第3話「夜の終わり」

 一瞬。瞬きも許さぬほどの刹那の隙間に、奔流のように流れる記憶と想い。

 魂の器であり、ソウル・ケージと宿主を繋ぐ鍵となる霊核れいかく(右心臓)を破壊するときに生じる記憶の共有に、入舸は呑まれ、流される。


『愛するものを救うためなら、他のなにかの命なんて関係ない』


 そう呟いたのは入舸であった。同時に狗頭の男の右心臓を握る手が緩む。

「――っち、どんだけ深く同調したのよあいつ!」

(まぁ実際初陣だと半数以上はそうなるのは解っていたけど……解かっちゃいたけど、分かってあげるわけにはいかないのよ!)

『しっかりしなさい、入舸!

 それは坊やの記憶じゃない、坊やの想いじゃない、坊やの心じゃないのよ!

 ――そのまま霊核を、もう一つの心臓を握りつぶしなさい!』

 ヴィオの叱咤の声飛ぶが、入舸の答えはヴィオの期待するものではなかった。

「……何がいけない?

 他の何かの生を喰らって生きることの、何がいけないんだよ……

 人が豚や牛を食べるのと、どう違うって言うんだよ!」

 おびただしい量の血を噴き出しながら、ベルの胸から左手が引き抜かれる。しかしその手には何もない。血濡れた手には何も、ない。


「ぐぉああ……がっ!」

 ベルは右胸から大量の血を流しながら、身をよじる。完全に殺されたと思っていたが、何故か髑髏の男はその手を引いて、微動だにしない。

(――何故……止めを刺さなかった?)

 最後の力を振り絞り、胸部の修復を図りながら静かに身をずらす。入舸を刺激しないようにゆっくりと動き、離脱を試みようとする。

 同時に発砲音、数は六回。咄嗟に腕でそれを受けながら身を投げた。右後方に大きく跳ね、転がり込むように道路へ出る。弾は腕や肩、わき腹に食い込んではいたが、傷は浅く骨にすら届かない、拍子抜けする威力であった。

(……どうなっている? まるで子供のおもちゃではないか)

 筋肉に力を込め、食い込んだ弾を弾き出しながらベルは躊躇いながらも、上空の女に自分を殺す力はないのではと考える。

「はいはい、知ってました!

 ただの霊弾じゃソウル・ケージの相手になんかなんないってね!

 だからこそのアンタらケージ・ブレイカーでしょうが!」

 ヴィオの罵声を聴いて、やはりそうかとベルの懸念は確信に変わり入舸を見る。状況は分からないが、入舸と呼ばれた髑髏の男は両腕を下に動こうとしない。ベルは視線をめぐらせマンホールを探し、見つけた。


(――まずい、潜られる!

 あの状態のあの程度の相手なら、私ならアレを使えば右心臓も撃ち抜けるけど……

 それじゃあ意味が無いのよね!)

「追いなさい坊や!」

 ヴィオの女の声もむなしく、ベルはマンホールから下に透過する。霊体は自然物は抜けられない。正確には、生命、一定の質量を持った魂のある存在を透過することが出来ないのである。

 それは根ざした草花であり、樹木であり、昆虫に動物、そして人間である。

 雨粒や砂粒のように、あまりに希薄な存在は可能だが、河川や湖、海や大地、意識や記憶を持つほどの質量をもった鉱物なども抜けられない。


 そして彼らには透視能力があるわけではなく、霊体と違い重力の影響を受ける幽体は、空を飛ぶことも叶わない。

 だからベルはマンホールを、その下に広がる空洞を狙った。アスファルトの下に広がる土中を潜ることは不可能だが、確実に人工的空間が存在する場所、下水道なら目を欺けると、逃走経路に選んだのだ。


「冗談ファック!

