第4話
「資料によると」と、洗足はどこからか持ってきたファイルを開いた。「中に立てこもっているとみられるのは、女(十四)と女(十四)の二名」
「……なるほど」
みなとは、廊下の隅に追いやられた自分の荷物を見ながら言った。荷物たちは寂しそうにひっそりとしている。心境的に言うと、今みなとに一番近しいのはあの荷物たちだった。
「もうちょいいい感じの資料によると、中に立てこもっているとみられるのは戸越露香、
転入生(女、十五)にとっては、それは初めて聞く情報だった。
「そうだったんですか。空いてる部屋とかじゃなくて」
「そのほうが馴染みやすいだろうという寮管の意図があったのではないかと情報筋はみている」
「情報筋……」
情報筋はファイルを閉じると、もう一度扉をノックした。
「開けなさい。抵抗は無駄だ。君たちは完全に包囲されている」
「……あんまりされていない気がしますが。こっちも二人だし」
「いいんだよ、あっちからは見えないし……とにかく開けなさい」
洗足の要求に対し、中から返ってきたのは、
「いやです!」
というシンプルな回答だった。
その頃になると今までどこにいたのか、騒ぎを聞きつけた寮生がわらわらと現れはじめた。服装こそばらばらだが、同じ年頃の同じ性別の、初めて会う子ばかりがこう集まると、みなとはなんとなく気後れを感じた。場違いなかんじ。ペンギンの群れにまぎれこんでしまったペンギンモドキはこんな気持ちになるのではないかと思った。
「どうしたの?」
「立てこもりだって。あ、洗足先輩」
「洗足先輩! どうしたんですか? 何かあったんですか?」
「えー、やっぱりカッコイイ」
洗足はたちまち寮生たちに囲まれ、そのいちいちに対応しはじめた。その輪から離れて、みなとはぼっち感を全身で感じていた。たいへん心細いし、自分の行く先がどうなるのかもわからない。
「あ、ねえ」
みなとが生徒手帳を読むふりをしていると、後ろから声をかけられた。振り向くとそこには知らない顔があった。まあ周りにいるのは一人を除いてだいたい知らない顔なので、振り向こうが前を向こうが横を向こうが仰ぎ見ようが首を伸ばそうがそこには知らない顔があるだろう。
とにかく、みなとは振り向いた。
「転校生?」
みなとを指さしながら、その知らない顔は言った。みなとが頷くと、知らない顔は「おー」と「あー」の中間の声を出しながら、一歩前に進んでみなととの距離をつめた。
「私、
みなとは同じく「おー」と「あー」の中間の声を出し、こちらからも一歩をつめた。いつきはゆったりしたTシャツにボーダーのルームパンツを履いている。そして全体の雰囲気が、みなとにとって親しみのある、『普通の中学生』ぽかった。疲れも相まってだんだん自分がどこかで次元の階段を踏み外した気分になっていたみなとは、現実にうちこまれた楔のようないつきの存在がたまらなく嬉しかった。
「よろしく、私は雪谷みなと」
「わからないことあったら聞いて。ところで、いきなりなんだけど、どうしたの? 何が起きてるの?」
「私にもよくわからないんだけど、私の部屋が204らしいのに、中に入れないの」
「そう」と、いつきはそちらのほうにはあまり関心を示した様子ではなかった。「あと、どうして洗足先輩がいるの? あ、洗足先輩はわかる? あの目立つ人」
「あの、親戚同士が知り合いみたいで、この学校に入ったらいろいろ案内してもらえるようにってことになってて」
「えー、いいなあ」
いつきは唇をややとがらすような格好にして言った。
「どうして?」
「えー、だってさ、すごいやばいじゃん、洗足先輩。芸能人かよってくらいに見た目いいし、頭もめっちゃいいんだよ。ずっと一番で、もともとアメリカの学校行ってたらしくて英語もネイティブ並みだし。英会話のアレックス先生と普通に英語で話してたし。それで運動もすごいできるし、あとおうちもすごくて、おじいさんはあの
「まじかよ」とみなとはうめいた。そんなスーパー超人、現実に存在するのか。そして自分の人生に現れるのか。まだマイナス一億度の何かを放出できる超能力者のほうが現実味がある。
御嶽グループは多くの銀行、証券会社、商社、不動産会社、インフラ、その他もろもろの企業を束ねる冗談のように巨大なグループである。両親の勤めている会社の名前はたしか御嶽金属工業、グループの立派な一員だった。
偉い人の親戚の子。間違ってはいないけれども……とみなとは奥歯を噛みしめた。
「まじよ」
「でも……」みなとは声を落とし、慎重に言葉を選びながら話した。「洗足先輩って、何か……ちょっと普通じゃないっていうか……独特な性格じゃない? まだほんのちょっとしか話してないけど……」
「ああ、まあね」と、いつきは『そんなこと大したことじゃないでしょ』と言いたげに少し首をかしげた。後ろに流して一部を編み込んでいる髪が、動きに合わせて揺れる。
「そんなこと大したことじゃないでしょ。天才はどこか普通じゃないっていうしさ」
「なるほどね」
みなとはそのあたりで一旦止めておいた。そういうかんじか。
しかし情報量が多い。今朝は早かったし、長く電車や新幹線に揺られたしでもうだいぶ疲れている。ここらへんで一旦お茶でも入れたい。一杯の、いい加減の湯で入れた緑茶が飲みたい。みなとは現実逃避気味にそう考えた。そして眼の前の、全体的にごたごたした、部屋にすら入れない状況が、逃避中にうまいことひとりでに解決してくれないかなと考えた。
うすうすわかっていたことではあるが、そんなうまい話はなかった。
「ねえねえ」
疲れを訴える心と体をなだめなだめ、みなとはいつきに話しかけた。
