第3話 脅迫

 日常は淡泊な時間が過ぎているだけである。しかし、授業時間を使って新生活を評価してみると、それは意外と難しかった。もうすぐで一ヶ月が経つ下手良での生活に抑揚はなく、紗花ら三人と仲良くなれたこと以上の変化は起きていない。だからこそ千里は苦しんでいた。


 「じゃあ、このヒントから俺の誕生日を当ててくれ」


 数学教師の前田がクラスに声をかける。余った授業時間、千里らは数学オリンピックに出題されたという問題を紹介されていた。黒板には複数の日付が書かれていて、本当の誕生日を当てるための条件文がその隣に示されている。


 シェリルの誕生日という中学生を対象にした問題らしく、前田はそれをアレンジしたのだという。ただ、ほとんどの生徒がその話を適当に聞いている。


 千里もその内の一人で、早く授業が終わらないかと時計を気にしていた。中学生が対象だとしても、数学オリンピックに出題される問題を簡単に解けるはずがない。それに、数学力よりは読解力が問われているようで、余計に千里からやる気を損なわせていた。


 前田の誕生日など興味がないというのが本音である。しかし、仮に解けなかったとしても前田の誕生日は簡単に把握できた。今日の日付が選択肢に含まれていたのだ。


 「……じゃ、今日の授業はここまで」


 背中を小さくした前田が出ていくと、生徒は一斉に行動を始める。前田の誕生日はこの瞬間にクラスから忘れ去られてしまった。少し可哀想だと思った千里も、紗花に声をかけられた時にはどうでも良くなっていた。


 「また明日」


 「うん。また明日」


 紗花は千里に別れを告げると足早に教室を後にする。千里はそんな後ろ姿を見届けながら、声をかけてくれたことを嬉しく感じた。そんなことで喜んでしまうほど、日常は淡泊だったのだ。


 サッカー部に所属する宏太も放課後はいつも忙しそうにしている。小夜は紗花と帰る日もあれば、気がつくと教室からいなくなっていることもある。紗花や宏太と同じ頻度で話をしているはずだったが、小夜のことだけは今でもよく理解できていない。


 放課後に何一つ予定の千里は、この日も教室が落ち着いてから下校を始める。四月下旬となってようやく道路脇の雪が全て解けた。それを祝ってどこか散策してみようかと考えつつ、千里は校門をくぐった。


 その時、千里の携帯が鳴り始めた。


 画面には非通知と表示されている。千里はその文字を数秒眺めた後、携帯をポケットにしまって下校を再開した。非通知の電話は取らない。昔からそう決めていた千里は今回もそれに従ったのだ。非通知の場合、一度無視すると二度とかかってこないことが多い。


 学校から出ていく生徒は数える程しかいない。千里はその中の一人で、グラウンドを走る生徒を横目に外の道路に出た。交通量の多い幹線道路のためかなり騒がしい。


 下手良駅には徒歩と地下鉄のどちらでも向かうことができる。今日の千里は街をよく知るためも歩くことにした。


 しかし、再び震え始め出した携帯がそのように決めた千里を立ち止まらせた。連続して電話がかかってくることは珍しい。そう思いながら確認してみると、また非通知という文字が飛び込んでくる。


 千里はどうしようかと震える携帯を見つめる。相手は先程と同じだと考えて間違いない。しかし、電話の目的や非通知設定にしている理由は分からなかった。本当は今回も無視すべきである。ただ、新生活に関連した電話かもしれないとふと考えてしまった。


 周囲の環境を考慮した千里は、もう一度校門をくぐって校舎裏に向かった。校舎が幹線道路の騒音を軽減していて人気も少ない。電話をする上で好都合の場所だった。


 深呼吸してから通話のアイコンを押し、携帯を素早く耳に当てる。相手の素性を知ることはできないが、同時に相手も千里の名を知らない可能性がある。開口一番に名乗ってしまわないように気をつけた。


