第7話 報告と叱責

 謎の男からの連絡は千里の油断をついて訪れた。前回と同じく校門を出た瞬間に携帯が鳴り響き、千里は慌てて校舎裏に飛び込む。電話に出られなければ約束を反故にしたものと認識されるため、悠長にしている暇はなかった。


 「北山千里か」


 機械のような男の声が響き、千里は脅迫という事実を肌で感じて震える。しかし、男に対する怒りも同時に湧き上がった。


 「そうだ」


 返答が力強くなる。男の極端な不干渉は疑問に値する。怯えるだけでは問題を解決できないこともあって、千里は気持ちを昂らせていた。


 「どうした。声を張って何かあったのか」


 「…………」


 「無視するな。私の言葉を無視するなと前回……この約束はしたかな?まあいい、これからは私の質問に答えなかった場合も代償を支払ってもらうことにしようか」


 男は一人で話を進める。千里はここで口を開いた。


 「もう一度聞く。お前は一体誰だ?いい加減にしろよ」


 「おや?」


 「一ヶ月経っておかしいと気付いた。……もうこんなことはやめる。電話も今回で終わりだ」


 千里は一方的に言い放つ。男は正確な情報を武器にしていて、先月の千里はその前に良いなりになるしかなかった。しかし、男が電話でしか介入できないことを見出した千里は、それが男の弱点であることに気付いたのだ。


 男も約束を取り付けるにあたってリスクを負っている。脅迫という違法行為が露呈した場合、男もただでは済まない身なのだ。栞奈の過去を持ち出して千里が服従するかなど接触前の男には分からない。男はそれでも脅迫し、自らの計画に欠陥を作っていた。


 計画の脆弱性を指摘することで千里の状況は改善される可能性があった。それに伴って男の判断が鈍れば、あとは警察に申告することで解決できる。栞奈を利用して私欲を満たそうとする男の断罪方法としては適切だった。


 「……どうした?何か言ったらどうだ。よく考えるとおかしなことばかりだった。お前の勝手に付き合う必要はどこにもなかったんだ」


 計画の綻びに気付いたためか男は反応を示さない。ただ、千里に男を脅迫するつもりはない。栞奈を人質にされたことは許せないが、男に罰を与えるのは千里の仕事ではないのだ。


 男が声を出したのは、千里が辛抱強く沈黙に耐えていたときだった。


 「……私の君に対する評価を教えようか?」


 「はあ?」


 「失望だよ!」


 突然、男は大きな声で叫んだ。千里は驚きのあまり電話から耳を離す。


 「そうか、君は約束を守れないというのか。……それが何を意味するのか分かっていながら?」


 「分かっていないのはお前だ。お前は栞奈をよく知っている。だからなんだ?栞奈が守られる保証なんてどこにもないじゃないか。僕が言いなりになっている限り、リスクはこちらにしかないのかもしれない。だけど、僕が反抗すればお前もリスクを背負うことになる。違うか?」


