第3話 記憶喪失設定
メイドのあの怯え様から察するに、わたしがろくでもないということは既に確定している。
…でも、イヤだ!折角転生したのに!ろくでもないキャラでいたくない!それに、そのキャラ貫き通したくない!
フリーズしたメイドと共にフリーズしている私が考え抜いた結果は、ひとつしかなかった。
「わたし、記憶がありません」
記憶喪失設定でユーリの全てをやり直そう。
そこからの舘内は嵐のようだった。とりあえず今日は私に来客があるとのことで、メイドにすべての支度を整えられ、朝食のランチを食べさせられている。豪華絢爛な大きな部屋にある、大きな窓から見える景色は、まさにゲームのようなファンタジーだった。すごく興味深いと思ったことは、ちょうど我が家を境目に世界の毛色が二つに分かれていること。例えるなら、光の世界と闇の世界。片方は明るく、太陽が照らす土地と、月が照らす、暗闇の土地。うんうんゲームだからコンセプトはハッキリしてるんだなぁと感心していた矢先。
バァン!と強く食堂の扉が開かれた。立っていたのは、厳しい顔をしたお父様。
「ユーリ、記憶がないというのは誠か」
「は、はい」
「婚約に怖気付いたからではないのか!」
カンカンに怒っているお父様は、後ろから慌てて走ってくるお母様が止めなければ、今にもビンタをしてきそうな剣幕だった。
怖気付いたって、なに?何が?誰が何に?わけもわからず、思わずそばにいるメイドを見上げると、困った顔でそっと耳打ちしてくれた。
「本日は、魔王様の従者がいらっしゃいます。次期魔王様とお嬢様の婚約がどうかとお話が…」
「下がれ、メイド。誰が話していいと言った」
「申し訳ございません旦那様」
思わず手に持っていたフォークを落とす。
——次期魔王様とお嬢様の婚約が…
え?悪役令嬢ってそういうこと?
性格がクソ悪いっていう意味だけじゃなくて、魔王様の婚約者ってことで悪役令嬢?おいおい二重で重ねてくるとか天使くんも中々ユーモアに溢れてる。…てかお父様の態度デカ!まさにこの親がいてのユーリあり。メイドの怯えた姿あり。
…ん?でもよくよく考えるとゲームでは結局主人公がヒーローなわけで、ヒーロー視点から言うと魔王が悪役。その悪役と婚約を結ぶから悪役令嬢。てことはわたしこの婚約を受けるとゆくゆくはヒーローの討伐対象入り?いやいや冗談じゃない!生きるために転生したんですよ!
「なぜ記憶喪失などと…今更になって」
ギリギリと歯ぎしりをしているお父様は、客観的にみるとまるでわたしの心配はしていないようだった。
「それで、お前はその状態でどう答えるつもりなのだ。婚約に」
「…ど、どうも何も、何もわかりません…」
「なるほど、それがお答えですか」
決して大きくはない声量なのに、部屋によく通る澄んだ声に、この部屋は一瞬でひやりとした空気に包まれた。
はらりはらりと黒い羽が舞う先に、今までこの部屋にはいなかった年配の男性が立っていた。にこりと冷たく笑い、壁にもたれてわたしをゆっくり見つめていた。さっきまで威厳の塊だったお父様も、心無しか震えている気がする。小さく絞り出された、申し訳ございません。公爵…という声に、男性は小さく首を振った。
「いいえ、構わないのです。ユーリお嬢様の記憶がなくなったとはお労しい」
「こ、公爵…」
「真実はどうあれ、回答は〝何もわからない。〟ですよね?ユーリお嬢様」
冷たい金色の瞳がわたしを射抜く。でも、お父様が怯えるほどの冷たさはこめられていない。ような気がする。直感的にそう感じた。
いきなりの展開にフリーズしていたわたしは、公爵と呼ばれた男性の言葉の流れのままこくりと頷いた。そんなわたしの反応を見て、公爵は心底残念そうにため息をついた。
「とはいえ、私共もそう易々とこの話を諦めきれません」
「ですので、また判断がつく貴方になった時まで回答の期間を延ばしましょう」
公爵はもう、お父様を見ていない。
カツカツと足をわたしのほうへ真っ直ぐ進めて、スっと懐から1枚の紙を持ち出した。…紙というより、写真?
手渡されたその写真には、ひとりの男の子が写っていた。真っ黒の髪に、真っ黒の瞳。今のわたしと同い歳くらいの男の子。
「次は私を通してではなく、直接お会いするでしょう」
その言葉だけ残し、公爵は消えた。
わたしの返事も聞かず、お父様を見ることも無く、少年の写真だけを置いて。
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