 ほんと甘ちゃんなんだから……っ」

 スロットルを開け、空を滑りバイクが急降下する。すれ違いざまに入舸の手を取り後部座席に引きずり上げる……はずであった。入舸がその手を払ったのでなければ。

 掴んだ手を払われたヴィオは、5メートルほどバイクを滑らせて、止まる。


『あっちゃー……やっぱりヘタれちゃいましたね、先輩』

 ガブリエッラの落胆する声を無視して、ヴィオを煙草を取り出しゆっくりと火を点けた。ゆっくり、長く、煙を吹き出す。ため息の代替とでもいうべく一服ののち、口を開いた。


「……何の、真似かしら?」

 すでに追跡の意思なしと見たのであろう。今ならまだ、追おうと思えば一人でも追えるが、バイクのエンジンを止め入舸を見貫く。

「……同じだろ……あいつは僕と同じじゃないか……

 一体あいつの何が間違ってるって言うんだよ!」

 フード脱ぎ、マスクに手をかざす。――ブンッと、機械の駆動音にも似た響きと共に、入舸のマスクが霧散して顔が露わになる。

 少年の顔が、そこにあった。

 そこには高校生前後の、ようやく幼さの抜けた少年が居た。鍛え抜かれた体躯は、とても少年と言えるものではなかったが、涙に塗れるその顔は中高生そのものだ。


「同じ、ねぇ……」

 けだるそうにバイクを降り、ヴィオは大股に歩を進める。菫色の瞳で入舸を見貫いたまま、歩み寄るや否や逡巡しゅんじゅんなく右の拳を振り抜いた。

 ゴツっと鈍い音を立てて、入舸の頭がわずかに右に捻じれる。

「――なっ!?」

 入舸は唐突な殴打に目を白黒させ、ヴィオを睨む。

 無論避けようと思えば容易たやすく避ける事はできたが、避けるべきではないと空気を読んだ。読みはしたが、本当に殴るのかよと、思わずびっくりしてしまう。

 だがその一撃が、少なくとも入舸を同調の余韻からは解放していた。

「……痛ぅ……痛っったいわね、コンチキショー!

 アンタ顔面丈夫すぎでしょ、乙女の拳が壊れたらどーすんのよ!」

「ふ、ふざけないでよ、そっちが勝手に殴ったんでしょ!」

「坊やが勝手なことばっか、ほざくからでしょうが!」

 入舸の胸元を捻じり上げ顔を寄せられ、煙草の焼ける熱とラベンダーのような香りが伝わる。霊界独特の煙草の香り、忘れられないその匂いが、入鹿を更に現実に引き戻した。

 意識が引き戻された入鹿の眼を、菫色の瞳が見据える。苛立ちの色から憂いを帯びた色に変わり、呟く。

「41日と3時間15分……」


「……っ!」

 ヴィオの瞳に映る己の表情が強張るのが見えた。背筋が震え全身がわななき、急激に口中の水分が枯れる。舌が上顎に張り付いて上手く声がだせない。

「……目ぇ覚めた?」

 突き飛ばすように入舸を押しやり、白髪の女は飽きれたように煙を吐く。

「ち、違……ぼ、僕、なんで……そんなつもりは……

 す、すぐに追わなきゃ!」

「もう遅いわよ。霊核である右心臓が露出するくらい弱ってるから、アレの霊力も普通の人間と変わらないし、微弱過ぎて区別なんかつかないわよ」

「パ、パターンは!?

 霊波のパターンで追えばいいだろ!」

「れいはのぱたーんでおえばいーだろー。

 はっ、冗談ファック!

 パターンはガブガブが登録はしたけど、霊波が弱すぎて追えないって、今言ったでしょ!

 どうせ逃がすんなら中途半端に瀕死状態にしないで、五体満足で逃がしなさいよ!

 そもそも宿主の所に戻られたら終わりよ、私らが握った霊波はソウル・ケージのものなんだから」


『でも速攻追えば、先輩なら追い切れた気がするんですけどぉ?

 先輩、絶対わざと追わなかったでしょー?』

 ガブリエッラの空気を読まない突っ込みに、軽い舌打ちを返し無視を決め込む。


「そ、それでも、追わないより追った方が……

 それがウォッチャー<Watcher>の役割でしょ!」

「坊やが、それを言うわけ?

 必要以上に同調して、勝手に同情して、勝手に逃がした坊やが?」

「そ……それは…」

「それに、何度も何度も言ったわよね?

 霊核に触れる時は心を閉ざせって。魂の記憶が交流するから、自我を強く持てって、混ざる瞬間に心を閉ざしなさいって。

 座学でも実演でも何度も教えたし、マスター黄からも何度もレクチャーを受けたはずよね?

 そもそも今夜だって、嫌って言うほど念を押したわよね?」

「……ゴメン、ごめんなさい……ヴィオ」

「ゴメンで済んだら、輪廻転生庁是正局執行部は要らないっつーの」


『先輩きっびしー。イルカ君初陣なのにぃ。

 イルカ君の豆腐メンタルなら、こうなるの分かってたんじゃないですかぁ?

