陛下、いらせられませ


 女王に促されて、みながそれぞれ、四阿にある椅子に着いたあと。

 一番始めに口を開いたのは、女王であった。

「誰ぞ、私にも茶をくれまいか。つい先ほどまで机仕事をしていたからの、少し疲れてしまったようだ」

 この女王の言葉に真っ先に応えたのは、伯佑の末弟である季安である。

「あ、はい。ただいまお持ちいたします。しばらく、お待ちください」

 彼はこう言うと、頭を一つ下げ、すぐにお茶を淹れにかかった。

 その姿を目で確認した伯佑は、さて、どう話を切り出そうか……と思案したものの、結局妙案が浮かぶわけもなく。率直に話をすることにした。

「して、母上。何ゆえこちらにいらっしゃったのですか?」

 今までさんざん騒いでいた伯佑の弟たちも、一様に口を閉ざして母王の返事を待つ。

「それはな…………」

 長男に問いかけられた女王は、しばし考える素振りを見せ。それから、おもむろに口を開いた。

「息抜きじゃ、息抜き。人間、少しは休息が必要だろう?」

 女王は、茶目っ気に微笑み、紅唇に左手の人差し指をあて、片目をつぶって見せる。

 その、仕掛けたいたずらが成功して、喜んでいる子どものようなしぐさに、息を凝らしていた女王の息子たちは、どっと脱力した。

 …………なんだ、それは。

「左様ですか…………」

「そうですかい…………」

 それでも。伯佑と仲真の二人は、何となく納得した。この母が最初から、簡単に話すわけがない。

 叔宝を始めとする下の弟たちは知らないと思うが、母が女王になる前—―――まだ女王のお世継ぎである女王じょうおう後嗣こうし殿下であったとき――――は、いつもこんな調子だった。

 兄弟の中でも年長組で、必然的に母との付き合いも長い彼らは、そんな母の若いころの自由奔放な一面も知っていたので(女王になった今では、すっかり鳴りをひそめているので、叔宝たちが知らないのは無理もない)、あっさりと追究するのをやめた。 

 しかし、そんな茶化した答えに、叔宝たちが納得するはずがない。

 その証拠に、彼らはそろって抗議の声を上げた。

「母上。冗談は、よしてほしいな。このボクをわざわざ王都に呼び戻したんだ、あなたさまがそんなたわむれをおっしゃりに、わざわざ来られるわけがない」

 非常にしゃくにさわったのだろう。秀玉が、ぴしゃりと言い放つ。

「そうですよ、母上っ! 秀兄上のおっしゃる通りです! 毎日ご政務でお忙しい母上が、ここ数年はまったくと言ってもいいほどそろわなかった僕たち兄弟を急に招集するなんて、どう考えても不自然です!」

 それに続くような形で、ちょうど母王にお茶を出した季安も、かねてからの疑問を口にする。

 そして、とどめとばかりに、叔宝がこう言って締めくくった。

「わたしも秀玉や季安の意見に賛成です。母上。何か、わたしたちには話しづらいことでもおありですか?」

「ああもうっ。わかった、わかった。今から話すから、静かにせよ。まったく…………私には一杯の茶をゆっくり飲む権利すらないと申すのか…………。そなたたちはここを、何だと心得ておる」

 よほどうるさかったのだろう。女王は顔をしかめ、いじけたように紅唇をとがらせた。

 それから、先ほど季安が用意してくれた茶杯を手に持つと、少々行儀悪くその中身を飲み干す。

「ごめんなさい…………」

「すみません……つい」

 母の機嫌をそこねてしまった…………と反省した叔宝と季安は、素直に謝った。彼らは、しゅんと肩を落とす。

 しかし、兄弟の中でも一番頑固な秀玉だけは違った。

「ま、ボクは、半月も前からボクたち兄弟を呼び出しておいて、ず――と放っていた母上の方が悪いと思うけどね。だから、ボクは謝んないよ」と言って、そっぽを向く。

「秀玉!」

 その無礼な行為に、伯佑は秀玉の名を呼ぶことで叱った。

「ハイハイ。言い過ぎました。ゴメンナサイ」

 兄弟全員が慕う長兄に鋭くいさめられた秀玉は、これはよくないと思ったのだろう。降参しました、とばかりに両手を上げ、形ばかりの謝罪の言葉を口にする。

 そんな四番目の息子のどこか子どもらしさが抜け切れていない反撃に、女王は怒るどころか、笑って見せることで返事とした。こっちは何年、花国の女王として百戦錬磨の古ダヌキどもの相手をしてきたと思っている。そなたの反撃なんざ、朝飯前だ。

