お留守番

「行っちゃった……」


 少女は大穴から出て行ったヴィルディアを見送ると、肩を落とした。

 とぼとぼ、と岩の柱の影から出て改めて、大穴の底を見渡す。


 大穴の中は暗いが、ヴィルディアが出してくれた光の玉のおかげで、周辺が見える。


 さすがあの大きな躯が入れるだけあって、けっこう広かった。そして、地面が平たい。


(でこぼこだと、痛いもんね)


 そんな風に納得しながら、少女はヴィルディアに教えてもらった抜け穴へと向かった。

 抜け穴は、人が手を加えた様子が全くない、天然の抜け穴だった。地面も壁も凸凹で進みづらかったが、少女にとっては大した問題ではなかった。ただ、力が入らない体が邪魔だった。


 なんとか転けずに、抜け穴を抜ける。


「わぁ……!」


 思わず、感嘆の声が漏れる。そこは、頭上の明かりが必要ないほど明るかった。天井にたくさん張り付いている青く輝く鉱石が、光を発していて、その光を浴びた湖も青く輝いている。


(すごく、きらきらしている……!)


 湖はとても広かった。水面を覗き込むが、魚はいないようだ。底も浅い。


(奥のほうは、深いかな?)


 好奇心が頭を覗かせたが、母の言葉を思い出してぐっと我慢した。


――いい? 好奇心旺盛なのはいいけれど、お母さんと一緒にいないときは、あまり冒険しないでね


 ぎゅっと唇を噛み締める。


(おかあさんは、いない)


 母は自分の傍にいない。今は、冷たい土の中で、眠っている。冒険したいけど、もう出来ない。


 少女は頭をぶんぶんと振った。


 屈んで、湖に手を入れる。気持ちが良くて、ほぅ、と息を漏らす。


 両手で水を掬い、口元に持っていく。ごくごくと飲み干す。久しぶりの水は、まるで搾りたてのジュースのように美味しかった。


 これだけじゃ、足りない。少女は口元を水面に近づけ、まるで動物のように水を飲み始めた。


 ごくごくと飲むたび、喉が潤い、渇いた身体に流れていき、染み渡った。


 身体が少し軽くなったので、今度は顔を洗った。何かが張り付いたかのようにバリバリだった顔が、バリバリがなくなってさっぱりした。


 今度は、身体と髪を洗おうと、服を脱いだ。服は重ね着だったから、脱ぐのに手間が掛かった。重ね着をするときも脱ぐときも、母が手伝ってくれたから、初めて一人で脱いだ。


 なんとか全部脱ぎ終わり、湖の中に入る。浅いから溺れないし、奥の方に行かなかったら大丈夫だ。


 髪をゴシゴシと洗い、頭を振って水気を落とす。次は身体を擦って汚れを落とした。


「きもちい~……」


 こんなにさっぱりしたのは、いつぶりだろう。

 雨が降らなくなったと感じ始めた頃くらいから、こんな風に水浴びをしていなかったような気がする。


(おかあさんにも、してあげたかったな)


 身体をキレイにすることが好きだった母。雨が降らなくなり、水が少なくなった頃から、毎日していた水浴びをしなくなった。


 せめて、ずっと眠りにつく前に、水浴びをしてほしかった。


(こんなに水があったら、おかあさんも起きられたかな)


 同じ土地なのに、あっちには水がなくて、こっちには水がある。この水があっちにあったら、母もずっと眠らなくてよかったかもしれない。


「ううん……もう、おわったことだから……」


 自分に言い聞かせる。

 もう、母はいない。あの街には同情してくれる人はいても、手を差し伸べてくれる人はいなかった。いつだって、あの街の中では母と二人ぼっちだった。


 あの街には母がいない。だから、あの街のことは忘れよう。


 ぶるり、と身震いがした。慌てて湖から出て、水気を飛ばす。拭くものがないので、身体をぶんぶん振り回した。


 ある程度、水気がなくなると、来ていた服を着ようとしたが、躊躇する。


 同じ下着を穿くのは、なんか嫌だった。でも、これしかないから仕方なく穿く。次は、着ていた生贄用の服を見る。暑かったが、汗はそんなに掻いていない。きっと、あの時は夕方で日が沈みかけていたおかげだろう。


 上着のほうはいいか、と下のワンピースだけ着た。


「うん、こっちのほうがいい」


 この衣装を着るとき、下のワンピースだけでいい、と訴えたのだが、決まりだから、と厳しい声で叱られて泣く泣く着せられたのだ。


「こっちのほうが動きやすいのになぁ……なんで、だめだったんだろう……」


 とりあえず上着を畳んで、元の場所に戻ることにした。

 水を飲んだおかげか、体が少し軽い。


 元の場所に戻ったが、まだヴィルディアは戻ってきていなかった。こんなに早く戻るとは思っていないが、ほんの少し期待していた。


「いつ、帰ってくるかなぁ……」


 穴の前で腰を下ろし膝を抱えて、ヴィルディアが出て行った穴を仰ぐ。風の音も聞こえない。とても静かだった。


「どこまで、出かけたのかな……」


 自分が住んでいた街に行ったのだろうか。でも、あそこには食べ物なんて売っていない。売っていたとしても、商人が売っている高いものだけだ。


 でも、あの大きさだから、街には行けない。もしかして、竜の街が存在するのだろうか。


(あるんだったら、行ってみたいなぁ)


 それにはまず。


 少女は、自分の手を見る。以前はふっくらとしていた手と腕は、落ちている木の枝みたいに細くて、物足りない。


 この腕を、前みたいにふっくらにさせよう。


 そう決意して、再び仰ぐ。何もすることないから、ここでじっとヴィルディアの帰りを待つ。


 長く感じるが、退屈ではなかった。でも、とても寂しかった。


「まだかなぁ……」


 待っている中、ある疑問が浮かんだ。


(そういえば、おとうさんはどうして、水があったのを知っていたのかなぁ?)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る