 ケース7なんて基本中の基本なの――』

「っるっさいわよ、ガブガブ!」

 突然ヴィオが、宙を見上げ罵声を飛ばす。誰かがいるわけではない、霊界に存在するオペレーションルームへ向けての返答である。

 通常対ソウル・ケージ執行部隊は、直接戦闘員のケージ・ブレイカー、ケージ・ブレイカーの監視兼サポート役のウォッチャー、更にそのバックアップの指令室のナビゲーターによる三者で事にあたる。

 ウォッチャーとナビゲーターと視界聴覚を同期しており、任務中はウォッチャー側が意図的に遮断しない限り、ナビゲーターに状況が伝わる。入舸も今のがガブリエッラに向けた言葉であることが分かった。いや、入舸にも分かるように敢えて口にしたのだと気づいた。


『だからガブガブじゃないですってば!

 私にはガブリエッラ・ガブールロって立派な名前があるんです!』

「どう考えてもガブガブじゃない。

 そんなことより、檻の身元捜索の準備しなさい」

『え……?

 そ、そんなこと言っても情報無いですしっ!

 接敵時にモニター越しで見ましたけど、あんだけの情報で何を割り出せって言うんですか! 該当データなしのご新規さんですよあれ!』

「心配しなくても情報はあるわよ、目の前にね。

 ガブガブや本部とも同期させるわよ入舸」

 ヴィオが目の横あたり指をならすと、ヴィオをの意識を経由して入舸の意識とガブリエッラをリンクして念話に参加させる。


『やほやほ入舸君。災難だったねー、でも大丈夫ですっ!

 私なんて失敗しない週がないってくらい失敗してるし、あ、そーいえば一昨日の夜もデータ入力中に――』

『ちょっと黙ってなさいガブガブ』

『ひっどぉーい先輩、自分で繋いどいて黙れはないんじゃないですぁ!

 たまにしか入舸君と話し出来ないんだから、ちょっとくらい日常会話を楽しんだって、いーじゃないですかぁ。

 大体何で常時リンクしてくれないんですか?

 いじわるですか、嫉妬ですか、けちんぼなんですか?』

『アンタほんとにぶん殴るわよ……バイパス役は疲れるし、何よりアンタがそんなだから、必要な時以外繋ぎたくなんないのよ!』


 緊急時にも拘わらず、マイペースなガブリエッラの会話を聞いて入舸の顔が緩む。若干落ち着きを取り戻した様子を確認して、ヴィオが本題に入る。

『視たんでしょ、アイツの記憶を』

『――!

 み、視た! 見えた……美奈……美奈って名前の女の子だった!

 多分小学一……いや三年生のはず、あの光景は二年前だったから!

 親の職業は……きっと獣医だと……思う。

 あいつ自身は……ドーベルマン、ドーベルマンのソウル・ケージだと思う』

 途切れ途切れの記憶の糸を辿り、何とか知っている情報を告げる。

『頼りないわねぇ、思う思うって。

 まぁ、ともかく名前は美奈、小学三年生。おそらくソウル・ケージになったドーベルマンの飼い主で親が獣医ね。こんだけ情報があれば十分でしょガブガブ』

『いやいやいや、せめてもう少し地区の絞り込みとかをっ!

 そもそもドーベルマンって、それ見たまんまじゃないですか入舸君!

 そんくらい俗界に疎い私でも分かるから、分かりみ凄いから!』

 ガブリエッラの抗議を完全に無視してヴィオが先を続ける。

『地区は西東京……練馬、中野、杉並、三鷹、府中、武蔵野……立川辺りまでの獣医の一家の中で、美奈って名前の小学生を探せば当たるでしょ。ここ花小金井の駅だし』

『ムリムリムリムリ、ほぼ東京の西側全部じゃないですかっ!』

『検索かければ一発でしょ?』

『俗界の役所じゃないんですよ! 人間嫌いの管理局のデータが、百年そこらで死ぬ人間の個人情報とか、いちいち更新してるわけないじゃないですかっ!

 江戸時代とか平安時代の戸籍データが残ってるんですよあれ!』

『……ほんと使えないわね、あいつら。仕事する気あんのかしら。

 まぁいいわ、執行部のデータがあるでしょ』

『執行部のデータは、指名手配中のソウル・ケージの霊波パターンと宿主とか、ケージ・ブレイカーの適合者関連の情報しかないの知ってるじゃないですか!

 一応洗いはしますけど、関東全域のデータですから、ビンゴる可能性なんてほとんど期待出来まっせーーーんっ!』

『じゃあ蜂を飛ばして、地道に探すしかないわね』

 蜂とはビーコン<beecom>と呼ばれる蜂型の小型ドローンであり、主にナビゲーターが俗界の情報収集機器として使用している。西東京全域の捜査となると100機近い数を管理しなければならず、ガブリエッラの疲労が尋常ではなくなるのは目に見えていた。

『って言うか、私の話聞いてました?

