第3話

 百子ちゃんと初めて会話した日から数日がたった。

 たまに一緒にいるって言ったけど、本当に『たまに』になってしまっていた。あの時はずっと、付きまとってやろうって思ってたのに。

 なぜたまにになってしまったかといえば、美咲ちゃんがいるからだ。二人でいるところを見られれば、今度は私がいじめられるかもしれない。それは、嫌だった。

 美咲ちゃんがいない所でも、他の女子が見ているかもしれない、美咲ちゃんはリーダー格だから、そういう情報がたれこみされるかもしれない。そう考えると、友達っぽい距離感で一緒にいることは、なかなかできなかった。

 本当に、弱い。情けないな、私。こんなふうにうじうじしている間にも、百子ちゃんはまた、いじめられているのに。

「やっぱり、変わらなきゃいけないよね」

 今度話すとき、百子ちゃんの強さの秘訣を聞いてみよう。そう、決心した。


  ***


 昼休み。次の時間は体育で更衣室に来ていた。

 美咲ちゃんたちは外で遊ぶのが好きだから、すぐに着替えて出て行った。

 更衣室と言っても只の空き教室で、皆が通る通路に面している。そのため、誰かが着替えてドアが開くと着替えが通路から見えてしまう。皆それが少し恥ずかしくて、着替えは手早く済ませていた。

 そんな中、百子ちゃんだけは一切そういうことを気にしなかった。

 ドアが開いても気にしない。皆が上を脱いだら上を着て、下を脱いだら下を履く中、百子ちゃんは全身脱いでから両方着る。

 百子ちゃんは着替えが遅いわけではないけれど、皆が速く着替えるから、更衣室を出るのはいつも最後の方だった。私は、この場で百子ちゃんに話しかけようと、ゆっくり着替える。

 そして遂に、百子ちゃんと私以外の皆が更衣室を出て行った。

 最後に下の体操着を履いて、百子ちゃんを見る。百子ちゃんは下着姿だった。上下共に白地の簡素な下着。白く滑らかな腕と瑞々しい足。その姿はとても綺麗で可愛らしく、同時に何とも言えない悲しさがこみ上げる。

 綺麗な太ももは青痣で濁り、肩も黒く変色している。綺麗だからこそ、その跡が強く胸を締め付けた。

 私は、やっぱり、百子ちゃんを守りたい!

「百子ちゃん!」

 思いが有り余って、大きい声で百子ちゃんを呼んでしまう。外にも聞こえちゃったかな? 少し心配になる。でも、取りあえず、百子ちゃんは振り向いてくれた。

「ごめんね、大きい声出して」

「……どうしたら、百子ちゃんみたいに強くなれるのかな?」

 私の問いに、百子ちゃんはやっぱりやる気のない半眼を向ける。服を手にとったままだから、考えてくれているのかな? とは思った。いや、先に着てくれていいんだけど。

「……分からない」

「心がけていることとか、ないの?」

「ない」

「そっか」

 気の抜けた声が漏れた。百子ちゃんの強さは後から作れる強さじゃなくて、地の強さだってことだろう。百子ちゃんの話を聞けば、強くなれるかもしれないと思っていたけれど、ダメそうだった。

「私、強いの?」

 初めて、百子ちゃんから質問される。落胆した気持ちがちょっとだけ持ち直した。

「強いよ。そんなに傷だらけなのに、いつ見てもしゃんとしてるんだもん」

「それが、私の強さ?」

 私は少し驚いて、目を剥いた。百子ちゃんは、自分が強いということすら分かっていなかったらしい。だったら、もしかしたらまだ、百子ちゃんから強さを引きだせるかもしれない。

「百子ちゃん。言いづらかったらごめん。百子ちゃんはいじめられている時、何を考えているの?」

「何も」

「じゃあ、普段は何を考えているの?」

「何も」

「じゃあ、楽しい事って何?」

「ない」

「じゃあ、百子ちゃんがいじめられても抵抗しない理由って何?」

「理由が無いから」

「え?」

 百子ちゃんが、初めて答えらしい答えを返してくれた。ちゃんとした答えが返って来そうで、期待する。そして、百子ちゃんは言った。


「人はいつか死ぬ。早いか遅いかだけ。死にたくないから痛い。でもどうせ死ぬなら、どうでもいい」


「死を避けようとする理由がない」

 百子ちゃんは初めて口にした長文を、そう締めくくった。

 その答えに、私は、

「そんな訳ないよ……!」

 悲しみがこみ上げた。

「そんな訳ない!」

「生きても死んでもいいなんてある訳ない! 最後は死ぬからどうでもいいなんてある訳ない! それは、心が痛すぎて、そう思うことで、耐えようとしているんだよ!」

 百子ちゃんが強い? 私はバカだ。強くならざるを得なかっただけだった。いじめられて、平気なわけなかった。考え方を変えなければ、自分を認めてあげられなかった。生きていけなかったんだ。

 私の荒げた声にも動じず、百子ちゃんはぼーっとした瞳で私を見つめる。行きつくところまで行ってしまった少女の、無の中にある痛々しさに、私の体は勝手に動いてその体を抱きしめた。

「私が、一緒にいるから。私が、百子ちゃんを守るから。だから、ちゃんと、生きて? 笑って?」

 気付けば、涙が流れていた。両頬を伝う涙は顎先で合わさり、百子ちゃんの白く細い首から背中へと流れた。百子ちゃんはじっとして、未だ解けぬその心に、今度は絶対百子ちゃんを助けて見せると、誓った。

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