第14話 7月報告

 七月が残り数日となっても、千里は電話を待ち続けていた。紗花との交際という結果がある限り、必ず電話はかかってくる。そう考えていた千里の焦りは大きくなっていく。


 今月の結果次第では恐ろしい未来が訪れる。男はそのように強く脅迫していたが、千里はそれを回避できたと確信している。だからこそ、連絡が来ない状況が受け入れられなかった。


 七月の最終日、千里は目覚めた瞬間から携帯を肌身離さなかった。それで何かが変わるわけではない。しかし、そうしていないと動揺を抑えられそうになかったのだ。すでに栞奈が傷ついているかもしれないとも考えてしまう。


 男が栞奈を攻撃すれば、千里はそれ相応の態度で臨むつもりでいる。栞奈を守るために故郷を離れた千里には全てを捨てる覚悟があるのだ。


 しかし、男がそんな選択をしなければ栞奈が傷つくことはない。そんな未来がある限り、千里は待つしかなかった。


 男から連絡があったのは、あと数十分で八月を迎える真夜中のことだった。そんな時間でも千里はワンコールで出て、高鳴る心臓の音が伝わらないように自分の太ももに爪を立てた。


 「早いな。ずっと待っていたのか?」


 「ああ」


 千里を見下す声が響く。千里の口からは自然と安堵の声が漏れた。


 「すまないね。君を焦らそうとしたわけではないよ。こっちはこっちでいろいろ忙しくてね。……たいそう待ち侘びていたようだ」


 「当たり前だ。電話がなければどうしてやろうかとずっと考えていた」


 千里は声を抑えて男への敵対心を露わにする。男はそれを聞いて笑った。


 「さて、本題に入ろうか。私がこうして電話をしたのだから分かっていると思うが、ちゃんと説明はしてもらう。今月の進展を聞かせろ」


 声を上擦らせる男が報告を求める。そんな態度に千里は怒りを感じたが、成果をふいにすることはないと考えて話し始めた。


 「知っての通り、上村紗花と付き合うことになった。これが今月一番の成果だ」


 「君にしては大胆じゃないか。てっきり野依茜が一番だと思っていたが」


 「こっちから何かをしたわけではないというのが本音だ。向こうから告白をされた」


 千里は正直に成り行きを報告する。すると、男は途端に反応しなくなった。


 「……まさか僕の成果ではないと言って評価しないつもりか?」


 「はは、まさか。経緯がどうであれ結果が全て。私の要求に直接的な影響を与えなければ気にはしない。ただ……」


 「ただ?」


 千里は話を続けるように催促する。男のペースに乗せられてはいけない。常に不利な立場にいる千里には上手な立ち回りが求められるのだ。しかし、千里が注意しても男を制御することはできなかった。


 「ただ、君にそんな意図が全くなかったとしても、人は理由なしに誰かを好きになったりはしない。きっと、君が無意識に何かをしていたというのが真実だろう。……どうだい?心当たりはないかい?」


 おそらく機械で加工されている声。それでも、口調が鋭さを増していることに千里は気付いた。同時に底知れない恐怖が襲ってくる。


 「この約束があって上村さんを意識していたのは間違いない。ただ、あくまでも意識していただけだ。クラスメイト以上の関係を持ったことはなかった」


 嘘をついても仕方がない。男は事情を把握して電話をかけており、簡単に見破られるような嘘をついて自分の首を絞める必要はなかったのだ。それでも、男の感情の揺れは大きくなっていく。


 「君たちが二人きりで話しているときの内容まで私は把握できない。そこで何の話をしてどんな出来事があったのかまで知らない。……そんな中で、そんな中でだ。君が何らかのアプローチをしていた可能性がある!違うかい!?」


 最後は叫んでいるのではないかと思うほどの大きな声だった。今までにも叫ばれたり怒鳴られたりしたことはあったが、今回は明らかに様子がおかしい。


 「何が言いたい?なぜ怒ってる?仮にそんなことがあったとして問題があるのか?」


 男の不満は納得できない。千里は明確なアプローチをかけていないと説明しただけなのだ。男の態度は一貫性を持っていない。そのことは千里を酷く混乱させた。


 ただ、男はすぐに冷静さを取り戻した。


 「隠し事をしようとするなと言っただけだ。君は栞奈ちゃんが大切なのだろう?そうでなければこの脅迫は成立しなくなる」


 「どういうことだ?」


 「つまり、三人の誰かと現を抜かして栞奈ちゃんを蔑ろにされては問題があるということだ。三人との関係はフェイク。それを忘れてもらっては困る」


 男は最後に小さな笑い声をあげる。千里は男の自分勝手な言い草に閉口するしかない。それでも、そんな人間だからこそこんなことができるのだろうと感じた。


 「そんな心配は必要ない。あんたは栞奈を道具としか思ってないんだろうが、僕は違う。僕がこんな馬鹿げたことに協力している理由を甘く見ないで欲しい」


 三人には申し訳ないが、千里にとっての一番は栞奈である。三人に恨まれたとしても、栞奈だけは狂った男に触れさせるわけにはいかない。男は千里の決意を過小評価しているようだった。


