第8話 魔法
君には月の世界がお似合いだよ。
そんな言葉に何も返答できず、目線を逸らした。に、と笑ったヴェンデルの腹のうちはわからないが、ともかく、わたしはどっちの世界にも肩入れしたくない。散々、従者たちに忠告されているのだ。
ダンスを踊り終えても、ヴェンデルはわたしの手を離さなかった。
「いくよ」
ヴェンデルにぎゅっと手を握られて、目を閉じる。ごくり、と唾を飲み込んだのは、どうか大騒ぎになっていませんように、という意味だ。どうかメイドや執事がわたしが居ないことに気付いて、パニックになっていませんように…。
ヴェンデルの瞳の中の翡翠が、きらりと揺らめいた気がしたら、私の視界は一気に切り替わった。ふわっとした感覚から、一瞬で足が草を踏む感触。そっと目を開けたら、すっかり住み慣れた屋敷の扉をの方を向く、ヴェンデルの横顔だった。
「お嬢様!」
執事の慌てた声に、振り返る。
パタパタと小走りで近寄る彼の背後の扉は空いており、なんだなんだとたくさんの人が顔を出していた。
「よかった、どこへ行かれたのかと…」
執事がほっと一息ついたその時、誰かの一言で騒然となった。
「…なぜ門番と魔王が共に現れるのだ。まさか、婚約の話は本当なのか?」
——今代の門番は魔界を受けいれたというのか?なぜ共に空から現れるのだ。手を繋いでいる、今から踊るのかも。光の世界を見捨てるのか。魔界に肩入れするのか。なぜ、——…
ヒソヒソと話している人達は、光の世界の人達のようだった。魔界の人達は、何も動じる事なくわたしとヴェンデルを見つめている。
小さな声たちだが、静かな空気の中では声がよく通る。まさか、そっちの話で盛り上がるなんて想像もしていなかったわたしは、思わず固まった。
婚約してません。わたしとこの人には、何もありません。…そんな言葉を発する勇気もない。いっそヒソヒソ話ではなく、正面から聞いて欲しい。そしたら、そうじゃないですよって言えるのに。
思わず執事を見つめるが、彼もまずいという表情をするだけで、わたしと同じだった。ああ、こんな時に「娘はまだ誰とも婚約していませんよ」と宣言してくれる、頼りになる父がいれば。そばにいてくれる、母がいれば。
どうしよう。
思わずぎゅっと手を握ったそのとき、ヴェンデルの手が強く握り返してきた。
「…ユーリお嬢様、この度は道に迷ったわたしをお出迎えいただきありがとうございました」
「…っあ、」
「間に合うかとヒヤヒヤしていました」
ひざをつき、わたしに頭を垂れるその姿に、みんなが黙った。じ、次期魔王様がわたし如きにそんな礼をしていいんですか…わたしも咄嗟に礼の姿勢をとり、感謝をのべる。
助けてくれてありがとう、とは言わないけど。
「ようこそ、お越しくださいました」
そう言うわたしを満足気にみて、彼はひとつの石を取り出しわたしに渡す。
「お誕生日、おめでとうございます」
「これは…?」
「いつでも、魔界の好きな場所へお越しいただけるストーンです。もちろん、わたしのところへも」
「あ、ありがとうございます」
蒼く小さな光を放つストーンは、親指程度の小さなもの。さすがファンタジーゲームの世界。こんなものまであるのか。
ヴェンデルの指輪がきらりと光ると、ストーンも光り形がかわる。みるみるうちにネックレスとなったストーンは、まるで見えない手がわたしの首にかけているかのように浮かび、わたしの胸元に収まった。
おお、すごい。転移魔法もそうだったけど、魔法が使えたらなんでもできそうだ。手を添えると、ほのかにあたたかい。
そのとき、ザッと、芝生をふむ小さな音が聞こえる。わたしが振り返ろうとするタイミングと、ヴェンデルが目をやるタイミングは同じだった。
たくさんの人に囲まれる中心にいる、わたしとヴェンデル。そして、その背後には難しい顔をしたクオードが立っていた。その目はヴェンデルを見ずに、わたしをまっすぐ見つめている。
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