第34話 小夜の決断

 紗花が午前中の授業に顔を出すことはなかった。教師は単なる欠席として簡単に処理してしまったが、事態はそんな単純ではない。とうとう紗花に秘密を知られてしまったのだ。


 小夜の姿もなく、二人が一緒にいることは容易に想像できる。二人は親友であり、紗花を助けるのは小夜の役目なのだ。


 対する千里は、当然ながら不透明な未来に不安を感じていた。しかし、紗花を再び泣かせてしまった後悔の方が心の中で強く渦巻いている。関係修復の見込みは欠片もない。


 紗花の泣き顔は今までに何度も見てきたが、今回は状況が全く異なっている。人が傷つくとどうなってしまうのか、千里はよく知っているはずだった。それでも同じ過ちが繰り返されている。


 写真に映っていたのはクリスマスイブの千里と美波で間違いない。服装も一致していて、誰かが隠れて撮影したのだと推測できる。そして、それが誰なのかも見当はついていた。


 あの日、千里は小夜とすれ違った。今まで静観を決め込んでいた理由はさておいて、小夜が解決に動き出したと考えると辻褄は合った。


 小夜が千里の三股をクリスマスイブより前に把握していたならば、三人の誰かと接触することは簡単に予想できたに違いない。そして、小夜ならば紗花ではないことを事前に知ることができる。そうなると千里の行動を読むことはさほど難しくないというわけだった。


 初詣でのやり取りは警告だったのだろうが、千里は聞き入れなかった。見かねた小夜が証拠の写真を提示したのだとすればこの推理は確立する。


 しかし、全てがそれで説明できるわけではなかった。第一に、小夜には紗花が傷つく解決方法を取る理由がないのだ。知り得た事実を話すだけでも効果はあり、紗花が負う傷も小さくて済む。加えて、初詣までは小夜を一番の厄介と千里は考えていたが、小夜の言葉によってむしろ心配が和らいだ。それは、紗花を守るという目的に沿っていない。


 ただ、どんなに思考を巡らせたところで、事実は本人から聞くほかにない。その結果を考慮した上で、早急に栞奈を保護しなければならなかった。


 しかし、昼休みに茜から連絡を受け、その予定は延期されることになった。部室に来てとだけ書かれたメールに恐怖を感じ、最優先で対処するしかなかったのだ。


 部室に急いだ千里は息を切らして扉を開ける。嫌な予感は的中して、そこには目を腫らした茜が立っていた。涙の跡が直前まで泣いていたことを証明している。


 「急に呼びつけてごめん」


 「いや……」


 必死に頭を働かせるも言葉が出てこない。茜の表情を見ているだけで膝は震えた。


 「まどろっこしいのは嫌だから」


 茜はそう言って携帯を操作し、一枚の画像を開いて実験机の上に置く。それは見覚えのある写真だった。


 「これ、説明してくれる?」


 「………」


 茜の目に千里は委縮する。言い訳を考えようとしたものの、すぐに騙し通せないことを直感した。


 「これは……その」


 計画が頓挫した今、一刻も早く三人を嘘の関係から解放しなければならない。しかし、そう分かっていても言葉は出てこなかった。いつの間にか正直さを失ってしまっていたのだ。


 「そっか、言ってくれないんだ」


 千里が何度も言葉を詰まらせていると、茜から大きな溜息が漏れる。そんな中、千里は一枚の紙を手渡された。それは退部届だった。


 「騙して楽しかった?騙されてた私は楽しかったよ。部活仲間ができて、好きな人ができて、千里をもっと知りたくて昨日はあんなことまでした。でも、心の中ではずっと笑ってたんだね。私って騙しやすかったんじゃないかな?」


 茜は自虐的に話す。否定しなければならないが、意味がないと分かると口は動かない。


 「私、本当の千里を知れて嬉しいよ。人ってこんなに汚くなれるんだね。教えてくれてありがとう」


 「そんなつもりは……」


 「何も言わないで。何も聞きたくないから。でもね、これだけはお願い」


 茜は退部届を見つめる。部長の署名欄はすでに埋まっていた。


 「千里には分からないと思うけど、ここは私にとって大切な場所なの。一人になっても頑張って、思い出がたくさん詰まってる。……だから、ほんの少しでも良心があるなら、ここから出て行ってほしい。千里との思い出はいつまでも残り続ける。だけど、この場所を嫌いになりたくないの」


 茜の声は徐々に震えていき、最後は嗚咽を伴った。千里には泣き崩れた茜をどうすることもできない。


 「本当にごめん。騙してたのは間違いない。この写真も確かに僕だ。もう一人は……」


 「知ってる。文化祭の時に来た子でしょ?その時からもう……いやそんなことはどうでもいいや」


 座り込んでいた美波はゆっくりと立ち上がり、荷物を手に取ってふらふらと扉に向かう。ただ、最後に一つの質問を投げかけた。


 「もう千里とは会わない。だから最後に聞いておきたいんだけど……私とその人、どっちが好きだった?」


 今の茜は自暴自棄になっている。千里は少し顔あげてその質問に答えた。


 「……二人とも騙してただけだった。それにもう一人いる。三人とも好きで付き合ってたわけじゃない」


 覚悟を決めた千里はざっくばらんな説明を行う。今の状況で全てを理解してもらうことは不可能である。ただ、時間を貰えれば説明する用意はあった。


 しかし、茜はそれを求めなかった。


 「……そっか。これで嫌いになれる」


 茜はそう言い残して扉を閉める。居心地が良かったはずの部室も味方になってはくれなかった。


 一人になった千里は唇を噛んで感情を落ち着かせた。こうなることは予想していたものの、体験してみると耐えられそうにない。美波にも何かしらの写真が送られていると見て間違いない。そして、同じように関係が破綻する公算が大きかった。


