第3話
ここは病院ではなく、協会の施設内らしい。内部に食堂があるらしいので、そこへ向かうことになった。
病院着から、来海たちとおそろいの軍服を模した服に着替えた。協会の制服だとかで、施設内ではこれを着るのがマナーらしい。恥ずかしい。
さっきまでいた医務室を出て、コンクリート打ちっぱなしの廊下を進む。
「食堂以外にも、生活に必要なものは一通りそろってるんだよー。売店とかコインランドリーとか、でっかいお風呂とか!」
「構成員の半数以上が、ここで生活してるからな。寮みたいになってるんだ」
僕も一年前から施設内で生活していたそうで、自室があるらしい。それ親は本当に許可出したのか?
長谷の話では、許可が出ないと住めないということだったが、保守派の両親が、こんな怪し気な団体に息子を預けるだろうか。
そんな疑問を二人にぶつけてみると、来海が言いにくそうに口を開いた。
「……強力な能力者だと、組織の連中に拉致されることもあるからな。そのリスクを説明されたら、了承せざるを得ないんじゃないか。こっちは一応、国に認可を受けた団体だから」
その説明で、やっと納得できた。案外まともな団体なんだな、協会って。組織と五十歩百歩なヤバい団体なのかと思ってた。
協会について色々教えてもらいつつ廊下を進んでいくと、市役所みたいな雰囲気の素朴な食堂が見えてきた。
「もっとおしゃれにしたらいいのにねー」
「おしゃれにしようが客数変わらないんだから、やる意義ないだろ」
「そういう問題じゃなくって!」
長谷が子犬のように来海にじゃれついているのを眺めつつ入店。
白いつるつるした表面の長テーブルが等間隔に並べられ、パイプ椅子に毛が生えた程度の椅子が置いてある。200席はありそうなほど広いが、今は20人ほどしか利用者がいない。向かって右側がカウンターと調理場になっていて、カウンターから注文するスタイルのよう。
「なんにする? 名取くん。私のおすすめはハヤシライス!」
「じゃあそれ」
主体性がないし、おすすめは信頼するタチだ。それに、ハヤシライスは結構好きだった。
支払いは現金じゃなく、ツケ払いだとか。給料から差っ引かれるらしい。
長谷は醤油ラーメン(勧めておいて自分は食べないとは何事だ)で、来海は日替わり定食を頼んでいた。
ハヤシライスの乗ったトレーを受け取る。
「こっち座ろー」
長谷の先導で、適当な席に座る。
おすすめなだけあって、ハヤシライスは美味しかった。
「美味しいでしょー。ちょっとちょーだい」
そういう意図があったらしい。なるほどと思いつつ、長谷が用意良く持ってきていた取り皿に取り分けてやる。
「はい、こっちもどーぞ」
ラーメンを取り分けた皿と交換。ラーメンも案外本格派で、結構いけた。ご飯の心配はなさそうで、ちょっと安心した。
しかしよく考えたら、記憶がないだけで、僕はここで一年間ほど過ごしたらしいし、口に合って当然なのか。おいしいご飯が出てこない団体なんて、一月も持たずに飛び出すだろう。主体性のない性格だが、嫌いな味のものを食べ続ける趣味はない。
僕は食事を堪能した。
その間、何を話したかよく覚えていない。食べることと、周囲に気を配るのに集中していたからだ。
食べている間中、ちらちらと視線を向けられた。食堂にいる、ほぼ全員から。
僕が記憶を失ったことを知っていて、だから見てくるのかもしれないけれど、それにしては不躾だった。心配というよりは、興味本位。
……僕がこの組織の人たちと信頼関係を築き損ねているという可能性も多分にあるけど。
違和感を抱えたまま、僕は長谷と来海に施設を案内してもらって過ごした。
図書室や大浴場、本格的なジムまであって、聞いていた以上に設備は充実していた。そのうち晩御飯の時間になったから、また食堂に行って今度は定食を食べたりした。
「で、ここがお前の部屋な」
最後に案内してもらったのは。寮の自室。ベッドと机、本棚くらいしかない殺風景な部屋だった。備え付けのクローゼットにも、寝間着らしきスエットとジャージ、制服の予備しか入っていない。
「……私物これだけ?」
