第10話「誰がために」

 ベルの攻撃は何も変わらない。速度とパワーが落ちた今、突きの速度も威力も出ない。ただただむなしい突進の末の愚直ぐちょくな攻撃。無論、入舸に隙は無く、左掌さしょうでいなして右掌うしょうで胸を穿うがく。

 待っていた。その攻撃を待っていた。入舸の掌に合わし、口を開く。噛み千切る、その腕ごと食い千切ってやる、それがベルの最後の抵抗であった。

 わすかに入舸の瞳孔どうこうは開いたであろうか。だがしかし、ただそれだけであった。ベルの開いた大顎に、入舸は手首を返してのひらを上にして突っ込んだ。

 牙が上腕に突き立つが、意に介さず肉を裂かれながら押し込み喉の手前で上方へ跳ね上げる。手刀となった指先は口内からベルの脳へ突き立った。

「犬だもんね、やると思ってたよ」

 瞬間、ベルの意識が飛ぶ直前に、そんな声が聴こえた気がした。


 右掌が脳を打ち抜くと同時に、左掌は相手の右胸を貫いていた。先ほどまでとは違う感覚、あるべきものがその手にある感触。それを認識した時、入舸はそれごと握ったまま左手を撃ち貫いた。

 背を破り抜き出た手には、しっかりとベルの右心臓、霊核が握られている。

 ビクンとベルが痙攣けいれんし、意識が戻る。そして理解する。

 ごぼごぼと血を零しながら、何事かを呟くが言葉の体をしていない。


『……止めてくれ』


 それでも入舸には、はっきりとベルの声が聴こえていた。霊核に触れた今、ベルの言葉が脳裏に伝わった。同時に凄まじいまでの意識の奔流ほんりゅうが、入舸の脳に流れ込んでくる。昨夜みた光景、昨夜見なかった光景。ベルの目を通して見てきた世界が走馬灯そうまとうのように流れる。

 どれも美しく、楽しく、幸せな日々だった。優しい世界、柔らかな温もり、愛情に満ちた顔。父殿、母殿、祖父に祖母、友人知人……そして美奈。


 どうしてこの子は死ななければならないのだろう?

 どうしてこの子は死んでしまったのだろう?

 どうして僕は、この子を殺そうとしているのだろう?


 最後の記憶は、バスでの虐殺ぎゃくさつ

 それすらも、どれほどまでに深い愛情からの行為であるか解かった時、責めるに責めきれなくなる。もし自分ならどうだったか?

 母さんの命がそれで助かるとしたら、僕はそれを行わなかったと断言出来るだろうか?


 解らない。それは解らない。ただ一つだけ分かる事がある、だから今度こそ入舸は迷う事無く、それを握り潰した。

 握り潰した心臓から、十字のように血が吹き散った。


***《挿絵no19.魂は解き放たれる》http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im8769929


『ごめんなさい』

 最後にそう聴こえた気がしたが、あれはベルの言葉だったのか、それとも自分自身の声か。

 あるいは、美奈の声だったのか。


 両腕を引き抜き、膝から崩れ落ちるベルを見つめる。淡く光る白い珠が空へ空へと零れていく。まるで空に向かって降る雪だなと、入舸は思った。


 ベルは想う。何がいけなかったのか。どこに不手際があったのか。もう考える力も残っていない。ただ最後にその言葉だけは言いたかった。

「すまない……美奈……」

 それが、何に対する謝罪だったのかは解らない。ただ、その言葉を残してベルの躰は粒子りゅうしのように崩れていく。


 辺りを白く染め上げるように、光の雪が天に向かって降り注ぐ。入舸はそれを見送っていた。何を言うでもなくそれを見送り、光の中で小さな少女が黒い犬をいだく姿が見えた気がした。


『大丈夫、怒ってないよ。ずっと無理させてごめんね、最後の最後まで私を護ってくれてありがとう。

 ……大好きだよ、ベル』


 空耳だったのか、それともベルの魂に触れた事による思い込みか。

 それでも入舸の耳には、はっきりとそう聴こえた。

 どこまでも、どこまでも、涙があふれて止まらなかった。



「いやー、勝っちゃったよ、あの坊や!

