2話 満員電車と折りたたみ式人類

 定期とか格好良いし。電車通学なんて大人っぽいし。高校生のおれは、中学生のおれから格段にバージョンアップしたぜ、なんて、にんまりしていたのも今は昔。自転車で通える高校にすれば良かった、と水色の空を見て思う。


 さわやかな空の色とはほど遠く、今現在、おれの周囲の空気はどろりと重たく密集している。通勤通学ラッシュの電車の中だ。


 これでも、テレビで見るような満員電車よりはマシだと思う。けれども、うっかりするとつかめるつり革がどこにもない、というくらいには満員状態ではある。ため息をつくのにも、方向に気を配らなければならない。


「思うんだけど」

 おれは両腕でカバンをお腹に抱えながら、傍らの紺に言った。最寄り駅が同じ紺とは、ほぼ毎朝同じ電車に乗る。確実に毎朝、ではないのは、時々おれが寝坊して一本か二本遅れる時があるからだ。


「もっとみんな縮めば良いんじゃないかな」

 紺は、ドア近くの、一段高くなったつり革を楽々とつかんでいる。

「……颯月さつきだって、まだ伸びる可能性はなくはないだろう」

 しばしの沈黙のあと、おれを見下ろして紺が言った。


「なくはないって何。おれは二メートルになる予定だから。そうじゃなくてさ、ほら、何かそういう道具あるだろう? もう二十二世紀になるのに、こんな、満員電車に苦労するなんておかしいよ」

「……いや、まだほとんど二十一世紀だけど。生きてる間に二十二世紀を拝めるかどうかってところだぞ」

「あれ? 二十二世紀って、何年からだっけ」

「颯月は受験が終わったら、急に頭が悪くなったよね。受験のときは別人と入れ替わってたの?」

「失敬な。賢さは今ちょっと充電中なんだよ」

「充電式なんだ」


 電車が止まる。ドアが開いて、下りる人が数人。その倍くらいの人が新たに乗り込んで来た。おれは肩を縮めて、歩幅を狭めた。下りる駅まであと二駅ある。

 抱きしめたカバンの上にためいきをこぼす。


「だからさ、みんな縮めば、こんなにぎゅうぎゅう詰めにならなくても済むと思うんだよね。それか、折りたたみ式になるとかさ、紙みたいにひらひらになるとかさ」

「人間が?」

「二十二世紀を前にした社会が、まだSFに追いついていないよ」

「二十二世紀まだ言うか。SFっていうなら、電車じゃなくてワープとか使えるほうが楽じゃないか? それか学校に通わずにネットで授業とか」

「嫌だ。おれは定期券を使うのが憧れだったんだ」

「……」

「おーい。何か言ってよ」

「憧れが叶って良かったな」

 おれのむっとした顔が、電車の窓ガラスに映る。その少し上で、紺は生温い笑みを浮かべていた。


 実を言うと、満員電車もちょっと憧れていた。ヤバいよ、無理だよなー、とか、経験者として言ってみたかった。憧れは憧れのままで良いこともある、ということを学んだ。


 また駅に止まる。少しだけ人が下りて、その倍以上の人が乗って来る。

「世の中には、こんなにたくさん人がいるんだな……」

「今度は何が始まったの? 哲学?」

「こんなに、たくさんの人がいて、それだけの人生があるんだ……。日本ではそれが数億人分。世界では何十億人分の人生……。その壮大な世界の中で、おれは百七十センチほどの一部分……」

「いや、それ身長かなりサバ読んでるだろ」

「他のどこでもなく、そこにツッコミをいれるなんて。紺はもう少し優しさと身長をおれに分け与えるべきだと思うね」

「どっちも無理だなー」

「優しさも無理なのかよー」


 がくん、と電車が揺れて、紺に肩を支えられる。ここで電車が揺れることは、もう覚えていたはずなのだけど、毎回よろめいてしまって悔しい。明日こそは支えられずに踏ん張りたいと思う。


 下りる駅に着く。ドアが開くと同時に、同じ制服の同士たちが電車から吐き出されるようにホームに溢れた。飲み込まれたクジラのお腹から、無事に脱出できたピノキオも、こんな気持ちだったのだろうか。


「満員電車から出ると、身長が伸びた気がするよね」

 ぐーんと伸びをしながら言った。

「それはわからなくもないかも」

 同じく伸びをしながら紺が言う。


「いや。お前は縮めよ」

「今日初めて同意してやったのに、その言い草」

 電車から眺めていた、水色の空の下に出る。

 大きく呼吸をして、ちょっとつぶされたような気がする体をふくらませてやった。

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