、天職に就けるのは、やっぱり幸せかな」

「ああ。それが、本当に一番いい……」

 その時、ユウがこちらに向かって手招きをした。ずっと座り込んでいた私は立ち上がって、そばに寄る。ボロボロになったチェーンソウの男の顔は、近くで見ると、なぜだかとても幼く見えた。

「彼の名前はシン。死ぬ前に、彼に言っておくことはある?」

 私は慌てて膝をついて、小さく頭を下げた。

「さっきは騙して、ごめんなさい」

 そう言うと、シンという名前の殺人鬼は、へらりと笑った。

「お前、馬鹿だろ」

「ごめんなさい」

「いいよ。地獄で待っててやる」

「……どうして、そんなに落ち着いてるの?」

 思い切って尋ねると、シンは少しだけ目を丸くして、それから呆れたようにこう答えた。

「だって、そういうものなんだろ」

 

 

 


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