 千里は午後の授業を休むことにした。栞奈にまで影響を波及させるわけにはいかない。一人で熟考できる場所は学校にはなく、ひとまず帰宅することにしたのだ。


 そうして人目を避けて移動していたところ、下駄箱で靴を履き替えていたときに後ろから肩を掴まれた。振り返ると、無表情の小夜が立っていた。


 「紗花に何も言わないの?」


 小夜の一言目は挑発だった。千里は小夜の手を払って言い返す。


 「もう終わった。大林さんが一番分かってるでしょ?」


 「……あの写真、私が送ったと思ってるの?」


 「他に誰が?でも、これは僕が悪い。できるだけの罪滅ぼしは考える。だから今日は帰らせて」


 千里は横を通り過ぎようとするも、小夜はその進路をふさぐ。千里は小夜を睨んだ。


 写真の送り主が小夜だとすれば、謎の男は小夜ではない。すると、小夜の行動は紗花を守るためだと評価すべきである。仮にそれが栞奈を危険に晒す行為だったとしても、何も知らない小夜を責めることはできない。


 しかし、小夜は想像以上に足を踏み込んでいた。


 「あの写真を送ったのは私じゃない。だけど……誰が送ったのかは知ってる」


 断言する小夜に躊躇いは見られない。千里は一瞬声を詰まらせたが、あり得ないと切り捨てた。


 「もういいよ。大林さんは紗花を守ろうとしただけ。もっと仕返しをしないと気が済まない?」


 千里が罰を受けなければならないことはよく分かっている。しかし、小夜の言葉を信じることはできなかった。小夜は紗花を千里から解放したが、最善の方法ではなかったのだ。


 「確かに……」


 小夜は考える素振りを見せる。そして、時間をかけて指摘した。


 「確かに信じられなくても当然だと思う。だけど、はっきり言っておくけど、私は千里君が考える以上に紗花を気にしてた。だからこそ、こうするしかなかったの」


 「どういうことだよ」


 小夜はやや語気を強めて説明するが、千里には意味が分からなかった。矛盾したことを堂々と伝えられていたのだ。


 「紗花をあんな目に遭わせた千里君を本当は殴りたい。……でも、解決のためには私が知ってることを説明しないといけないから。もう一度言うけど、私はその写真を送った人物を知ってる」


 「………」


 千里は頭の中でその言葉を反復して意味を探った。しかし、貴重な時間をかける価値は見い出せなかった。栞奈を守るために行動できる時間は限られているのだ。


 「悪いが、今はそれどころじゃない。紗花のことは任せる。投げ出したって思うならそれでいいし、殴りたいなら殴ってくれ。僕にも事情があった。でも、今は時間がないんだ」


 千里は小夜を押しのけて足を動かす。しかし、またしても小夜は立ちはだかった。


 「知ってるよ、脅迫されてるんでしょ?」


 「……は?」


 「それに逆瀬川栞奈が関わってることも」


 「お前!?」


 栞奈の名前が出た途端、千里は無意識に小夜を下駄箱に押し付けた。短絡的な考えから敵対心を剥き出しにする。


 「痛い!……私が脅迫していたなんて馬鹿なこと考えないでよ!?」


 「どうして栞奈のことを知っているのか説明しろ!」


 千里は聞く耳を持たず、さらに小夜に迫る。理由次第では容赦するつもりはなかった。


 「説明には時間がかかる。それに、私が紗花を傷つけた張本人なわけない。……時間が取れるなら説明できるけど、その前に乱暴しないって約束して」


 「逃げないと約束できるなら離す。それに、納得できる説明があるまでは目の届くところにいてもらう。いいな?」


 小夜の口から栞奈の名前が出たため、千里は小夜が謎の男ではないかと考えた。男は栞奈に暴行を働く旨を伝えてきている。疑惑が晴れるまで自由にするわけにはいかなかった。


 「分かった。だから離して」


 小夜が納得したため千里は手を離す。小夜は逃げるように数歩千里から離れると、スカートの埃を払った。


 「じゃあ、ついてきて。二人きりになれるいい場所があるの」


 「ああ」


 千里は大人しく小夜についていく。小夜が謎の男であれば問題は解決したも同然である。しかし、その可能性を自分で否定していたことを思い出して、今は小夜の説明に期待することにした。


 小夜が向かった先は非常階段の踊り場だった。雪で滑りやすくなっているものの、第三者に話を聞かれることのない場所である。


 「結論だけ簡単に言うよ?」


 「早くしろ」


 小夜は壁にもたれかかって目を瞑る。そして何度か小さく息を吸ってから目を開いた。


 「千里君を脅迫していたのは……逆瀬川栞奈。全ては自作自演だったの」


 小夜の声が冷たい空気をまっすぐ通り抜ける。笑い話にしては冗談がきつすぎた。

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