 「もしもし」


 千里から声を出して反応を待つ。最初はノイズのような音が聞こえていたが、人の声が返ってきたのはすぐだった。


 「北山千里か」


 「……は、はい」


 聞こえてきた声はかなり低く、不規則に波打っている。無機質で機械のような声に千里は不安を抱いた。千里が黙ると何故か相手も黙ってしまい、ノイズが聞こえてくるだけとなる。その間に電話の相手を考えた千里だったが、思い当たる人物はいなかった。


 「あの……あなたは一体」


 我慢できなくなって千里から質問する。しかし、その問いかけを遮るように男が話し始めた。


 「今日は何があった?……私は知っている。今日は学校があった。今は帰宅中か?」


 「な……何だ?」


 「今日、数学の授業があったな。最後に面白い話を聞いた。……シェリルの誕生日だったか?」


 「は……?」


 千里は驚いて言葉を詰まらせる。どうしてその話を知っているのかという疑問が千里に恐怖感を与えたのだ。ただ、その理由は単純明快で、この男も話を聞いていたということに過ぎない。


 しかし、問題の本質はどうして千里の携帯番号をこの学校の人間が知っているのかということだった。


 「何を驚いている?君も聞いただろう?」


 「誰だ?」


 千里が下手良で自分の電話番号を教えたのは、居候先の叔父さんと学校への提出書類だけである。紗花らとはSNSの連絡先の交換はしたものの、電話番号は教えていない。


 「私が誰なのかなんて些細なことに過ぎない。しかし、このままだと君にとって私はただの不審者だ。そうだな……君の誕生日も知っている。四月十五日だろう?祝うには遅すぎたかな」


 「どうしてそれを?」


 「知っているかって?だから言っただろう。些細なことだと」


 千里は訳が分からず周囲を見渡す。誰かに監視されている感覚に陥ったのだ。しかし、周囲には誰一人いない。


 現時点で予想できることは、学校に提出した書類を誰かが手にした可能性が高いということだった。それには千里の誕生日だけでなくあらゆる個人情報が記載されている。それが意味していることは言うまでもなかった。


 「……何の電話だ?」


 「怖いのか?声が震えている。だが、君はまだ分かっていない。私は君を脅迫しようと電話をかけた。今日の出来事や君の誕生日を知っていることなんて、本当に些細なことだ」


 「……そんな話なら電話を切る。二度とかけてくるな」


 千里は通話を強制的に終わらせようとする。恐怖感を植え付けられたままの会話は千里にとって不利でしかないのだ。


 しかし、電話を切ろうとした矢先に男の張った声が飛んできた。


 「逆瀬川栞奈さかせがわかんな……この名前に聞き覚えは?」


 「な……」


 千里は携帯をもう一度耳に押しつける。唐突に冷や汗が噴き出てきて視線は泳いだ。


 「知っているか?北山千里」


 「どうしてその名前を?」


 「だからそんなことは些細な……」


 「お前は誰だ!どうして知っている!?」


 千里は男の言葉を遮って叫ぶ。何が起きているのか全く分からない。どこで知られたのかさえ皆目見当がつかない。その名前は学校に提出した書類には記載されていないのだ。


 「そう叫ぶな。私が君の古くからの知り合い、この場合は幼馴染みというのか?そんな彼女の名前を知っているくらいで」


 「どういうことだ?お前はどこの野郎だ?兵庫か?それとも下手良か?」


 「可哀想だなあ。栞奈ちゃんはまだ外に出られないそうじゃないか。んん?」


 「お前……どうして知っていると聞いてるんだ!」


 千里は恐怖に襲われると同時に怒りを爆発させる。どうして栞奈の現状を知っているのか、意味がないと分かっていても問いかけざるを得ない。栞奈の事情こそ、千里の個人情報より他人に知られてはいけないものなのだ。


 「あまり汚い言葉を使うな。私を怒らせると栞奈ちゃんに何が起きるか分からない。彼女がまた傷つけられるのは君の本意ではないだろう。……君が置かれている状況は分かったか?」


