一章

風の気まぐれ


 ヒューヒューと風が吹いた。凍えるように寒い、冬の風が。

 その風は深い雪に覆われた大地を、滑るように翔けて行く。

 やがて、風はある山里に辿りついた。

 どこにでもある冬の集落だと風は思って、そのまま通り過ぎようとしたとき。

 風はふと、旋風せんぷうに耳を澄ませた。

 静かに耳を傾けてみれば、ゴオーと鳴く吹雪ふぶきの中に入り混じる、微かな音色が聞こえてくる。


 どこからするのだろうか?

 風は思わず、辺りを見回した。

 細い糸を手繰り寄せるように、その音のする方へ向かう。


 しばらくすると。

 風はある屋敷に目を留めた。

 ここからか、と小さく呟く。


 その屋敷は、麓の集落から少し離れた山の中腹にあった。規模からして領主か豪族の館だろう、質素ながらも立派な門構えである。


 風はするすると、屋敷の敷地に足を踏み入れた。

 まるで引き寄せられるように、まっすぐと邸の中へ入っていく。

 とすると。

 荘厳な調べが聞こえてきた。

 それはまるで、漆黒の闇を切り裂く一筋の神々しい光のような天音あまね


――――上手い


 思わず風は舌を巻いた。

 王宮の楽士ですら弾くことをためらう程の難曲が、寸分の狂いもなく奏でられている。

 それは、悠久の時を――――永遠にも近い幾年いくとせの時を生きる風でさえ、ほとんど耳にしたことがない腕前である。

 ここまで見事な演奏を聞いたのは、数百年ぶりだ。


 もっと聞きたい。

 そう思った風は、奏者のいるであろう一室を目指した。

 一歩、一歩、近づいて行くうちに、壮麗な音色が、より一層研ぎ澄まされてくる。


 やがて、目当ての場所に着いた風は、室の窓のすぐそばで歩を止めた。

 そのまま、そっと室の中の様子を伺う。

 室には、琵琶を弾く一人の少年と、彼の演奏に静かに聴き入る少年と少女がいた。


 奏者の少年の年の頃は、十代前半くらいだろうか。

 琵琶を演奏する姿は、超一流の奏者のようにとても堂々としているが、面影には幼さが残る。

 例えるならば、まだ背丈が伸び切らない若木のような感じか。


 対して、聴衆の少年と少女は、彼よりもさらに幼く見えた。

 どちらも、まだ十にはなっていないのだろう。特に、少女はまだ幼女とも言っても良いくらいの年の頃に見える。

 おそらく、この二人は彼の弟妹だ。


 こうして、風はひとしきり室の中の様子を見ると、室の窓から少しだけ離れた。

 風は、室のすぐ外にあった木の枝に止まる。そこからは、室の窓がよく見えた。


 ちょうど良い。

 そう思った風は、しばらくそこに留まることにした。

 珍しく、彼の琴線きんせんに触れるものを見つけたから。

 それに、少しだけの寄り道くらい、許してもらえるだろう。風はあるひとを待たせているが、その待ちびとにも、久しぶりに良い土産話を持っていけそうだから。


 そうして風は、数少ない聴衆のひとりとなり、少年の奏でる妙音に聴き惚れた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る