 すごいねー、つよいねー、かーーっくいーねーー!」

 ヴィオと入舸を見下ろす地上百メートルの位置、サイドカー型のバイクに乗った二つの影。

「確かに強い、逸材いつざいだと思う。

 ……でも、あやうい」

「おー? 流石日本支部関東課のエース、Aランクケージ・ブレイカーの時任八恵ときとうやえさんは、きびしーねー」

「事実です。ウォッチャーがヴィオさんじゃなければ、あの少年は勝てていない」

「そりゃまーねー。ヴィオ姉さんはパーペキだから」

完璧かんぺきな人が何故投獄されていたので?」

 アビゲイルの完全なるヴィオ信仰を揶揄やゆするように、八恵が突っ込む。

「そりゃあ、完璧じゃなくってパーペキだからよ、八恵っち。

 パーフェクトな璧でパーペキよ」

「意味不明です。それだと完璧な璧で璧被りしています。

 こっちの頭まで悪くなる前に、いい加減私のウォッチャー降りてくれませんかアビゲイルさん」

「アタイと契約したんだから、無理に決まってんじゃんじゃーん」

「知ってます。言ってみただけです」

 八恵とて冗談のつもりで言っただけである。正確に難はあれど、アビゲイルは超一流のウォッチャーの一人であり、自分を救ってくれた恩人だ。たとえアビゲイルが精製時に用いる体液が、お小水だとしても、だ。

「……登って来ますかね彼?」

「登って来て貰わないと、アタイら特攻に行けないよ?」

「私は正直特攻に興味はありません。そこまでの危険をおかして寿命を稼ぐよりも、日本支部で堅実に稼ぐ方が性に合ってます」

「んふふ」

「何ですか、気持ち悪い不気味笑いしないで下さい」

「気持ちいい不気味笑いもあるの?」

「ほんとウォッチャー降りてくれません?」

「んふふ。ほんと素直じゃないね八恵っちは。素直に関東課のみんなから離れたくないって言えばいいじゃんじゃーん。

 そーゆーの、人間界でツンデレって言うんでしょ?」

「……一生言ってて下さい。それより帰りますよ、もう用は済んだわけですし、私帰って寝たいです」

「あ、ちょい待った。ヴィオ姉さんからちゃく入ったし」


『悪かったわね、アビィ、八恵』

『いえいえ全然。アタイとヴィオ姉さんの仲じゃないっすかー。

 まぁ相変わらず無茶するなーとは思いましたけどね。いつあの坊やが壊れちゃうかって、はらはらしちゃいましたよ』

『あんたじゃあるまいし、させやしないわよ』

『どーかなー。同じ弾持ちとして言っちゃうけど、初めから準備しとくべきじゃなかったんですかーって思ったり思ったり』

『思いっぱなしですか』

 思わず八恵が突っ込みを入れる。

『初めっからそんな甘やかしてたら、ロクな大人に育たないわ。

 それより八恵の目から見てどう思った?』

『情緒不安定でムラがあり、防御の甘さが目立ちますが強いですね。

 ほぼ初陣であれだけできる逸材を見つけるとは、さすがヴィオさんです』

『あぁっるぇえーー!? おっかしーなぁ、「……でも、危うい(キリッ)」とか言ってたじゃん、さっきー!』

『言ってません。止めてくださいそういうの』

 相変わらずの二人に、ヴィオは苦笑にがわらいしながら礼を言う。

『まぁとにかくありがとう二人とも。今度何かおごるわ』

『別になんもしてないですけど、焼肉食べたい』

『本当に何もしてないのに、図々しいですねアビゲイルさん』

『ふふ。とにかくまた後でね、ありがとう二人とも』



「や、やった! やりましたよ室長!

 ら、ランクBですよランクB!