 男に主導権を渡すわけにはいかない。中途半端な行動は自分の首を絞めるだけなのだ。


 最初こそ声を荒げた男だったが、それからは大人しく千里の話を聞いていた。千里の更なる反抗は予想していなかったのかもしれない。


 ただ、千里の希望的観測は一瞬で裏切られた。


 「リスクで話をするか。面白い。私にも相応のリスクがあると?」


 「そうだ」


 「よく考えてみろよ間抜け。確かに私はリスクを負っているのだろう。たとえ非通知であっても、君が警察に相談すれば特定される。それを私のリスクだと言うのなら認めよう」


 男は千里が考えていた通りのことを口にする。短慮なわけではなかった。


 「それでだ、今の君のリスクは何だ?私のリスクよりも小さいのか?」


 「何が言いたい?」


 「分からないのか?私の反論を予想することなく盾ついたのだとすれば、君の頭が心配だ」


 男は冷静な声音で諭すように話す。千里が考えなしに啖呵を切ったことを完全に見破っていた。


 「私の脅迫を言葉のまま受け止めてはいないだろうね。栞奈ちゃんの過去を晒す。私にはたったそれだけの手段しかないと?」


 「………」


 違うのかと言いかけて何とか思いとどまる。先月の千里は脅迫によって行動を束縛され続けたが、男はそれで終わらせるつもりなどないようだったのだ。


 「君は本当に馬鹿だな。どうして栞奈ちゃんが危険に晒される舞台が仮想世界だけだと思うんだ?」


 「は?」


 「今日は四門隅しもんずみ公園まで出かけていた。君は遠出だと思うか?」


 「……なんだと?」


 聞き覚えのある名前に千里は声を震わせる。


 「私は普通だと思うが、外の世界に怯えていた栞奈ちゃんにしてみれば遠出かもしれない。……懲りずに一人で外出する理由は何だろうか?」


 「黙れ。そんなことできるはず……」


 「できるはずがないと言い切れるか?それなら勝手に思えばいい。今日の君は私を怒らせた。態度を改めないのなら、栞奈ちゃんが更に苦しむことを黙認したと判断する。それでいいんだな?」


 男の脅迫は過激度を増す。本当はすでに暗示されていたのかもしれなかったが千里は気付けなかった。現実的な栞奈への危険性は、もはや恐怖という域を超えている。


 「……でも、そんなことをするメリットが」


 後がなくなった千里は何とか言い返す。しかし、男はそんな千里を地面に叩きつけた。


 「いい加減メリットで話をするな。耳障りだ。自暴自棄になっている理由が引き際を失ったからだとすれば、私がここまでしている理由もそれに近い。利益で人を動かせるのはそいつが物事を進める前に限る。一度動き始めてしまった以上、どんなに喚いたところで私の考えは変わらない」


 男はそう言って鼻を鳴らす。論争に勝利したことを確信したようだった。事実、千里にこれ以上の抵抗はできない。


 四門隅公園は千里の故郷にある大きな広場のことである。一部が山に繋がる雑木林となっていて、頻繁に野生動物が出現することで知られていた。珍しい名前のため他の公園と混同しているとは考えづらい。栞奈の家から離れておらず、簡単に嘘だと切り捨てることはできなかった。


 「分かっただろう?不毛な考えは誰も幸せにしない。ましてや好きな人が再び……なんて耐えられないだろう?」


 「………」


 「無粋なことは聞いてくれるな。だからこそこの脅迫は成立している」


 男の言い分は的を射ていた。情報だけが男の武器だと見込んでいた千里の考えは違っていたのだ。稚拙な行動を後悔してももう遅い。


 「……さて、もう一度聞いておこう。君は約束を守ってくれるのか?知っての通り、些細なことのために私は覚悟を決めている。協力しないのなら君に襲いかかるのは脅迫ではなくなるだろう」


