第3話

 約束の時間丁度に現れたキョウコと共に、俺は町内会の会長宅にやって来た。生まれてからずっとこの町を出たことがないと普段から自慢げに話す会長なら、何か彼女に関することを知っているのではないかと踏んだのだ。

 会長には事前に電話で連絡し、記憶喪失の患者がこの町で人探しをしているということにしてある。少々強引だが、スムーズに話を進めることができるだろう。

 インターホンを鳴らし問いかける。


「こんにちは、形部です。突然お伺いしてすみません。」

「おお形部先生!どうぞあがって!」


 スピーカから聞こえるがっはっはと豪快な笑い声に、つい、今年七十歳だというのにこんなに元気なのはいいことだと医者らしいことを考えてしまった。


 客間に通されると、会長の奥さんがお茶を運んできてくれた。もちろんキョウコの分はない。俺以外には見えていないのだから。彼女はどうしているかとちらりと見ると、部屋の隅の方で正座をして、なにかを思い出しているような顔で俯いていた。

 ではごゆっくり、と会長の奥さんが部屋からでて行った。足音が遠ざかっていくのを確認し、本題を切り出す。


「それでは会長、先程電話でお話しした件についてですが…」


 持参したカルテを見ながら、患者の記憶が所々曖昧で、探している人の名前や住んでいた家がどこなのか、それが何年前の記憶なのかわからないことを前置きして、まずはキョウコについて説明する。キョウコが探している人を突き止めるには、まずキョウコのことを知らなくてはならない。


「この町に、切れ長の目で鼻は小さめ、唇が薄くて髪の上半分を結った女性が住んでいたことはありませんか。美人で上品な服装だったそうで、おそらく良い家のお嬢様ではないかと。年齢は十代後半から二十代前半だと思います。夏に結婚し幸せな生活を送っていたようですが、どうやら旦那様とは別れて引っ越し、もしくは入院したようです。体が動かせなかったようなので、入院したのではと考えているのですが。」


 会長はふむ、と唸って少々考え込むと話し出した。


「もしかすると、あの町外れにあるお屋敷の奥さんのことかな。確か美代子みよこさんといったか。わしが二十五の頃にどこか遠方からこの町に嫁いできてね、いやぁ、あんな立派な家には美人な嫁さんが来るもんだと噂になったよ。始めは旦那さんとも仲が良くてなぁ。だが…」


 美代子。その名前を聞いてキョウコがハッと顔を上げた。

 会長は少し言いにくそうにこう続ける。


「色々と大変なことが重なったからだろうなぁ。まだ二十代だったのに亡くなったよ。患った病が悪化したらしくてな。」


 知っていますと言いそうになったがグッと堪える。


「色々大変だったというのは?」

「ああ…そういう時代だったから仕方ないのかもしれないが、嫁いできて五年もせずに美代子さんの旦那の会社が倒産してな。金に困ったんだろうな。ついには屋敷も家財も売り払って、美代子さんとまだ小さかった娘を置いて他の女と逃げたんだよ。その後、病気で動けなくなった美代子さんは入院させられて、そのまま亡くなってしまったんだ。娘さんはどこかの施設に預けられたと聞いたよ。」


 なるほど。それは化けて出たくもなる。かなり壮絶な過去だ。

 カルテにとったメモともほぼ一致するので、情報の信憑性は高い。

 話を聞いている間、部屋の隅にいる彼女を気にしていたが、顔からは感情が読み取れない。何かを思い出したのか、それとも逃避しているのか。いずれにせよ、聞きたくない話を聞かせてしまったかと心苦しくなる。


「旦那様がどこに行ったのかはご存知ですか。」

「いや、そこまでは…すまんね。まぁ、屋敷自体はまだ残っているはずだ。外から眺めるだけになるかもしれんが、行ってみるかね。」


 美代子が住んでいたという屋敷の場所を教えてもらい、俺達は会長の家を後にした。旦那の行方はわからなかったものの、かなりの情報を得ることができた。あとで会長にはお礼しなくててはならない。

 あとは彼女の記憶だけが頼りになるのだが、先ほどの様子が気になった。


「屋敷へ行けば思い出したくないことを思い出させてしまうかもしれません。もし同行するのが難しければ、僕一人で調査を進めますよ。」

『いえ、私は大丈夫です。美代子さんのことをもっと思い出したいので、是非同行させてください。』


 美代子さん、美代子さんと楽しそうな彼女を見て、自分のことなのに呑気なもんだと少し呆れたが、とりあえず歩き出す。この時なんとなく感じた違和感の正体に、俺はまだ気づくことができなかった。

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形部医院の幽患カルテ 凩 成 @kogarashinaru

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