第29話 12月報告

 男への報告は開口一番が謝罪となった。電話に出るなり、千里は抱えている問題を正直に報告する。


 「……てっきり君はそんなリスクを負わないと考えていたが、よく大胆なことをしたものだ。その肝の据わり方には驚かされる」


 「話した以上のことはない。……このままでは上村紗花との関係が破綻する」


 男は報告を受けても感情の変化を示さなかった。ただ、これを問題として認識していないとは考えにくい。千里は紗花からまだ有力な情報を取り出せておらず、関係が破綻することは紗花にアプローチを全くかけなかったことに等しいのだ。それは懲罰の対象だった。


 懲罰とは言葉にするまでもなく栞奈への攻撃を意味する。男はその点で絶対的に優位であり、そのカードはこれまで温存されてきた。


 「その失態は強く糾弾されるべき内容だ。三人と付き合っていて、もはや限界だったなどとは言わせない。君は三股をしながらある程度の期間を過ごした。不可能でないことは君自身が証明していた」


 男は物腰の柔らかい話し方をしているが、千里としては怒鳴られた方が感情を把握しやすい。いつも通りに話をされると、どのようなことを考えているのか想像がつかなかった。


 「前にも伝えた通り、言われた命令は何でも果たすつもりだ。だからどうか……」


 「この失敗を見逃せと?私がそれを認めるとでも?」


 「栞奈に手を出すのは待ってほしい。……正直どうしたら挽回できるのか分かってない。だけど、他の二人から期待以上の情報を得ることを約束する」


 千里は精神をすり減らしながら現状の打開策を考える。しかし、千里が主張できることは紗花を除いた二人との関係を成功させるということだけだった。小夜は千里の悪事を知って黙ってはいない。


 ただ、男は千里の事情を楽観視しているようだった。決して感情を表に出すことなく千里に指摘する。


 「新しく約束を取り付けようとしても、君が最初の約束を果たせなかった事実に変わりはない。今までの約束を守れなかったのだから、新しく約束を交わしたところでそれを果たせるとは見込めない」


 「………」


 「しかしだ……」


 千里が反論の余地のない正論に閉口していると、男はさらに言葉を続ける。それは予想外の助言だった。


 「クリスマスイブから数日が経って、君は上村紗花やその友人から連絡を受けていない。そうだな?もしかすると、上村紗花はその話をまだ聞いていないかもしれない」


 「それはあり得ない。紗花と小夜は親友なんだ。それに小夜は僕に良い印象を持っていない」


 「それは君が思っていることだろう?本人から直接聞いたのか?」


 状況的な証拠から、千里は芳しくない未来ばかり想像している。しかし、男は確たる証拠がない中で千里の話を信用しなかった。男は千里が築き上げた歪んだ人間関係に一度も触れていない。千里はなにか温度差を感じる。


 「聞いてはいない。ただ、間違いないと言っていい」


 「君の想像など興味ない。私はその可能性が潰えていない限りは全力を尽くせと言っている」


 男は一歩も譲ろうとしない。この強情さは今に始まったことではないが、今回のそれは自分の首を絞めているように見えた。ただ、一度落ち着いて考え直した千里は、男が千里の失敗を黙認している可能性に気付いた。


 「……もし上村紗花が直接そのことで話をしてきたら?」


 「関係を維持できるように全力を尽くせ。どんなに謝罪しても許そうとしないなら、痛めつけて無理やり言いなりにさせろ」


 男の指示は淡々としている。紗花を相手にそんな未来は考えたこともなかった。


 「もしできなかったら?」


 「その時は私が直々に痛めつけてやる。もちろん、対象は栞奈ちゃんになるがそれは仕方ないだろう?」


 男にとって栞奈は人質でしかない。千里が紗花との話し合いに失敗した際には、遺憾なくその手段を選ぶようだった。


 「分かった。そうなるなら紗花を傷つける」


 涙を流す栞奈はもう見たくない。秋に自らの回復を伝えに来た時、栞奈は千里が悩まないようにと笑顔を見せていた。再び栞奈からそれを奪うことは何人にも許されることではない。


 「本当にそんなことができるのか。君はただ巻き込まれただけの上村紗花を傷つけることができるのか?怪しいところだ」


 自分の口で命令しておきながら、男は千里がそれを達成できないと予想する。ただそれは千里も同じで、可能性を吟味している段階ではそんな想像をすることさえできなかった。しかし、千里は断言する。


 「できる。栞奈が傷つけられなくて済むなら」


 「あの時と同じように?」


 「そうだ」


 未来を考えるのではなく、過去を思い出す。あの事件の時、千里は血が沸騰する感覚を初めて知り、明確な殺意を持った。紗花相手でも、目的のためには非情になれるはずだった。


 「そうか。それなら言うことは何もない。上村紗花と話をして、今回の失敗の総評はその結果次第ということにしよう」


 男は簡単に今後の流れをまとめる。千里にとって悪い内容ではなかった。


 「では、幸運を祈っている。またこうして話ができることを期待しているよ。何度も言っている通り、手の尽くしようのない状況に陥った時は報告なしに制裁を下して私は消える。そうならないように頑張ってほしい」


 男はそう言って電話を切る。どうやらすんでのところで最悪の事態は回避されたようだった。


 ただ、この結果を選んだのは千里ではなく男の方だった。男はもっぱら、千里が恋愛関係の要因を解明できるかどうかではなく、紗花を傷つけられるかどうかを行動基準に採用した。それでは目的と方法が逆転してしまっている。


 千里はそのおかげで救われた。栞奈を攻撃するには時期尚早だと男が判断したため、千里に対処の時間が与えられたのだ。今月は恋愛関係の要因を探るという点で大きな収穫はなかった。仮にそこに焦点を当てられていた場合、千里は見限られていたかもしれない。


 千里は一貫して栞奈を守るために行動している。だからこそ、男が方針を変えた理由を理解できなかった。千里のこの疑念が正しかった場合、男の真の目的が恋愛関係の要因を探ることではないと証明されてしまうのだ。


 年末の下手良は酷い吹雪に見舞われている。来月からは、さらに予測不可能で苦痛を伴う生活が予想された。

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