第5話 進展と後退

 部活仲間という形で茜と知り合った千里は、関係構築における一つ目の成果を得た。ただ、この結果だけで謎の男を納得させられるかは判断がつかない。男は月々の明確な成功条件を示していないのだ。


 事実を突きつけて脅迫する男は、力強く千里の弱みを握っている。千里にとって不都合なことは、そのような不利な状況下でも男の本気度が見通せない点だった。愉快犯なのか確信犯なのか見極められていないのだ。


 こうした理由から、入部後の千里は行動を抑制した。当初、千里は栞奈の保護を最優先に考えていた。しかし、感情に支配されていては千里の劣勢は変わらないと考えたのだ。


 また、クラスメイトであるがゆえ千里の行動は紗花に伝わりやすい。化学部や茜に執着していることは、今後を考慮して紗花に知られるべきではなかった。


 千里が予定のない休日を迎えたのはそのような意識の変化によるところが大きい。時間を持て余した千里は、下手良を知るという意味も兼ねて駅に出てみることにした。


 下手良駅は専門店が集まる複合施設や百貨店と連結していて、この日も多くの人で賑わっている。人ごみを目の前に千里は思わず尻込みした。


 雰囲気に気圧されつつも、千里は案内マップを見て本屋や家電量販店を回るルートを考える。しかし、慣れない雰囲気と憂鬱な気分から楽しむことができず、小一時間で同じ場所に戻ってきてしまった。