 「僕は明確に逆らった。それなのにどうして約束を維持しようとする?自分で言っていたはずだ。反抗すると罰を受けると」


 今の千里に約束を破るつもりなどない。男の危険性を見誤っていた千里はそんな浅はかな考えを捨てた。しかし、落とし前を求められてもおかしくなかったのだ。


 「確かに言った。だが、君はもう私に反抗しない。そうだろう?」


 「ああ」


 「それなら構わない。本気だと分かってくれたのなら私にとっても有益なことだ」


 「なぜ?」


 千里は納得がいかない。裏切りさえしなければ反抗を認めると言っているように聞こえたのだ。ただ、男はそんな疑問を持つことさえ許さなかった。


 「容赦もこんな長電話もこれが最後だ。まだ今月の進捗を聞けてさえいないじゃないか。……ただ、私は君を信頼している」


 「なぜそれができる?」


 「君の目的が明らかだからだ。あの事件から、君は栞奈ちゃんの絶望を酷く怖れている」


 男は千里の心を読み取る。男の認識は全てが正しく、千里は矛盾を見つけられなかった。それは逆らえないことを意味している。


 「……分かった」


 「よし、それでは今月の進捗を話せ。せっかく私の免罪を受けたんだ。失望させないでくれよ」


 男の機嫌は悪くないものの決して話しやすい雰囲気でもない。男と違って何も理解できていない千里は状況の把握に苦しんだ。


 「上村さんとは友人になった。野依さんとは化学部に入部してからある程度……、もう一人とはまだ会っていない」


 千里の報告は数秒で終わる。短い沈黙が訪れた後に男は大きな溜息を漏らした。


 「君はそれを報告というのか?」


 「嘘はついていない」


 千里はその場しのぎをしているわけではない。しかし、問題はそこではなかった。


 「私の話を聞いていなかったのか?進展がなければ罰を受けてもらうと言ったはずだ」


 「ああ、覚えている」


 「その裁量は私がするということも覚えているか?」


 「もちろんだ」


 当初の千里は男の正体を暴くことで問題解決を図ろうとした。その過程で脅迫の内容はしっかりと頭に焼き付いている。


 「そんな報告で満足すると思ったのか?」


 男は苛立っているようだった。その時になって千里は指摘されていることを理解した。


 「進展していないと?」


 「当たり前だ!一体何をしていた?」


 男は再び声を荒げる。クラスメイトと他愛のない会話をして、部活の先輩と一般的な関係を築いた。それは男の要求を全く満たしてはいなかったのだ。


 「……すでに恋愛関係を作り上げていると思われても困る」


 「そんな無茶は最初から押しつけていない。報告とは過程も話さなければ意味がない。そんなことも分からないのか?」


 「お前は僕を観察している。話す必要もないだろう」


 男の言葉を信じれば千里は常に監視されている。それならば、男が千里の口から過程を聞く必要はなかった。しかし、千里の見解に男は笑った。


 「君は私の正体に気がついているのか?」


 「気がついていたら捕まえて殴ってる」


 「そうだろう?それはつまり、私がいつも君の近くにいるわけではないということだ。さすがの君でも同じ奴がずっと近くにいると気付くに違いない」


 男の正論に千里は黙る。男は千里を監視しているものの、全て把握しているわけではないらしかった。


 「何を話せば良い?」


 「私が知らない全てだ。誇張せずあったことを順番に説明しろ」


 男の要求は再び千里を困らせる。男が何を知っているかなど見当もつかないのだ。そのため、千里はあったこと全てを説明することになった。とはいえ、紗花と駅近くで偶然会ったことや、部活中の茜とのやり取り以外に話すことはない。男はそれを聞いて舌打ちをした。


 「想像以上に暢気だな君は。怯えている割には私に対してどこか威圧的だ。まさかまだ疑っていたりするのか?不毛な……」


 「そんなことない。言った通り、栞奈には関わって欲しくない。仮に栞奈に手を出せば、必ず見つけ出して栞奈が受けた以上の痛みを受けさせる。……ただ、そうならないようにこうして約束を果たしているんだ」


 「その言葉は脅しているように聞こえるが?……まあ、何はともあれ出来が良くない。このままでは一年経つ前にしびれを切らすことになる」


 「それでどうする?栞奈に手を出すのか?」


 無意識に声が強張る。栞奈のことを思うと、やはり男を許せそうにないのだ。しかし、今は我慢するしかなかった。


 「それは言わないでおく。そうなるかもしれないし、別の方法を使うかもしれない。そうならないように考えを改めることだ」


 男はその都度計画を練り直しているようで、今回は妥協されたようだった。


 「……今月はこれで問題ないということでいいのか」


 「問題は山積している。だが、今月は目を瞑ってやる。……とはいえ、君は思っていた割に芯があるようで困ったものだ。もっと使いやすいと思っていたんだが」


 男は吹き出すように笑う。千里は呼吸音さえ伝わらないように歯ぎしりした。


 「今月だけだ。次からは覚悟しろ。今月の妥協は君のためではなく自分のためだ。捨てる時は潔い。君の強がった脅しはただの空気の振動に過ぎない」


 「何が言いたい?」


 千里は途中から理解できなくなる。男は面倒くさそうに言い直した。


 「つまり、栞奈ちゃんをどうにかする方法はいくらでもあるということだ。究極が殺すことだとしても、それまでに懲罰の方法はいくらでもある」


 「………」


 男の口から殺害の可能性まで飛び出る。千里の恐怖が表に出ることはなかったが、心臓は壊れそうなほど高鳴っていた。


 「それじゃ、今日はこれくらいにしようか」


 男がようやく終わりを切り出す。前回、勝手に電話を切ってはいけないと伝えていた千里は話中音を待った。しかし、少しした後に再び男の声が響く。


 「言い忘れていた。怒っていることがもう一つあったんだった」


 「なんだ?」


 「二度と私をお前と呼ぶな。気分が悪い」


 男は用件を伝え終わると即座に電話を切る。千里は胸が張り裂けそうになりながら携帯をしまった。

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