 だから女王は、鷹揚に構えたまま、伯佑をなだめた。

「まあよい。伯佑。そんな怖い顔をするな。そなたのせっかくのきれいな顔が、もったいないぞ」

「母上……っ」

 もともとは、あなたさまの発言のせいでしょうがっ……。

 いつもは温厚篤実で誰からも慕われている伯佑も、母の神経を逆なでする口調に、こぶしを震わせた。彼の額に、青筋が浮かぶ。

 これはちとまずいのう……。滅多に怒らぬ伯佑を、怒らせてしまったようだ……。そう思った女王は、軽く咳ばらいをした。

「まあ冗談はこのくらいにして……と。さて、本題に入るかの」

 そう言うと、女王は、家族や親しい人にしか見せない柔らかな表情を消し。花国の頂点に立つ、為政者の顔になった。

 その母の公人おおやけびととなった姿に、伯佑たち兄弟は、背筋をぴんと伸ばす。

「みな、こちらへ」

 女王は、周囲の様子を確認し、息子たちを自分の近くに呼び寄せると。小さな声で、話し始めた。

「ここからの話は、くれぐれも内密に。そなたたちも薄々気が付いておろうが…………例のアレを、正式に行うことが決まった」

 この女王の言葉に。彼らの反応は、これもまた、まちまちであった。

「ついに……」と、伯佑は声を潜めながらもどこか探るように問えば。

「そうか……」と、仲真は何やら興奮を隠せぬよう。

「アレを…………か」と、叔宝はいよいよか、とこの先の苦労を思って、密かにため息をつく。

 一方。「ふぅん…………。おもしろくなりそうだ」と言った秀玉は笑い。これでしばらくは、退屈しないだろうな、と心の中で、つぶやく。

 最後に、「行うのですか?」と季安は、身を乗り出して女王にきく。

 女王は、末の息子の言葉にうなずいた。

「ああ。詳細は後ほど知らせるが、今年中に大方おおかた目途めどはつける。準備は、このことを知るごく少数の者のみ、関わることとする。もちろん、そなたたちにも手伝ってもらうぞ」

「承りました」と、伯佑が丁寧に頭を下げると。

「黄氏仲真、この名に懸けて」と、仲真は力強い拱手を母に捧げる。

「…………わかりました」と、叔宝もしぶしぶながらも了承し。

「そこまで母上がおっしゃるのなら」と、秀玉は口角を上げ。仕方がないよね、と心の中で言いながらも、ひょうひょうとした態度を崩さない。

 最後に、「はい!」と季安は、末息子らしく、元気よく返事をする。

 そんな息子たちの様子を見て、うむ。頼もしいの。そうつぶやいた女王は、椅子からゆっくりと立ち上がった。それから、おもむろに東の方角を見つめる。

 東は、日が昇る方角であり、同時に女王のお世継ぎである女王後嗣を象徴するものだ。

 その先に、まだ見ぬ未来を想像したのだろうか。女王は、暗闇が続くその方角の一点をまっすぐに見つめたあと。

 息子たちの方を振り返った。

「よいか。ことはこの国の行く末をも左右する。何一つ、間違いがあってはならぬぞ。みな、生涯一度の大仕事と心得よ。――――よいな」

「「「「「御意ぎょい!!」」」」」

  伯佑たち兄弟は、床に膝をつき、一斉に拝礼はいれいを捧げる。彼らは、気迫のこもった母王の言葉に、自然と心からこうべれていた。

 女王は、その姿に満足そうに笑うと。手振りだけで、みなを立ち上がらせた。再び東の方を向き、右の人差し指でその先を示す。――――この先には、いったい何が待っているのだろう?

 それから女王は微笑みながら、こう宣言した。

「見よ。必ず、夜明けが来る。――――さあ、新たな世の幕開けだ」




――――敬徳けいとく二十年正月。

 一つの勅命が、下される。

 その勅命は、花国の少なくない若者の運命を変え。

 やがて、大きなうねりとなって、花国の歴史をも、変えることとなる。

 



 これは、この勅命により、数奇な人生を送ることとなった、一人の少年の物語である。



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