第2話 目覚めは9歳

目が覚めた私はガバッと起き上がる。その勢いで布団がずり落ちたので、きっと今度こそ現実だと思った。ダブル以上のサイズのベッドはふかふかで、部屋は殺風景だが広さはやばい。オフィスの一部屋くらいはありそうだ。

しかしあまりにも見たことの無い景色で驚いたのもつかの間、とんでもない頭痛と共にどっと《記憶》が溢れ出す。


「なつき」だった頃の私。天使くんのかわいい顔。少し離れた場所に置かれた鏡にうつる、頭を抑える新しいわたしの今までの人生。


もちろん、今のわたしがこのベッドに来るまでの流れは、天使くんと会って空に飛ばされて気がついたらこのベッド、という流れで間違いない。〝わたしの人生〟というのは、経験してないけど、たったいま「記憶」として脳の中に溢れ出した新しいわたしのたくさんの過去の映像。お母様の腕に抱かれた、赤ちゃんのわたし。順調に育ち、9歳まで歩んできた日々の数々。

ハイスピードで流れる短編映画のような映像のうしろで、まるで天使くんの声がまだ聞こえるかのようだった。

——いいかい、新たな君はこういう人生を送ってきた設定だからよく覚えておくように。




「お嬢様」


コンコン、とドアのノックと共に、少し高い声で呼びかけられる。


「どうぞ」


「おはようございます」


女性の声にハッとした。

咄嗟に答えたが、あまり誰かわからない。

注意深く見守れば、ゆっくり開けられたドアの先でメイドが深々とお辞儀をした。そして、メイドは顔を上げることなく、つらつらと言葉を並べた。


「本日はお嬢様に来客がごさいます。ご準備のため、お早い時間の訪問をお許しください。わたくしめが、お嬢様のご準備をお手伝いいたします」


決してぶれない直角のお辞儀は元日本人の私から見てもとても不思議だ。目と目を合わせて話をするように教育された元なつきの私にとって、こちらの顔も見ないメイドの姿は違和感しかない。そして、一向に頭も上げてくれそうにない。その体勢はとても話しにくそうだし、腹筋はつきそうだけど苦しそうでなんだか可哀想だった。


「まずはお顔を洗っていただき、その後わたくしめがお持ちしたお洋服へのお着替えをお手伝いいたします。その後、櫛をお持ちしましたのでご退屈かとぞん…」


「あの」


「何か失言がございましたでしょうか、誠に申し訳ございません」


「顔をあげてください」


メイドの体がびくっと震えた。


「…め、滅相もございません。わたくしめのような存在でお嬢様の視界を汚すことはできません」


思わず固まった。

この人が仲のいい人なら、やばーい急に何言ってるの?とケラケラ笑い飛ばすくらいの聞いたことも無いような言葉だけど、なんせ起きたばかりで人との距離感が掴めない。

それボケてるの?つっこむところ?…え、それともガチのやべーヤツ?わたしがやべーヤツだからそんな感じ?


新しい私の名前はユーリ。さっきの記憶によれば、いい所の名家のお嬢様。たしかに鏡に映っていた女の子…というより、わたしの姿は天使くんの言う通り、生前プレイしていたゲームで見たことがある。でも、どんなキャラか、ぶっちゃけ知らない。だって毎日働き詰めでゲームもチャプタークリアで放置してたから。オープニング映像か何かに出てきてた筈だけど。参考にならないおまけ程度の記憶だ。天使くんはプレイしてたからわかってるでしょ的な感じで話してたけど、そんなにプレイしてません。


ううーん、名家のお嬢様だからメイドもいるんだろうし、たかが9歳の女の子にこんなに深々と頭を下げ続けないといけない理由がある、と考えた方が自然?まあ、そもそも、ずっと頭を下げ続けていることが相手への敬意の示し方かどうか、微妙なところだけど。


頑として頭を挙げないメイドにどうしていいかわからず、たまらずわたしはベッドを下りて足を進めた。メイドの目の前で、わたしが足をつき、震えるメイドの手へわたしの手を重ね、顔を覗き込む。


「どうか、おねがい」


「…!」


また、びくりと肩を震わせたメイドが、やっと恐る恐る顔を上げた。その目は本当に恐怖に怯えているような震え方をしていて、あっこれやべーガチのヤツじゃんと思わず言いそうになったが、メイドの小さな呟きで思わず黙る。

…お嬢様、いかがされましたか。いつもとご様子が…

そこまで言ってハッとメイドは口をおさえる。そしてガバッと土下座の体勢になり、叫んだ。


「とんだ失言を!どうか罰はわたくしめにだけに!」


これが漫画なら、きっと今のわたしの背後には驚きとショックで雷が描かれているだろう。ぽろりと驚きで出たような呟きが失言?嘘やろ!驚きのあまり関西弁でも出そうな勢いだ。

最悪なことに、さっきの短編映画では全くそんな気配はなかったが、どうやらろくでもないキャラに転生してしまったよう。年上の優しそうなメイドにこんな態度を取らせてしまうくらいには、やばいヤツ、ユーリちゃん。

違う意味での頭痛がしてきそうだが、そういえば、天使くんの顔にみとれながら回想している時に、あの子は何か言ってなかったか?大切なこと、大切なこと、大切な何か…

「甘やかすとダメだから転生先は悪役令嬢ね」

「ぼんやりしてるとあぼんするよ」

「最後のわがまま聞いてあげるよ」


つまりこういうことだ、天使くん。生前社畜だったわたしは倒れて死亡。転生先はチュートリアルだけプレイしていたゲームのキャラ(悪役令嬢)。なぜ悪役令嬢かというと、転生というラッキーチャンスを得たうえに美味しいポジションだと人生イージーモードでろくなことになりそうじゃない。だからあえてちょっと障害がある悪役令嬢と。…いやどうせならいっそ主人公ポジにしてくれよ!

心の中でつっこみをいれてももう遅い。残念ながら天使くんはもういない。心臓に手を当てるとたしかに動いている。


ぶるぶる震えながら土下座しているメイドをそっと立ち上がらせておいて、とりあえず鏡の自分を凝視した。…目の中に、小さな星がある。

——わがままを聞いてあげるよ。


なんだか夢心地な現在も、にわかには信じられない天使くんとのやり取りも、いまのわたしも、どうやらすべてがリアルのことらしい。

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