 「あれ、北山君?」


 千里の名が呼ばれたのは、切り上げる時間を見極めながらふらふらと歩いていたときだった。


 「やっぱり北山君だ」


 声の主は小走りで迫ってくる。千里はそれを見て驚いた。


 「上村さん……偶然だね」


 目の前に私服姿の紗花がやってくる。千里はぎこちない笑みで挨拶した。


 「どうしてここに?買い物?」


 「いや、ただ散策してるだけ」


 「そうなんだ」


 少し早口な千里の説明を聞いた紗花は、なぜか嬉しそうに笑う。その表情に千里は見とれた。


 「どうだった?そんなに広くないからすぐに回れたでしょ?駅の南はもっと色んな店があるけど行ってみた?」


 「いや、僕にはここも広すぎて。……上村さんは買い物?」


 「うん。でもちょうど終わってどうしよっかなって思ってたところ」


 紗花は手に持つ紙袋をゆらゆらと振る。何か服を買ったようだった。


 「そうなんだ……それじゃ」


 「ねえ」


 千里のタイミングを見計らった別れの言葉に紗花の声が重なってしまう。紗花との遭遇を想定していなかった千里は状況に動揺した。


 「もし良かったら私が案内しようか?用事があるならダメだけど」


 「……え、上村さんはいいの?」


 千里はひとまず遠慮する。しかし、紗花は引き下がらなかった。


 「困った転入生を見て見ぬふりなんて、小夜に何言われるか分からないでしょ?」


 紗花は小夜の名を出して理由を作る。どうして小夜が出てくるのかという無粋な質問はしない。


 「良いの?」


 「もちろん」


 千里は返答をもらいつつ周囲に視線を這わせる。紗花を使役する誰かに馬鹿にされているではと考えたのだ。ただ、紗花の表情は全く変わらない。


 「それなら……お願いしようかな」


 「分かった!私ね、北山君と仲良くしたいって思ってたの。小夜も心配してたし」


 「大林さん?」


 二度も小夜の名前が挙がり、千里は思わず問いかけてしまう。確かに、小夜は紗花以上に学校で話しかけてくる。しかし、見かけ上は心配されるようなことなど何もない。


 「そうなの。北山君は内向的だから積極的に話しかけないと一人ぼっちになるって。……私は思ってないよ」


 「そんな風に見られてたの……」


 千里は裏話を聞いて少し悲しくなる。とはいえ、その評価は間違っていない。


 「内向的とは思ってないけど、不思議な人だって思うことはあるかな。秘密主義者みたいな」


 紗花はそう言って笑う。冗談たと分かっていても、過去を隠している千里は緊張した。


 「そんなつもりはないんだけど。……不快だったりする?」


 「そんな、とんでもないよ。……小夜が勝手に思ってるだけだから気にしないで」


 紗花は慌てて弁明する。ただ、紗花がそう思っているのなら問題は何もなく、千里はむしろ小夜のことを懸念した。聞いた通りならば鋭い感覚の持ち主である。


 「さて、どこ行きたい?その前にお腹がすいてたりする?」


 「お腹は……空いてるかも。まだ何も食べてなくて」


 時間を確認すると昼時のピークは越えている。


 「先にそっちを済ませる?私もどこかで食べようかなって思ってたから。何が食べたいとかある?」


 せわしなく質問してくる紗花はしきりに千里を気にしている。それを見ていると千里も余裕がなくなった。


 「上村さんは何が良い?」


 「北山君が決めて。私は案内役だから」


 紗花はそう言って胸を張る。ただ、千里は余計に困った。千里に不得意な食べ物などないが、適当に決めた料理が紗花の苦手なものだったらと考えたのだ。


 「……この辺りで有名な料理とかってある?」


 結局、千里は自分で決めることを躊躇った。


 「そうね……スープカレーとかどう?どうしてなのかは知らないけどこの辺りでは有名だよ」


 「いいね。上村さんもそれで大丈夫?」


 「もちろん。お店は良いところ知ってるんだ」


 行き先を決めると、紗花は早速先導して歩き始める。千里は遅れないようにその横に並んで歩いた。


 紗花に連れていかれたのは同じ複合施設にあるスープカレー専門店だった。ピークは過ぎていたが、二人は少し並んでから中に案内される。窓側のテーブル席に通された二人は向かい合って座り、千里は紗花のおすすめを注文した。


 「……上村さんって意外と社交的なんだね」


 「根暗だと思ってた?」


 紗花はそう言って笑う。千里は誤解させた自分を責めて慌てて否定する。


 「そうじゃなくて。上村さんって大人しい印象があったから。こんな積極的に誘ってくれるとは思わなかった」


 「ふふ、確かにそうかも。でも、人見知りだから顔を知ってるくらいじゃ声はかけないかな」


 紗花は上体を千里の方に傾ける。対する千里はゆっくりと背もたれに体重をかけた。


 「僕はそれとは違う?」


 「違うよ。だって友達でしょ?」


 さも当たり前のように紗花は問いかける。友達の定義を知らない千里は、そんな紗花の認識を分析できない。ただ、悪い気分はしなかった。


 「そう言ってもらえて嬉しいよ」


 千里は純粋に感謝する。紗花がいなければ千里は孤立を余儀なくされていて、そんな中で男に脅迫されていれば絶望していたに違いないのだ。


 「ところで今日は何の買い物を?大林さんとは一緒じゃないんだね」


 「自分の服をね。小夜とはいつも一緒ってわけじゃないよ。学校じゃあの調子だけど。それに最近の小夜は少し不自然だから」


 「不自然?」


 千里は思わず聞き返す。千里は小夜が大雑把な性格だと認識している。そのため、どのような行動が不自然に当たるのか分からなかったのだ。


 「んー。最近よく電話がかかってくるみたい。いつもは人前ってことを気にしないのに、最近はコソコソとどこかに行って話してるから。もしかすると彼氏でもできたのかな」


 紗花はくすくすと笑う。千里も合わせて笑うが、頭の中では聞いた言葉を復唱した。


 「まあ、あの小夜に限ってないと思うけどね。可愛いんだからもう少しお淑やかにすればっていつも言ってるのに、男勝りというか何というかで。ね、そう思わない?」


 「あ、うん。そうかもしれない」


 千里は紗花に同調して水を口にする。ただ、千里の頭は電話という言葉で一杯になっていた。


 謎の男の脅迫以来、千里は電話を警戒している。小夜は学校の中で千里に近く、最近増えたという電話が無視できなかった。


 とはいえ、小夜が謎の男だと考えているわけではない。なぜなら、電話を受け取る側が小夜だというからである。声質は機械で変えられたとしても、かける側と受ける側の関係は変えられない。結局、千里は深く考えることはやめて紗花との会話に戻った。


 この時間で千里は紗花の新たな一面を知った。学校では小夜や宏太に押されて大人しい印象が強い。しかし、意外なことに二人きりだと会話が弾むのである。意識されているのか、千里の苦手な話題は出てこない。そのため、千里も気兼ねなく話すことができた。


 本当に紗花と関係を進展させることになるのか。話している最中、千里は何度もそのことを考えた。紗花は万人が好印象を持つ人物である。そんな紗花に私情を挟んだ失礼な態度を示して良いわけがない。


 千里が栞奈を守ろうとしているのは栞奈が好きだからである。だが、そのためには自らの感情に嘘をつくだけでなく、多くの人に迷惑をかけなければならない。栞奈を守るためだとしても、それが正しい行為だとは到底言えなかった。紗花の無垢な表情を見ていると、罪悪感に押し潰されそうになるのだ。