 「…………」


 「まだ私を疑っているのか?それとも本気にしていないのか……それなら思い出させてやろう。あの事件のことを」


 「やめろ」


 千里は故郷での事件を思い出して歯ぎしりする。男は静かな声で話を始めた。


 「昨年の暮れ、栞奈ちゃんは君たちの故郷で暴漢に襲われた。犯人は同じ学校の同級生と上級生だったか。何でも、夜道を歩いていた栞奈ちゃんを唐突に襲って性的暴行を加えたらしいじゃないか」


 「…………」


 「襲われて身動きが取れなくなる直前、咄嗟に栞奈ちゃんは君に連絡した。だが、電話がかかった瞬間に携帯は栞奈ちゃんの手から滑って近くの土手に落ちた。君は返事がないことを心配した。事故に巻き込まれたと思ったのかな?だから、すぐ近くだった栞奈ちゃんの家に走って母親にどこに出かけているのかを聞き、可能性がある場所へ急いだ。そして見つけた」


 「やめろ……」


 千里は男の話を聞いて次々と思い出していく。これ以上の話は聞きたくない。そう思っても男は話を続ける。


 「タイミング悪く、強引にされているところを見つけた。川沿いの人気の少ない土手で猿のように盛っている数人の男と、乱暴されて泣いている栞奈ちゃんを」


 「黙れ……」


 「君は良いことをした。頭に血が上っても不思議じゃない。結果、男たちを半殺しにしたそうじゃないか。男たちの自転車に積まれていた傘で何度も急所を突いた。金属の先端が何度も刺さって血が吹き出ても、男が栞奈ちゃんから離れて助けを求めても執拗に刺した。よく殺さずに済んだな」


 「黙れ!」


 限界を迎えた千里は力任せに携帯を地面に投げ捨てる。大きく跳ねた携帯は、転がって千里の足下で止まった。大きく呼吸をして自分の感情を落ち着かせようとする。しかし、蘇ってきた感覚は千里の心を蝕んだ。


 男が話したことは事実である。千里がかつて住んでいた場所で、幼馴染みの逆瀬川栞奈が同じ学校の連中に強姦された。その後の栞奈は一歩も家の外に出られない状況が続いているという。


 千里は呼吸を落ち着かせてからゆっくり携帯を拾い上げる。千里の息遣いに気がついたのか、男は話を再開した。


 「携帯を捨ててどこかに行ったのかと思ったよ。まあ、思い出したくない過去だ。そうなってしまっても仕方がない」


 「なぜその話を?」


 「君が信じようとしなかったからじゃないか。私の目的は君を精神的に追い詰めることじゃない」


 「……何なんだよ。それなら何が目的なんだ」


 千里はその場にしゃがみ込む。この事件は第三者がぶり返して良いものではない。恐怖で震えながらも、栞奈は必死に立ち直ろうとしている。引っ越す直前、千里は栞奈の母親からそのように聞いていた。周囲はそれを見守って手助けをしなければならない。千里が故郷を離れたこともそんな栞奈のためだった。


 「実はこの話はあまり関係なくてね。あくまでも保険だ。……今から君は私と強制的にある約束をする。君がそれを反故にしたときの代償がどんなものになるのか、最初に理解してもらう必要があった」


 「……その約束っていうのはなんだ?早く言え」


 「おや、随分と素直になったな。栞奈ちゃんを人質にされるのがそんなに嫌か?」


 「黙れ!誰か知らないが、お前に栞奈のことを話されたくない。この事件はほとんどの人が知らないはずだ。どうしてお前が知っているのか捕まえて問い詰めてやりたい。ただ、そんなことは些細なことだと言うんだろう。栞奈や僕がどんなことになったのか何も知らないで」


 半分諦めた状態で千里は訴える。栞奈の名を出された時点でどんな約束も拒否できない。千里は常に栞奈を助けたいと思っていた。そのためにできることは、頭のおかしい男から栞奈を遠ざけることだけなのだ。


 「飲み込みが早くて助かるよ。君が約束を破った暁には事件の詳細がネットにばらまかれ、社会復帰を果たそうと頑張る栞奈ちゃんの努力に水を差すことになる。名前が世間に出回って、穢れた体を持つ可哀想な人間として一生晒される。それも、君のせいでだ」