「あの部屋にいる子って、どんな子?」
「204だから、露香・はなだね。露香は足が速い。はなはあんまり速くない」
「足?」
「私サッカー部だから、部員探してて。断られたけど」
「足は今回あんまり関係なさそうかな……ほら、人間性とか……なんで出てこないのかとか……」
「あ、そっち。そう言ってよ。えーとね、露香はね、わりと目立つ感じの、声が大きい、わかる?」
「あー、イベントのときとか仕切る感じ?」
「そうそう、そういうグループ。はなはね、ほわーっとしたかんじで、部活も家庭科部だったかな? だから教室でもグループが違って、めちゃくちゃ仲いいってかんじでもなかった。体育の二人組つくるときとかもだいたい別の相手と組んでるし。でも喧嘩してるってわけでもないみたいだから、珍しいタイプかもね。同部屋だと家族みたいに仲いいか、めっちゃ喧嘩して犬猿の仲かになりがちだから」
みなとはすこし首をかしげた。そして人をうまくよけつつ、204の扉の前に立った。もう一度、大きくノックする。
「あのー。私は雪谷みなとっていって、今日からここに入るはずの者なんですけれども」
「開けないよ」と、先程と同じ声がする。
「でも、開けてもらえないと今夜私の寝る場所がないし、さっきついたばっかなんで少し休みたい気分なので……」
「それでもだめ」
「露香ー、開けたげなよ。どうしたの?」
横からいつきも声をかける。
「だめ」
中から聞こえてくる声は変わりなくきっぱりとしていた。譲る気はみじんもないらしい。みなとといつきは顔を見合わせた。
そこへ、どうやら対応を終えたらしい洗足がやってきた。
「やあやあ、ほっておいてすまないね。開いたかい?」
「まだです」とみなとは答えた。
「理由は聞いた?」
「それが全然、聞いても答えなくって」と今度はいつきが言う。「ところで洗足先輩、今度サッカー部に来てくれませんか? 練習試合しましょうよ」
「いいよー、スカイラブハリケーン決めようね。しかしな、まずはこっちだな」と洗足は扉に手をはわせた。
「おーい、まだ開ける気にはならないかい?」
「なりません!」
洗足はそれを聞いて、扉に背を預けて腕を組んだ。
「どうするかい、みなと君。だめそうだ。そしたらいっそ、別室に行くことにするかい」
「荏原さんが行くことになっていたっていう部屋ですか」
「そうそう。一人にはなるけどね……」
部屋の中からの声が、二人の会話を中断させた。
「それもだめ!」
みなとと洗足は、もう一度顔を見合わせた。
「えーと、じゃあ……私はどうしたら……」
「その、えー、とにかく今はだめだから、一晩どっかに泊まって!」
「はなー、それは無茶だよ。ふたりともどうしたの」
いつきが扉越しに中の二人と話している間に、洗足は廊下の隅に向かい、みなとを手で招いた。
「さてと」
野次馬に聞こえない程度に落とした声で洗足は話した。「どういうことだと思う?」
「どういうこと、というと……」
「二人が立てこもっているのは、どうしてかってことだよ」
「うーん……さっき聞いた話だと、同じ部屋から別れないといけないのが嫌ってことでもなさそうだったんですが」
「ふむふむ。他に何か考えられるかい?」
「えーと。なんでしょうね。めちゃくちゃ部屋が汚くて掃除が終わってないとか」
「なるほど、そういうことも考えられるね。他には?」
「他には……えー……洗足先輩はどうなんです?」と、みなとは逆に聞き返した。
「そうだね。まず、今わかっていることから考えよう。まず、二人は十分な予告期間をもって部屋の移動を告げられていた。にもかかわらず、今の今、君が来てから立てこもるというやり方をしている。もし移動自体に不服があるのなら、もっと前からどこかに話をしているはずだ。そして、先程の『一晩どっかに泊まって』という発言、それに別室へ行くことも阻むような言葉。ここからわかるのは……」
「わかるのは?」
洗足は一度、ゆっくりとまばたきをした。
「なんだか面倒なことになっていそうだから、今ここでぐだぐだやるよりあの扉を開けてその面倒になっている現場を直接見たほうがずっと面白いってことだ」
そう言った洗足は、目をきらきらと輝かせていた。電車のおもちゃを持った子供が、新幹線のホームにいるときにはよくこういう目をしている。
「……は?」
「よし、もう『Why』は終わりだ。これからは『How』、つまりどうあの部屋に突入するか。みなと君、あの扉の前で裸になって踊る気はあるかい?」
「ないです、というか、あの……あちらにも何か事情があるのでしょうし、無理にどうこうするのは……」
「じゃあ天岩戸作戦はやめておこう。まあ事情はあるんだろう、そりゃね。でもその事情があるところが面白いんだと思うよ、僕は。さて……まずは正攻法ということで、204の鍵は持ってるかい?」
「いえ、後で同室の人からもらうように言われて」
「じゃあそれはなし。とすると、何か別の方法でやらないといけないが……ここは二階。入り口はあの扉だけ。あとは裏庭に面した窓、ベランダはなし。それに通気口。……みなと君、爪ほどに小さくなる特殊能力はあるかい?」
「ないです」
「じゃあ通気口もやめておこう。窓は足場がないし……扉にしようか。みなと君、扉をどうにかして開けてみようと試みておいてくれないか。僕は合鍵がないかどうか調べてくる」
そう言い残し、長い髪を優美な曲線を描いてなびかせると、洗足は階段の方へと向かっていった。
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