 いま入舸君にモア情報プリズってたとこじゃないですか、邪魔ですか、嫉妬ですか、年ですか?』

『……坊や他に何かある?』

『ご、ごめんガブリエッラ。同調中は何かぐわーってなってて、よく覚えてないんだ。ただ、とても悲しかった事は……

 あ! 交通事故、宿主は交通事故にあったはず!』

『よかったわねガブガブ、大変有力な情報が出てきたわよ』

『立たないから! その情報要る? ってくらいに現状役に立ちませんから!

 せめてその時の日時とか、俗界での新聞やニュースになったとか――』

『じゃ、あとよろしくね』

 そう言い終えると、ヴィオはガブリエッラと入舸のリンクを解いた。


『ちょま……私あと2時間で終業ですよ、そんなの残業決定じゃないですかっ!

 萌え絵シャンドンのモーニングに間に合わないじゃないですかっ!

 夜勤明けのベーコン&チーズガレットと洋梨とはちみつのクレープだけが、私の生きがいなんですよっ!』

『ちょうどいいじゃない、そんな安っすい生きがい変えれるチャンスよ』

「安くて結構!

 アルコールと煙草と仕事が生きがいの先輩に、言われたくないですぅー!」

『上官命令よ、残業しなさい』

『ちょまっ――』

 更にヴィオはガブリエッラとの同期も切る。


***《挿絵no7公僕の日常》http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im8769873


 ブツン。無慈悲に通信を切られたガブリエッラは硬直する。

「あ、あんの寝癖痴女切りやがったぁ!

 ざ、残業ってレベルじゃないでしょコレ、なんなのよもーっ!

 って言うか、執務中にナビとのリンク切るとか明確な業務違反ですよね、そーですよね室長!」

 バンバンとデスクを叩き、無節操に食いつまんだお菓子が跳ね上がる。是正局日本支部関東課指令室室長のマトヴェイ・スハノフは、穏やかにその有様を見つめながら答える。

「ヴィオが業務違反を起こさない日なんてあったかな?」

「まともな制服着た事ないですよね、ヴィオさん」

「大体二日酔いで遅刻しますよね」

「禁煙なのにタバコ吸うし」

 口々にオペレーションルームの同僚から、ヴィオの陰口と業務違反の愚痴が零れる。 

「まぁ、初陣だとよくある話よ。そもそも残業を覚悟していたから、そんなにお菓子用意してたんでしょ?」

 無数に宙に浮かぶ透過モニターの一つに、特に仲の良い同僚の顔が映る。

「エ、エイラ、もちろん手伝って――」

「もちろんパスさせて貰うわ、代わりにガレットは食べてきてあげるね」

 素気無い一言を残し、エイラ・スオミネンの名前がログオフする。

 茫然ぼうぜんとするガブリエッラのデスクに、カフェオレのカップがそっと置かれる。ガブリエッラは喜色を浮かべて、送り主に顔を向ける。

「ガレットは興味ないけど、今日くらいは代わりに食べてきてやるよ」

 バチっと音がするようなウインクと共に、トーマス・レドモンドは手をひらひらとさせながら、上機嫌でエイラと共にオペレーションルームを去っていった。


「ちょ、ちょっとちょっと、みんな同僚のピンチを見捨てる気っ!?

 可愛い後輩に恩を売る大チャンスですよ、手助け株底値まったなしですよ!

 早番ですよね、ビーチェさん、エックハルトさぁーん!」

 ガブリエッラの呼びかけもむなしく、早番の同僚たちは急に作業に取り掛かる。頑なにガブリッラを見る事は無い。まるで目を合わせれば石にでもなると言わんばかりに、決してガブリエッラの方を見る事なく、隣席のビーチェに至ってはソリティアに精を出している有様であった。


「ま……マぁジでぇーすかーっ!

 ち、チーフ! チーフは私を見捨てませんよねっ!」

 最後の望みとばかり、副室長であるチーフナビゲイターのリゼット・アシャールを見つめるも、満面の笑みから出た言葉は「ヴィオのナビゲーターになった運命ですね」と言う心温まる返答であった。


「……あの、ヤニカス寝癖痴女ぉおっ! パワー原田!」

 ガブリエッラの5時間28分にも及ぶ残業が、確定した瞬間であった。

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