 「その話はもう良い。早くその約束とかを説明しろ」


 「元気のない声。そんなに滅入るとは思っていなかったよ。そんなに苦しいのなら話の続きを明日に持ち越そうか。その間に心の整理もできるだろう。……ただ、その間にこの話を誰かに漏らした場合、どうなるかは言うまでもない。君は常に監視されている」


 優しく振る舞おうとしているのか、脅迫を続けようとしているのか曖昧である。それでも男に逆らうことはしない。感情を落ち着かせる時間も必要なかった。


 「早く本題に移れ」


 「そうか、それならそうするとしよう」


 男はそう言って少し時間を置く。再び話を始めたときの男の口調は、先程に比べて感情がこもっていた。


 「実は、私には普段から気になっていることがある。人の恋愛関係についてだ。……あれ、鼻で笑われると思ったが何も反応しないな?」


 「続けろ」


 「ふん、冷たいな。それで私は知りたい。どうやってそんな関係が形成されていくのかを。君は興味ないか?」


 「少なくとも今はない。いちいち話を止めるな」


 千里は心を落ち着かせて話を聞く。男が言っていた通り、本題は栞奈の事件とかけ離れていた。


 「そこで君に調べてもらいたいのだ。どのようにして恋愛関係が構築されていくのか。どういう要因が関係しているのか」


 「なんだ?僕が適当な意味付けをして嘘話を伝えれば、満足して栞奈を忘れてくれるのか?」


 「ははは、面白いことを言う。仮に君が約束を果たせたらそうしてあげてもいい。ただ残念なことに、君は今から言う私の命令に従わなければならない」


 男はしっかりと千里への足枷を考えていた。千里は仕方なくそれを聞くことにする。


 「君は指定された三人の女性と恋愛関係を構築しなければならない。いわゆるノルマで、基本的にはその三人から恋愛の要因を探り出してもらいたい。月に一度こちらから連絡がある。その時に進捗を説明してくれればいい。一応言っておくが、私は常に近くで君を見ている。だから、適当に時間を潰したり嘘をついたりすれば、きっと最悪な結末が訪れるだろう。……まあ、君がそんなことをしないと信じているが」


 「そんなことで栞奈が守られるなら喜んで協力する」


 「そうかい。その言葉を聞けて安心だ。ただし、報告のときに進展していない、もしくは君がやる気を出していないと判断すればその時も同じだ。その裁量は私がするから、最初から全力で取りかかることだね」


 男は次々と制約を課していく。まとめると、千里は指定された三人の女性と関係を持ち、男が満足する結果を常に出し続け、恋愛関係の構築に必要な要因を見つけ出さなければならない。そうしなければ栞奈が危害を加えられる。


 全くふざけた話だった。


 「それで話は終わりか?それならさっさとその三人を教えろ」


 「気になるだろうが焦るな。その前にルールをもう少し決めておこう」


 ゲームをしているかのような言い草に千里は顔を歪める。しかし、どうにか冷静さを保ってその詳細を待った。


 「まず期限だ。君に与えられる時間はおよそ一年。来年の三月頃までにしよう。本当は一刻も早く知りたいが、無理なことを言っても仕方がないからね。次に、指定した三人は絶対だが、その他に追加で誰かと恋愛関係を構築しても問題はない。ただし、そのせいで三人との関係が蔑ろになれば罰を受ける」


 「……人との関係をなんだと思ってるんだ」


 千里はつい言葉を漏らしてしまう。人間関係を組み換え可能なパズルのように考える男に嫌気が差したのだ。しかし、男はそれに反論してくる。


 「だから君に任せるんだよ。私はそんなことで自分の人間関係を壊したくないからね。君は引っ越して日が浅い。壊れるほどの人間関係を持っていないだろう。それに、君は弱みを持っていた。私にとって最高の存在だった」