 昼食を済ませると、二人は周辺を一緒に歩いた。近くのカップルに目を向けると、どの男性もそこらのマネキンと同じ格好をしている。千里は自分の格好と比較して恥ずかしくなり、同時に紗花にも恥ずかしい思いをさせているのではと心配になった。紗花は気にしていない素振りをしているが、内心どう感じているかは千里のあずかり知らぬ話なのだ。


 小一時間ほど回ったとき、千里は申し訳ない気持ちに耐えられず紗花に声をかけた。


 「あの、そろそろ疲れてきませんか?」


 はっきり解散を申し出せない千里は遠回しに聞いてみる。遅めの昼食を取った後だったため、時間は四時過ぎだった。


 「もしかして何か用事があったりした?」


 紗花は千里の心を読んだのか的確な質問をしてくる。千里は少し口ごもってから答えた。


 「……そういうわけじゃないんだけど、あまり上村さんの時間を取るのも良くないと思って」


 「私は大丈夫だけど……ということは、疲れてはいない?」


 千里は矛盾を突かれる。自分の頭の悪さにうんざりしながら、紗花に嫌な思いをさせる訳にはいかないと言葉を返した。


 「こうやって色々教えてくれるのは嬉しい。……でも、上村さんは僕とこうしてて良いの?」


 口にしてから何を質問しているんだと心の中で思う。案の定、紗花も困った顔をした。


 「もしかして私、変なことしちゃった?」


 「そうじゃなくて。むしろ僕の方がいいのかなって。……ほら、上村さんに彼氏とかいるならこんなことよくないし」


 呆れるほど状況に合っていない言葉は、千里を後悔させることさえない。手に負えない状況を作ってしまった千里は顔を火照らせた。


 「それは……大丈夫だよ。でも、気にするなら一番最初じゃない?今更って気がするけど」


 「そ、そうだよね。何を聞いているんだろう。こういうことに不慣れで……ごめん」


 「謝る必要なんてないよ。それなら北山君は良かったの?私、考えなしに連れ回しちゃってたけど」


 「僕もそういうのは……こっちに来てまだ一ヶ月しか経ってないし」


 千里は必死に話の落としどころを探す。紗花も状況の打開に苦心しているようだった。


 「遠距離とかもよく聞くから……あっ」


 話していた紗花が急に声を詰まらせる。千里は何事かと思ったが、そこで自分が無意識に眉間にしわを寄せていることに気がついた。頭の中ではいつの間にか栞奈の顔が浮かんでいた。


 「ごめんなさい」


 「どうして謝るの?」


 表情を柔らかくした千里は分かりきっていることをわざわざ質問する。やはり、紗花は千里の過去について話題に出さないようにしていた。紗花の申し訳なさそうな顔を見て千里は後悔する。


 「……今日はこれで解散しよっか」


 紗花は覇気を失った声で呟く。解決させる責任は千里にあった。


 「あの……誤解しないでほしい。確かに僕は昔のことをあまり話してない。もしそれで気分を悪くしているなら謝るよ。でも、上村さんが僕のことを知ろうとしてくれて嬉しいと思ってる」


 「でもやっぱり気にして……」


 「そりゃ気にするよ。僕は上村さんをまだよく知らないからどうやって上手く話をしようか考えるし、気を遣わせて心苦しく思ったりもしてたから」


 一つのことを信じてもらおうとすると、言う必要がなかったことも付け加えてしまう。嘘を嘘で塗り固めているような気分だった。


 「優しいね。そんな深刻に受け止めなくても良いのに」


 「上村さんには誤解して欲しくなかったから。今日だって声をかけてくれて嬉しかった」


 言ってはいけないと思いつつ最後まで伝えてしまう。これで嫌な顔をされれば全てが破綻するのだ。ただ、紗花は笑顔で反応した。


 「そっか。北山君って考えが表に出ない人だからずっと気になってて。でも安心した。私も楽しかったよ」


 きっと紗花の言葉に他意はない。そう分かっていても千里の鼓動は早くなった。


 「……じゃあ、もう少し付き合ってもらってもいい?」


 「うん、いいよ」


 紗花は即答する。締め付けられるような感覚の中、千里は再び紗花と歩き始めた。


 この日、喜ばしいことに紗花との関係は進展した。しかし、押し寄せる複雑な感情に飲み込まれた千里は、これを肯定的に評価できなかった。

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