「あぁ。俺もそんなに持ってないけど、お前は特に少ないな」
この組織は全国に支部があるので、出張とか配置換えで引っ越すことが多いらしい。だから、なるべく私物は少なくしておくのが楽なのだとか。
まぁ、確かに自宅の部屋も、そんなに物はなかった。無趣味だし、物を捨てるのが好きだったから。
「じゃあ、なんか困ったことあったら呼んでくれ」
「あぁ、うん。今日はありがとう」
支給された携帯端末の使い方を教えてくれてから、来海は出ていった。
扉が閉まるのを見届けてから、僕はベッドに腰掛けた。パリパリのシーツに指を這わせる。クリーニングにでも出してくれたのかな。
「……どうすりゃぃいのかな」
こぼれ落ちるように、口から独り言が出てきた。
答えなんてないのに。
考えを振り払うように立ち上がり、お風呂場へ向かった。いい部屋をあてがってもらっていたらしく、この部屋はユニットバス付きである。
シャワーを浴びてしまうと、今日すべきことは何もなくなってしまった。時刻はまだ9時。
本棚にあった本を取り出して、それをぱらぱらと眺める。
すると、ドアをノックする音が聞こえた。扉を開けると、そこに立っていたのは長谷だった。さっきとは違って、部屋着のようなスタイルである。
「やっほー。暇でしょ? コーヒーでも飲まない?」
と、真っ黒いコーヒーが入ったマグカップの乗ったトレーを掲げる。
「……うん、ありがとう」
長谷を部屋の中へ招き入れる。
僕がベッドの上に座り、長谷は机とセットになってる椅子に座った。
「今日は色々連れ回しちゃったけど、疲れてない? 大丈夫?」
「そんなには」
施設内だからエレベーターも使ったし、意外と歩行距離は短い。
「気を使わないで、文句あったらがんがん言っていいんだからね。私達、仲間なんだから」
「別に気を使ってないよ。でも、ありがとう」
気を使ってもらったお礼を言っておくと、長谷は照れくさそうに笑った。
「……不安でしょ? 記憶なくなっちゃって、いきなり知らないところで生活することになって」
「うん、まぁね。早く戻るといいな、記憶。その方が便利だし」
「うんうん、きっと戻るよ」
世間話をしばらくしていると、コーヒーを飲み終わった。
「……ごめん、眠くなってきちゃった」
眠気を訴えると、長谷は立ち上がってマグカップを回収した。
「こちらこそ長居しちゃった。また明日迎えにくるね」
空になったマグカップの乗ったトレーをもって、長谷は出入り口の方へ向かっていく。その背中に、僕は声をかけた。
「最後に聞きたいんだけど、いいかな」
「うん? 私に答えられることならなんでもー」
「なんで、君たちが僕の世話係に選ばれたの?」
長谷は振り返って、にっと笑った。
「一番仲が良かったからだよ。ほぼ同期入会だったんだ」
「……そっか。ありがと。迷惑かけちゃって、ごめんね」
「全然迷惑なんかじゃないよー。友達だもん」
僕はベッドから立ち上がった。
「扉開けるから、ちょっと待ってて。トレー持ったままじゃ、開けづらいでしょ」
「えぇ、いいよぉ。眠いんでしょ?」
いいから、と制止する長谷の横をすり抜けて、出入り口の扉を開けてやった。
「じゃ、また明日迎えに来るね! おやすみー」
「おやすみ、また明日。」
僕は、廊下の向こうに長谷が見えなくなるまで見送った。
それから僕はトイレに行って、胃の中のものをすべて吐き出した。
僕はコーヒーが嫌いだ。
砂糖入れまくったカフェオレならまぁ飲めるけど、ブラックコーヒーなんていうタバコの吸い殻をお茹でといたような飲み物は飲めない。
もちろん、礼儀的な問題で、出先で出されたら口をつける程度のことはする。嫌いな奴の前で、「コーヒーも飲めないのか」と馬鹿にされるのも癪だから全部飲んだこともある。
でも、一年も暮らしている組織の中で、一番仲が良いのに、長谷が僕の嗜好を知らないなんてことがあるだろうか。
ここは何かがおかしい。
今日一日の違和感が気のせいではないということを、コーヒーと胃酸の味が証明してくれた。
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