 男は千里を選んだ理由を説明する。そんなことで栞奈が危険な目に遭っていると思うと、再び怒りを爆発させかけた。


 「まあ、そんな話はどうでもいい。とにかく一年で三人と関係を作り、恋愛関係の要因を見つけ出しさえしてくれればそれでいい。一人ずつでもいいし何人か同時でもいい。私は何股かすることを提案する。時間的な問題があるからね。あと、順番も気にしないことにしよう」


 「ルールはそれだけか?」


 「そうだな。そろそろお待ちかねの人選発表としようか。脅迫されているとはいえ君のやる気が必要だ。そう思って、三人は私が見る限り綺麗な人にしておいた。その三人に今のところパートナーはいないらしいが、接触時に邪魔者がいたならその時は寝取ってでもしてくれればいい」


 男はそう言って少し笑う。何が面白いのか、口調は最初に比べて軽快になっていた。千里は誰かに見られていないか頻繁に周囲を警戒するも、やはりそんな人影はない。


 「一人目は上村紗花だ。君の知り合いで同じクラスだろう?席が隣だ」


 「……上村?」


 「嫌かい?変更はできないが悪くないと思う」


 男は紗花の評価を述べる。千里はそれに反応せず、他の二人を教えるように促した。


 「二人目は野依茜のよりあかねだ。野原の野に、依存の依。それに茜だ。彼女は同じ学校の三年生だ。化学部の部長だから部活関連で近づきやすいかもしれない。三人目は朝霧美波あさぎりみなみ。朝昼晩の朝に、霧雨の霧、それに美しい波と書く。彼女は別の学校の生徒で、下手良南高校の同学年だ。下手良駅前の予備校を足がかりにすれば良い。……分かったか?」


 「待て」


 千里は近くに落ちていた木の枝で地面に名前を書いていく。紗花は同じクラスのため、他の二人の名前を記した。


 「私からの話はこの程度だ。……とはいえ、君にも拒否権はある。最後にもう一度確認しておこう。この約束、受けてくれるかな?」


 「拒否すれば栞奈を攻撃するんだろう?」


 千里は今になって意味のない確認だと感じる。男は即答した。


 「当たり前だ」


 「……分かった、やってやる。だけど、こっちも何でもかんでも鵜呑みにはできない。僕が忠実に行動していれば栞奈に手を出さないことを約束できるのか?それを証明できるのか?」


 「疑うな。それだけで栞奈ちゃんが危険になる。君は言われたことだけしていれば問題ない。それだけで結果は伴う」


 男の返答は曖昧だった。しかし、そう言われれば従うしかない。それが今の千里の立場だった。


 「……もう話は終わりだな?」


 「ああ。五月の末にまた連絡する。進展を期待しているよ。今日みたいに連絡を無視すれば、それだけで約束を反故にされたと受け止めるから肝に銘じろ」


 「分かった」


 「それと再度確認だ。私は自分のことが可愛いくて仕方がない。……だからこの話は他の誰にもしてはいけない。栞奈ちゃんにも指定した三人にも。もちろん学校や警察に相談なんて論外だ。私と君だけの秘密だということを忘れるな。いいね?」


 「分かってる。それじゃ切る」


 「待て、もう一つ」


 千里が電話を切ろうとしても男は話を続ける。千里は鼻から大きく息を吐いた。


 「どうして栞奈ちゃんを庇う?見捨ててしまえばこんな面倒を背負わなくて済む」


 男の質問は極めて馬鹿げていた。その理由を知っているからこそ、男は千里を標的にしたはずなのだ。


 「大切だからだ。それ以外にどんな理由があると思う?」


 「へえ、君は良い人なんだな」


 「お前とは違う」


 「ふん、大口を叩けるのも今だけだと思え。それと、君は電話をすぐに切ろうとする。これからは私から電話を切るというルールも追加することにしよう」


 男はその言葉を最後に電話を切る。話中音が聞こえてくると千里は強く携帯を握り締め、何度も地面を蹴った。全てを理解するには時間がかかりそうだった。


 千里は栞奈を守るために新しい土地にやって来たはずである。しかし、結果は正反対となってしまった。千里はしばらくその場から動くことができなかった。

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