 「そうか。それを聞けて安心したよ。しかし、最終目標はまだまだ先だ。付き合ったくらいで良い気になってはいけない」


 「分かっている。あんたは僕に電話した。それはつまり、現状は満足しているということだ。いちいち文句を言ってくる必要はない」


 男は必要以上に千里に干渉しようとしている。その点が千里を苛立たせていた。すると、千里の反抗的な態度に男は怒った。


 「ふん、やけに図々しい。先月、全く結果を出せずに穏便な対処を求めてきたのはどこの誰だったか。それにもかかわらず、結果が出ると途端に文句を突き付けて自分が正しいと主張を始める!馬鹿げていると思わないかい!?」


 激高する男の声は音割れを起こす。


 「……僕は自分の正当性を理解させたいわけじゃない。約束は対等にあるべきだと言っているだけだ。確かに僕は栞奈のことで弱みを握られている。だけど、約束が履行されている限り、それは棚に置かれているべきだと思う。そうでないと、僕がどんな反抗を企てるか分からずあんたも困るはずだ」


 千里は興奮している男に論理を突き付ける。意味を成さないかもしれなかったが、約束を履行していくためにはひとかけらの信頼でさえ必要になってくるのだ。男にも譲歩しなければならない事情はあるはずだった。


 「そうかい。……分かったよ。そう言うのなら過剰な詮索はしないでおこう。確かに今月の君は私の求めに応じた。これを維持できるなら、私も君の言葉に従うことにしよう」


 「それはどうも」


 男が落ち着いたため、千里も反発を止める。考えを理解することは到底できそうにないが、妥協点を見つけられたことは意外だった。


 「これ以上はお互いの心労になるだけだ。だから話はここまでにしよう。来月も同等の結果を期待している」


 「分かった」


 「それじゃ」


 電話は男から切らなければならない。千里はいつものように電話が切れるのを辛抱強く待った。しかし、しばらくして聞こえてきたのは再び男の声だった。


 「そういえば一つ大切なことを聞き忘れていたよ」


 「なんだ」


 まだ何かあるのかと千里はうんざりする。男はそんなことお構いなしに一つの質問をした。


 「一体どこで告白されたんだい?」


 「え?」


 その質問は千里にとってあまりにも意外なものだった。


 「どうしてそんなことを聞く?知らないのか?」


 男は常に千里を監視している。その規模は定かではないが、告白された事実を把握できたからこそ電話をかけてきているのだ。千里と紗花はこのことを誰にも言っていないはずで、そうなれば男が現場を見ていたとしか考えられなかった。


 しかし、千里の深い考察とは裏腹に男は簡単に返答した。


 「告白されたとき周囲に誰かいたのかい?普通は二人きりになれるように心掛けるだろう。……どうだい?誰かそばにいたかい?」


 「いや……」


 千里は二人きりだったことを思い出す。男の言い分は正しかった。


 「それなら、どうやってこのことを知った?」


 もっともらしいことを伝えられた千里であるが、一番肝心なことが明らかになっていない。情報がどこから漏れたのかということが、千里にとって重要だった。


 「それは秘密だ。些細な手掛かりから私にたどり着くようなことがあれば、きっと君は傘で私を半殺しにするだろうからね。でも、君が告白された瞬間を知らないことは事実だ。だからどこだったのか気になってね」


 「僕が嘘をついていたらどうする?」


 「君は嘘をつかない。そんなリスクを負うわけがない」


 男は断言し、千里はそれに頷くしかない。正直に伝えるしかなかった。


 「市内の大学の敷地内。牧草地を歩く牛とビル群を同時に見られる場所だ」


 「へえ、あまりロマンチックな雰囲気ではなさそうだ。……まあいい、案外面白い回答だ。それじゃ、来月も期待している」


 男はそう言って、今度はしっかりと電話を切る。千里はそれを確認して携帯を耳から離した。


 今日の男は感情的だった。ただ、千里にはその理由を推察することもできない。男の感情の揺れが悪影響を及ぼさないことを願うほかなかった。

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