頭が痛くなることばかり
そこでヴィルディアは、少女が裸足であることに初めて気が付いた。
(岩だらけで危ないから、先に靴を履かすべきだったか? まあ、食事の後でもいいか)
ちらり、ともう一つの袋に視線を向ける。青い袋の中には、少女の衣類が入っている。
老人に少女の服が買える場所を訊いて、案内してもらった店の女店主が選んだものだ。
背丈と服の好みを訊かれたが背丈くらいしか分からなかった。だから、店員に全て任せたもののはたしてあの少女は気に入るか。
(女は服装に拘る生き物だが……趣味に合わなくても着させるが)
ただ靴は大きさは同じでも足の形が違っていたら靴擦れが起きて痛いから、と無難なサンダルにしてもらった。実際に履かないと分からないのは不便なことである。
今度ぜひ連れてきてくださいね、と女店主に言われたが、痩せこけている状態の少女を連れていくのは得策ではない。
あの町には痩せ細った者を見かけなかったので、少女が行けば目立ってしまう。この姿で歩いているときも度々視線を感じていたから、あれ以上の視線を浴びせられることになるだろう。
ちなみに理由は分からない。服も真似ているつもりだが、もしかしたら微妙にセンスがズレていたのかもしれない。
あまり目立つのはよくないので、少女を連れていくのなら今よりも太ってからだ。
(子供は早く成長するから、定期的に服を用意する必要があるな……面倒くさいことだ)
鱗を売って大分懐が潤ったが、このままではいずれ底を尽きてしまう。服は人間の社会でしか手に入れない。それまでに金策を考えなくてはいけない。
(なんで私がここまで考えないといけないのだ)
頭が痛くなってきたところで、少女が戻ってきた。
先程は気にしてはいなかったが、ヴィルディアが食べる分は一個だけだというのに、何故か果物の数が多いように見える。
「おい」
「なに?」
「そんなに食べられるのか?」
「食べられるよ! よゆー!」
少女が自信たっぷりに答えた。
飢えもあるのでたくさん食べられるのかもしれないが、それにしたって籠大盛りは食べられないのでは。
言いたくなるが、今は少女の腹を満たすのが先決だ。ぐっと堪える。
「おとうさん、どれ食べる?」
「どれでもいい」
「それじゃーね……これどーぞ!」
と、差し出されたのは赤くて丸い果物だった。確か、パトラという甘酸っぱい果物だ。
買ってきた果物は、小さい子が好きそうな甘いもの、もしくは甘酸っぱいものだけらしい。これも全て店員が選んだものだ。
なにせ最後に人間の世界に降り立ち、人間の食べ物を口に入れていたのは千年前が最後だ。
その間に様々な種類の果物を栽培するようになったらしく、見たこともない果物や昔とは形も大きさも違う果物が沢山あって、どれがいいのか分からず店員に話しかけられるまで立ちすくんでいた。
今日は店員に聞いてばかりだった。世捨て人だと言い訳をしているが、このまま無知でいると身の上を疑われる可能性がある。こちらとしてもある程度の知識を身につけなければならない。
それは後で考えるべきであり、今はこの少女を満足させないといけない。
果物を受け取ろうとして気が付いた。この身体ではまともに物を食べられない。
食べられないというわけでもないが、この図体だ。こんな小さな果物、一口どころか一飲みして終わりである。
おそらくこの少女が望んでいるのは、そういうことではないだろう。あくまで母親と一緒に食事をしていた時のように、食事をしながら会話をすることを望んでいる。片方の食事が一瞬で終わることではないはずだ。
人とそれほど飲み食いしたことがなかったが、人間という生き物は食事中に会話することで、親睦を深めるらしい。
少女と親睦を深めるつもりは一切ない。だが、仕方ない。先程したばかりだが後で文句を言われては面倒くさい。
ヴィルディアは小さく溜め息をついて、目を瞑って始術“姿変わり”を使った。
徐々に先程していた人間の形になっていくのを感じ、目を開ける。
少女はぽかんと口を開き、ヴィルディアを凝視していた。
なんとまあ、愉快な顔をしている。
そんなことを思いながら、その表情を眺める。しかし、時間が経っても動かないので、少し苛立ち始めた。
「おい」
声を掛けると、少女はハッとした顔になったと思えば目を輝かせた。
「おとうさん、すごい! かっこいい! どうやってしたの?」
「落ち着け。早く食べないと痛むぞ」
「あ」
手に持っていた果物とヴィルディアを交互に見やると、すっと落ち着いてきた。
どうやら好奇心よりも食欲のほうが勝ったらしい。
「はい、どーぞ」
「……ああ」
少女からパトラを受け取り、腰を下ろす。人間の姿で岩肌に座るのは尻と腰に負担が掛かってしまう。
(これは、なにか尻に敷くものを買うべきか)
自分はまだいいが、この少女には住みにくい環境に違いない。服や食料だけではなく、家具も揃わないといけないことに今気付いた。
これは、予想以上に金が尽きるのが早くなりそうだ。
(後延ばしにはできんな……今度行くときには、人間の職業についても調べないといかないか)
などと考えていると、少女がじっとこちらを見ていることに気付いた。目が会うと、少女は少し不安げな顔をした。
「それ、やっぱりきらいだった?」
どうやら一口も食べていないことを気にしているらしい。
「いや、少し考え事をしていただけだ」
そうい言って一口だけパトラを囓る。どちらかというと甘みの強い酸っぱさに、確かに子供が好きな味だな、と納得した。
少女が黄色い果物を手に持ち、齧りつく。汁とか汚れとか、そういうのを気にしないタイプなのか、果汁が口の周りについて、ポタポタと果汁が膝の上と服に落ちていく。
まるで動物みたいな食べ方、いや。動物もここまで汚く食べないだろう。そう思えるほど、少女の食べ方は野生染みていた。
やっとありつけた食物だからマナーも忘れて齧りついているだけか、そもそもマナーを知らないのか。
どちらかは分からないが、もし後者なら、せめて不愉快にならない程度に食事の仕方を教えなければならないのだろうか。
(面倒くさくなったからといって仕方なくここにいることを了承したが…………判断を早まったか)
さらなる面倒事に頭を抱えたくなったが堪えて、プラムをもう一口食する。
少女は早くも一個目を食べ終えて、二個目を手に取っている。
「ゆっくり食べないと、胃がびっくりするぞ」
「ん!」
返事をするとゆっくりとした動作で食べ始める。そういうことではない、と言いたかったが、そういえば、とヴィルディアは今更に気付いた。
おい、と呼ぶだけで、この少女の名前を訊いていなかった、と。
名前に頓着しない質というのもあるが、少女に対して名を訊くほどの興味を持たなかった。
街でも少女のことを話したが、少女の名は、と訊いてくる人間がいなかったので、名前のことがすっかり頭から抜け落ちていた。
いくら不本意なこととはいえ、これから同居人になるだろう相手のことをいつまでも、おい、と呼ぶのは些かが気が引ける。千年前とはいえ、人間の街で暮らしていた名残がひょっこりと顔を出してきた。
「子供よ。お前はなんという名だ?」
すると少女は食べるのをやめて、キョトンとした顔でヴィルディアを凝視した。
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