少女、竜を呼ぶ

 少女の言葉に、ヴィルディアは固まった。どうして、そうなるのか分からない。



「ここにいても、不便なことばかりだろうて。人間は人間の社会で生きるのがいい」



 かろうじて絞り出した言葉は、それだった。だが、少女は首を大きく横に振る。



「人間のところに戻るのいやっ! おかあさん以外、優しくないから!」



 少女が頬を膨らませながら、強く言い放つ。



「だが、それはお前の周りだけのことだ。他の街に行けば、きっと優しくしてくれる人もいるだろうて」

「それでもいや!」

「いやって」



 少女は頑なで、ヴィルディアは盛大に溜め息をついた。

 なんかもう、説得するのが面倒になってきた。



「わかった。好きにしろ。ただし、不満があっても私は知らん。その時は他の街に行け」



 投げやりな言葉に、少女は気にすることもなく、むしろ喜色を含んだ顔をして、両手を挙げた。



「やったー!」



 嬉しそうな少女に、ヴィルディアは半眼になる。変わった子供だ。竜と一緒に暮らしたいなどと、奇特すぎるのも程がある。



「竜さん、名前はなんていうの?」

「私の名は、ヴィルディアだ」



 久方ぶりに口にした己の名を聞いて、少女は口を動かした。



「ヴィー……レ?」

「ヴィルディアだ、ヴィルディア」

「びるれあ?」

「……」



 どうやら、発音がしにくいらしい。ヴィルディアは大きく溜め息を吐いた。



「ああ、もう。好きに呼べ」

「好きに? いいの?」

「構わん」



 少女はぱあ、と顔を輝かせて、無垢な笑顔を浮かべた。

「じゃあ、おとうさんって呼ぶ!」

「…………はぁ?」



 素っ頓狂な声が漏れる。

 今、なんて言った。己のことを、おとうさん、と呼ぶと言わなかったか。



「待て待て。なんで、おとうさんなんだ?」



 少女は無邪気に即答する。



「おとうさん呼びっていいなって」



 理由になっていない台詞に、げんなりする。


 生き物は大抵、父と母がいるもの。中には竜のように単独で子を産む生き物もいるが、人間はそうではない。だから、この少女にもれっきとした父親がいるはずだ。



「父親はいるだろう?」



 少女は悲しげに眉を顰めて、俯く。



「あの人のこと、おとうさんって呼べないから」



 呼べない。言葉の感じからして、生きているが事情があって呼べないということだろうか。


 だが、それはヴィルディアにとってどうでも良いことなので、深く考えることを放棄した。



「だからね、竜さんがわたしのおとうさんになってほしいなって」

「意味が分からん……」



 ヴィルディアは項垂れた。だが、好きに呼べと言った以上、覆すのは少し大人げない気がする。それに、この人間の父と認めたわけではないが、別に不愉快ではなかった。



「はぁ……分かった。そう呼べ」

「わーい!」



 少女が嬉しそうに笑う。余程、お父さんに憧れていたのだろうか。


 竜は単独でも卵を産むことができる。雄と雌に分けられているが、あまり意味がないと、ヴィルディアは思っている。



「おとうさん!」

「……なんだ」


「えへへ~。おとうさん!」

「……? ああ」


「おとうさん!」

「……」



 ただ、呼びたいだけか。

 なにがそんなに嬉しいのか分からないが、いつまでも返事し続けるのは面倒くさい。



「はぁ……もう遅い。寝ろ」



 実際に今は夜中だ。魔素の質がそう伝えてくれる。

 だが、少女は吠えた。



「まだおとうさん呼ぶー!」

「明日また呼べばいいだろうに」


「明日、くるか分からないから、今呼ぶ!」

「寝れば、明日なんて来る」

「そんなこと、ないもん」



 少女はどこか泣きそうな声色で、そう呟く。

 盛大な溜め息をして、ヴィルディアは寝る姿勢に入った。



「そうか。私は寝る」

「えぇ~!」

「お前も寝ろ。そして私を起こせ。いいな」



 少女がきょとんとなる。



「起きてくれる?」

「生きているんだ。起きるだろうて」



 適当に返事をして、ヴィルディアは目を瞑る。

 少女が静かになったことを耳で確認し、瞬く間に意識を手放した。






「ねちゃった……」



 ぐぅぐぅ、と寝息を立て始めたヴィルディアに、少女は不満げに頬を膨らます。


 完全に寝入っているのか、発光しなくなった。手探りで顔に近付いて、ぱしぱしと叩いてみるが、起きる気配がない。


 鼻息から漏れる寝息が、湧き上がる不安をなんとか抑えてくれた。



(ねたら、明日がくるって)



 胸がぎゅっとなる。



(おかあさんは、こなかったもん)



 隣で寝ていた母は、二度と目を覚ますことはなかったのだから。


 明日も頑張ろうね、と笑っていた母には明日が来なかった。だから、明日は絶対ではないと知った。


 ヴィルディアは言った。また明日呼べばいい、と。


 もし、来なかったら? 母のように、父となったこの竜も目覚めなかったらどうなるのだろう。また、一人になるのは嫌なってしまう。


 不安に駆られながら、少女はヴィルディアの鼻の上に、上半身を乗っけた。ヴィルディアの鼻は馬のように長くて、少女が母と寝ていたベッドよりも大きい。


 ヴィルディアが呼吸するたびに、揺れる鼻の上になんだか安心して、眠気が襲ってくる。



(こうすれば、きっと……)



 息がしなくなったらすぐ分かって、すぐ起こせる。


 そう思うと、不安が消えていって、怖かった眠りにようやく落ちた。

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