 初陣でランクBを倒す新人って、なんなんですかあの子!」

 途中から口を挟む余裕もなく、じっと見守っていたガブリエッラは興奮を大爆発させた。椅子を倒しながら、飛び上がらんばかりのガッツポーズを決めながら叫ぶ。

「ランクBじゃなく Bそうとう あとじっしつ にかいめ」

 ビーチェの突っ込みもなんのその、大はしゃぎでエイラに抱き着く。

「良かったよーエイラ、いきなり無職になっちゃうかと思ったよぉー」

「いや、別に負けても無職にはなんないから」

 何だか感極まって泣き出したガブリエッラを、よしよしとなぐさめる。

 トーマスとビーチェは、いつの間にか用意していたビールで乾杯しており、エックハルトは何故か母親に電話で喜びを伝えていた。

 安堵と歓喜に包まれ、ちょっとした動物園並みの騒ぎとなったオペレーションルームを見守り、マトヴェイとリゼットが微笑み合う。

「やはりヴィオと入舸君は本物ですね」

「……だからこそ、こんな無茶な育て方をして欲しくないんだけれどね。

 まぁ、今はとりあえず喜ぶとしようか」

 マトヴェイは、輪になって踊っているガブリエッラとエイラに声を掛ける。

「二人とも、ワインセラーに270年物が何本か残っていたはずだ。持ってきてくれないか」

 その言葉を聞くと同時に、オペレーションルームは大歓声に包まれた。



『いやいやいやいやいやいやいやいやいや……はぁはぁ…いやいやいやいや!

 だから凄いって言ってるんですよっ! たまには素直に喜んでくださいよ先輩!

 って言うか入舸君にも繋いでくださいよ!』

『分かってるってば、ありがとありがと、あとでね、あとで』

 何故か酔っぱらって、大興奮で賛辞さんじの槍を打ち投げ続けるガブリエッラをあしらいながら、ヴィオは腕を広げ集中する。

 手の甲に紋様もんようが浮かび、浮遊する霊魂の残滓ざんしを次々と吸収し、背に広げた四枚の菫色すみれの翼が乳白色に輝いていく。

 すでに何者の自我も記憶も情報も持たない。ただの霊的エネルギーと化した霊子を回収し終える。

『いや、私はね信じてたんですよ。マジ信じてたっていうか、信じすぎて怖ったんですよ先輩。ねぇちょっと、おーい、きーてます? せんぱーい!』

 流石に耐えきれなくなって、ヴィオは本部とのリンクを切断し、完全に念話を終えた。


「……思った以上に残ってたみたいね」

 ようやく落ち着いたと、煙草を吹かしながら独りごち、ヴィオは眼下に目を向けた。

 相変わらず入舸がうずくまったまま動いていない。

「まったく、強いんだか弱いんだか」

 バイクをその場に残し、入舸の元へ舞い降りる。

 気づいているのかいないのか、ヴィオが背後に降り立っても入舸は動かない。正確には動いていた、小刻みに震え、泣いていた。


 ヴィオは何も言わないまま、黙って入舸の頭を抱き寄せた。ヴィオに頭を掻き抱かれたまま、手で顔を覆った入舸が嗚咽おえつ交じりに口を開く。

「だって…しかた……ないじゃんか…母さんの方が……大事なんだから」

 コツン。入舸の頭頂部に自らの顎を乗せて、ヴィオは言葉を返す。

「そうね。坊やは

 肯定でも否定でもない、ヴィオらしいなぐさめ方。それに妙に救われた気がした。

「言い忘れてたけど、オーバーフローしてたとはいえ、ターゲットはB相当。

 報酬は2,160時間よ」

 その言葉を聞き、どっと涙が勢いを増した。現金なものだと自分に嫌気が差す、はしたないと情けなくなる。

 だが2,160時間だ。およそ三か月、90日もの寿命が母の佳保莉に追加されたのだ。


 正直入舸は、霊界にとっての正義が自分にとっての正義だとは思えない。ソウル・ケージと自分は似ている、ある意味まったく同じだと言っていい。愛する者のために戦い続ける存在。

 正しくは、。極めて自己中心的なエゴイズムのために、他の命を奪って寿命を得る者。それがソウル・ケージとケージ・ブレイカーであった。

(間違っているかも知れないが、正しい。そうだ、ヴィオの言う通りだ。少なくとも願い通り母さんの余命が伸びたのだから……

 正義の味方になろうと思うな。それでいい、それだけでいいんだ。

 母さんのためじゃない、母さんに生き続けて欲しい、僕のために、僕は戦ったんだ)


「僕は……それでも納得して戦ったよ…」


***《挿絵no20.自己確認》http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im8769930


 ヴィオの瞳を見つめ、入舸は言った。強がりかも知れないが、本心だった。

 ヴィオは優しく微笑み、入舸のまぶたをそっと手で下ろす。

 入舸はそれを為すがままに受け入れ、唇に柔らかい感触が当たり、躰を霊気が流れて行く。疲労し、傷つき、失った霊力補充のための行為。

 ただそれだけの行為のはずなのに、入舸は凄くずるいと思った。

 ひどく、ずるい女だと思った。

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