第3話
みなとが書類を提出し、生徒手帳と制服を受け取り、建学の精神を拝聴し、と転入の手続きを済ませている間、洗足はずっと外で待っていたらしい。みなとが寮の応接室から出てくると、ロビーのソファーに座って洗足が誰かと話しているのが見えた。その誰かは、みなとが近づく前に寮の奥へと行ってしまった。
「や、終わった?」
「はい、ありがとうございます。あの、さっきの人は?」
そう言いながら、みなとは廊下の奥を指さした。
「さっき言った旗ノ台先輩だよ。カカポについて話してたんだ」
「カカポ?」
「ニュージーランドにいる、ころころの飛べないオウムのことさ。猫やネズミやその他たいていの外来生物が天敵なうえに、何年かに一回しか子供をつくらないから絶滅という名の崖っぷちでよろよろしてる」
「へえ、初めて知りました。なんだか惹かれるものがある鳥ですね。でも、なんでその話をしてたんですか?」
「試作機の飛行性能の例えに使ったんだ。さて、君の部屋まで案内するよ。その荷物持とう」
「あ、えーと、ありがとうございます……」少し考えて、みなとは言った。「あの、何て呼べばいいですか? 洗足さん? 茉莉奈さん? 他にあだ名でもありますか?」
洗足は少し考えてから口を開いた。
「なんでもいいけど……リクエストしていいなら、『洗足先輩』と呼んでほしいな。前は外国にいてね、その時から『先輩』って呼ばれ方に憧れてたんだ」
「え、なんでですか?」
「面白いじゃないか、関係性が呼び名につくのって。前に友達に頼んだけど呼んでくれなかったんだ。同じクラスだからって。僕がそれなら『洗足同期』でもいいよって言ったんだけど、共産圏みたいで嫌だって。旗ノ台先輩も『洗足後輩』とは呼んでくれないし。つまり、下の学年にしかこの呼ばれ方を頼めないからね」
因果関係が逆になっている気がしたが、みなとはおとなしく洗足の望みを受け入れた。
「そういうことですか。じゃ、洗足先輩、よろしくお願いします」
洗足がボストンバッグとショルダーバッグを持ってくれたので、みなとの足取りは軽くなった。部屋に行く前にと、洗足は寮の中をざっと案内した。
「ここが大浴場。夜の六時から十時までしか開いてないから、それ以外の時間にお湯を浴びたいときはこの奥のシャワー室を使うといい。朝は戦争だけどね。洗面所は各階にあるから、そっちのほうがアクセスはいい。で、こっちの奥が食堂。朝夜の食事はここでとる。平日、というか学校がある日は何もしなくてもご飯が出るけど、今日みたいな休みで食事がいらないときは前日までに申請しないとめちゃくちゃ怒られるから注意だ」
「あ、そうなんですか」
「うん、休みの日は外出する生徒が多いからね。静かだろ?」
確かに、さっきから一人の生徒にもすれ違わない。午後三時の寮の廊下は、窓から静かに日差しが差し込むだけだった。
「駅まで結構ありましたけど、みんなあそこまで歩くんですか?」
「バスが出るんだ。午前に一便、午後に二便。君は来るとき乗らなかったの?」
「乗れませんでした。新幹線で乗り換え駅について、乗り換え駅で最寄り駅まで行く電車に乗ろうとしたら逃しちゃって。で、次のは一時間半後ってことに駅のホームで待ってる間に気づいたので、最寄り駅についたときにはバスはとっくに行っちゃってました」
「退屈したんじゃないかい?」
「ええ、二十分ほどは。その後ベンチの隣におばあさんが座ってきて、二人で話してたのでそれほどではなかったです。冷凍みかんくれたし。ただ、南部弁っていうんですか、おばあさんの言ってることがさっぱりわからないのが難点でしたけど」
「あれは難しいね。僕もなかなか苦戦した。えっと、君の部屋は何番だっけ?」
「204、です」と、みなとは先程手続きのときにもらった書類を見ながら答えた。
「じゃあ二階か。寮の部屋はだいたい二人部屋になってるんだ。君と同じ部屋になるのは、確か
「わかりました。洗足……先輩も同じ学年の人と二人部屋なんですか?」
「いや、僕は一人なんだ。部屋は二人用だけどね。ちょうど学年の生徒数が奇数だったから」
「それは気楽ですね」
「まあね。でも、ルームメイトがいたほうが楽しいと思うよ」
階段をのぼり、部屋の前につくと、みなとは多少の緊張感とともに部屋の扉をノックした。一度。二度。少し間を開けて三度。返事はなかった。
「あれ……すいませーん」
もう一度ノックを試してみた。やはり返事はない。
「留守……ですかね」
みなとはドアノブをがちゃがちゃやってみた。鍵がかかっている。
「いや、そんなことはないと思うけどね。戸越君も君が来ることは知ってるはずだし。それに……」
そういうと、洗足はみなとの頭越しに、ぺたりと扉に手のひらをくっつけた。
「……中に人がいる気配がするしね」
「え、何それ、スーパーナチュラルですか?」
「いいね、そういうことにしよう。僕はスーパーナチュラルパワー使いだ、技は……技は……こう……一億度の炎を体のいろんなとこから……いややめにしよう、えーと……マイナス一億度の……」
「グダグダじゃないですか。なんで人の気配がわかったんです?」
「だから、マイナス一億度の」
みなとは一瞬迷った。まだ会ってから一時間も経っていない、年上の、これからいろいろとお世話になるかもしれない相手に、どのくらいの距離感で接するのが適切なのかまだ見極めがついていなかった。しかし今までの言動から推測するに、洗足は少しばかり否定的なことを言われたところでたいして気に留めないだろう。そう考えて、みなとは口を開いた。
「スーパーナチュラルはもういいですから」
「人生の面白みの半分をみすみす削ぎ落とすようなことを言うね。そのペティナイフ的な人生観に合わせると、単純に振動が伝わってくるからだよ」
「じゃあ……」
みなとが扉に向き合ったそのとき、中から声が聞こえてきた。しかしその中には、みなとが期待していたような歓迎のニュアンスはまったく含まれていなかった。
「離れて! ここはぜったい開けないから!」
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