第55話 ラストストーリー 3

 7日目の朝は普通に迎えた。

 だが、アレッタに一抹の不安があった。

 それは、今日の日付が変わる12だ。

 通常ならその12時に天界へと戻ることになる。


 だがアレッタは魔族となっている。



 もしかするとそのまま消滅する可能性が、ないわけではない───



 そのアレッタの不安をかき消すように今日は来客が多い。

 朝一魔女が来たかと思えば、変身腕輪を改良したものを置きにきたり、デイビーズが珍しい東洋の「酒」を持ってきてくれたり、そして何より、あの修羅場を生き抜いたシルファが遊びに来てくれたのだ。

 それも、素敵なワンピースを着ての来訪だ。


「アレッタに会いに来たの」


 あの時とは違い、少ししおらしい彼女の声が聞こえた。

 フィアから呼ばれたアレッタは、部屋から飛び出した。


「シルファ、体の調子はいいのか?」


 アレッタが二階から声をかけて駆け出すが、シルファの目が丸くなっている。


 ………これはまずい。


 大人の姿だったと、慌てて体を縮めると、黄色のワンピースに身を包み、シルファの元へと駆け寄った。


「あ、アレッタ……?」

「ああ、私だ」

「今、大きくなかった……?」

「見間違いだろ」

「髪の毛……銀色……?」

「いろいろあったんだ。そんな私のことより、そちらのことを聞かせて欲しい」


 アレッタは彼女の手を握ると、すぐに中庭へと向かった。

 すでに外で遊んでいたエンがアレッタへと擦り寄ってくる。


「ほら、エン、挨拶」


 ぐるぐると喉を鳴らしシルファに頬を寄せるエンだが、それにまた驚いている。


「子猫……じゃなかったっけ……」

「いろいろあったんだ。そんなことより、そちらの話をしようじゃないか!」


 お気に入りになっているガゼボのベンチへ腰掛けると、彼女は順を追って話してくれた。


 今彼女は、子供のいない学校教師の家で養子となっているという。

 当初施設の話もあったのだが、たまたま子供を探していたその夫婦にご縁があり、すぐに生活が始まったそうだ。

 シルファの両親は子供を売った罪で、もうこの土地にはいない。

 どう罪を償うのかシルファは聞いていないが、死んではいないという。

 彼らが罪を償い終えたとき、またシルファの親になるかどうかは、裁判所が決めるそうだ。


「始まったばかりだから、全然この生活に慣れないの……」


 遠い目をしたシルファに、どう声をかければいいのかわからない。

 言葉に詰まるアレッタに、シルファはにっこりと笑ってみせる。


「でも今、学校にも行けるし、ジャンの分もしっかり生きなきゃいけない。今の生活は恵まれてるから、大事にしないとね!」


 シルファは生きることに前向きだ。

 今をしっかりと踏みしめている。

 アレッタはそんなシルファに笑顔を向けた。


「私も頑張らないとな!」

「そうよ、アレッタ。ねぇ、ここの生活には少しは慣れた? 引っ越してきたばかりって聞いたけど」


 フィアだろうか。

 うまい言葉を使うものだ。


 アレッタは感心しながらも、唇を一文字に結んでみる。


「そうだな……」


 アレッタは思わず空を見上げた。



 ────もう天界には帰れない。



 なぜかこのとき、はっきりと自覚したアレッタがいる。

 わかっていても、改めて説明をしようとしたときに、心の中が整理されるのかもしれない。


 そう、私は天界には戻らない。


 そう思ってから、改めて今日までの出来事を滝の様に流してみたとき、心に残る言葉は『激動』と『葛藤』だ。


 なぜか懐かしい気持ちになった。

 あれほどの激しい日常を繰り返していたのに、今は平和を楽しんでいる自分に少し笑いたくなる。


「私も慣れないな。けど、ヒトの世界ここはいいところだな」


「アレッタがそう言ってくれて嬉しい。私もここ、好きなの」


