3話 交換教科書

 きっかけは、となりのクラスの山吹やまぶきルチオが数学の教科書を失くしたことだった。


「忘れたんじゃなくて、失くしたの?」

「家も探したし、ロッカーも全部出して探したし、机もひっくり返して探した。残された可能性は、ブラックホールに吸いこまれたのではないか、ということだけだ」

 真面目な顔でルチオが言う。


 ルチオはおじいさんがイタリア人で、ご両親は日本人の、クウォーターというやつで、ちょっぴり瞳が青っぽく、彫りの深い顔立ちをしている。ちなみに、イタリア語が話せるわけでもなく、嫌いな食べ物はトマトだ。


「とりあえず、今日は貸してあげるけど」

 ロッカーに置きっぱなしにしている数学の教科書をルチオに渡す。

「落書き、するなよ」

「了解」

 にっこりとしたルチオの笑みに、嫌な予感はしていたのだ。

 案の定、返ってきた教科書には書き込みがあった。


『カツサンド=カツ丼の公式を証明せよ』


 重要、という花丸がついて、わざわざ赤いボールペンで書いてある。

 しかも問いの意味がわからない。お腹が空いていたのだろうか。

 おれはしばし考え、答えを書き込んだ。


『カツ+炭水化物=カツサンド、カツ+炭水化物=カツ丼。よって、カツサンド=カツ丼となる。』


 数学の授業は毎日ある。

 次の日も、ルチオはおれに教科書を借りに来た。

「宿題は解けた?」

「楽勝。というか、落書きするなって言ったじゃん。しかも消えないボールペンで書きやがって」

「あれ? 期待されてるとしか思えなかったよ」

「まあいいけど。せめてシャーペンにしろよ」

「オーケイ」

 ルチオは、指で言葉と同じマークを作った。ぱちり、とウインクまでしてみせる。漫画みたいな仕草が様になる男だ。

 ルチオにも、お返しに問題を作っておいた。


『おにぎり(たらこ)を因数分解せよ』


 さて、どんな答えが返ってくるか、楽しみだ。


 ルチオに貸した教科書は、しかし、そのまたとなりのクラスの春日崎かすがさき 桃衣とういから返ってきた。

「なんで桃衣からおれの教科書が返ってくるの?」

 桃衣はおれと同じくらいの身長で幼い顔立ちをしている。たぶんおれのほうが一センチくらい高いけれど、二人とも二メートル、ということになっている。友情を守るためには、時に優しい嘘も必要だ。


「ルチオに借りに行ったら貸してくれたぞ」

「あいつ、人のものを勝手に……」

 問いへの答えが気になってページをめくる。


『おにぎり(たらこ)を因数分解せよ』


『米+たらこ+のり+愛情』

『おいしい+まあまあおいしい(おれは辛子明太子派)』


 答えは一つではなく、二つ書いてあった。前のカツサンドのページもめくってみる。


『カツサンド=カツ丼の公式を証明せよ』


『カツ+炭水化物=カツサンド、カツ+炭水化物=カツ丼。よって、カツサンド=カツ丼となる。』

『カツサンドとカツ丼は別物のため、証明不可』


 こちらも答えが増えていた。

 顔を上げて桃衣を見ると、彼は鷹揚にうなずいた。

「数学の問題より楽しかったから、つい」

 桃衣からの問題も書いてある。


『最強→ラーメンの真偽を求めよ』


 必要条件と十分条件がどうのこうのというやつだ。

 こうして、おれ、ルチオ、桃衣の三人の、交換日記ならぬ交換教科書が始まったのである。

 問題は作るのも解くのも楽しい。

 だがしかし、問題文に必ずと言って良いほど、その時に食べたかったのであろう食べ物が入っているのでお腹が空いて困る。

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