 シルファの『ここ』と、アレッタの『ここ』の意味は違うかもしれない。

 それでもいい。

 いいところなのは間違いないのだから。


 そんな会話をしている間にフィアがランチを作ってきてくれた。

 今日のランチはガゼボで食べられるようにと、白身フライにタルタルソースをたっぷりはさみこんだサンドイッチと、コーンポタージュスープに、フルーツの盛り合わせだ。


「ちゃんとおやつも用意してある。たくさん遊んでから屋敷へ戻ってこいよ」


 フィアの言葉にふたりで感動しながら、おしぼりで手を拭いて、サンドイッチに手を伸ばす。

 食パンは程よく焼かれ、温かい。

 白身フライも揚げたてのようだ。じんわり湯気が上ってくる。

 すこししんなりした千切りキャベツに、ピクルスと茹で玉子がたっぷり入ったタルタルソースは、見事にマッチする!

 パンのサクッとした食感と、さらに軽い歯ごたえの衣の食感、薄く塗られたマスタードが後から顔を出してくる。


「美味しすぎる……」


 目を見開き、美味しさに没頭するアレッタの横で、シルファは満面に笑顔で頬張っている。


「あの、フィアってお兄さん、お料理上手なのね」

「ああ、めちゃくちゃ美味いぞ! にしても、今日のおやつはなんだろうな」

「アレッタもわからないの?」

「ああ、材料も何も見てないんだ」


 ガゼボでランチを食べたふたりは、すぐに虫取り網を持って妖精を捕まえたり、エンを鬼にしてかくれんぼをしたり、ネージュがくれば3人でままごとをしたりと、女子の遊びはとても面白かった。


 子供の頃から戦いへの訓練だったアレッタにとって、こういった遊びは新鮮なのだ。


 いい大人がままごとなんて、と思うかもしれないが、いざやってみると幼児の頃とはまた違う面白みもあると思う。

 何より、アレッタは幼児で楽しんだのだから、言うまでもない。


 しっかり遊び切ってから屋敷へ戻ると、キッチンから甘い匂いが漂ってくる。


「この甘い匂いはなんだろ……」


 アレッタは精一杯鼻をヒクつかせるが、この答えを当てたのはシルファだ。


「アレッタ、この香りは、クッキーの香りよ」


「お、さすがシルファだな。今日はクッキーなんだ。1枚ご褒美だ」


 フィアはシルファの頭を撫でると、顔ほどのクッキーをシルファへ手渡した。


「おお、今日はクッキーなんだな! 美味しそうだ」


「アリー、よだれっ!」


 アレッタの涎をぬぐい、椅子へと座らせる。

 シルファも横に腰掛け、食べ始めた。

 クッキーと牛乳の相性も最高だ!

 喉を鳴らして飲みこみながら、女子の会話は止まらない。


 何歳でも、女子は女子なのだ。


 そんな楽しい時間もあっという間。

 夕刻となり、シルファも帰る時間となった。

 帰り際、フィアがシルファに言った。


「シルファ、明日も来れるか?」

「来れるけど、どうして?」

「明日はアレッタの誕生日なんだ。よかったら来て欲しい」

「もちろんよ。時間は?」

「15時。手土産も何もいらない。ただご馳走をいっぱい作るから、お腹は空かしてきて欲しい」

「わかったわ」

「じゃ、アレッタ、また明日ね!」


 玄関扉の前で手を振ったアレッタだが、少し悲しそうな目をしている。


「どうした、アレッタ」


 アレッタはそのままフィアを見上げ、


「フィア、私は明日も生きているのかな……」


 ぽつりと呟いた。


「理論上はな。

 さ、明日、お前が食べたいものを作ってやる。リストを作ろう」


「あたしもリクエストしちゃおうっ」


 そういって差し出したふたりの手をアレッタは掴んだ。

 その手が温かく、力強くて、アレッタはそれだけで安心できる。

 幼女の姿だと素直に甘えられる気もして、幼女の体も悪くないと、アレッタは笑った。

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