第48話 激動6
あの激しい剣圧を滑らかな動きで避けている───
エイビスの目が瞬間的に縛られるほどに、アレッタの身のこなしは優雅で、美しかった。
月光の下、なびく淡い紫の髪が透けて白く輝く。その動きに合わせて、刀が一筋の線を描く。
刀だからこそできる動きだ。いや、もしかすると彼女であれば両刃剣でも美しく剣をさばくのかもしれない。
だが、あの銀の鎧に、透き通る刀が見事に映えている。
今浮かぶ月のように、青白く輝く姿は、まさしく、天使だ───
『エイビス、眺めていても倒せません』
フィアの声に、エイビスはわざとらしい咳払いをすると、見上げている
「あの技しかないかなぁ」
『アレですか? 少し時間がかかりますが』
「そうなんだよねぇ」
しばらくぼやいていたい。だが、その時間を割いてくれるわけもなく、黒鎧がすぐに動きだした。
黒鎧は移動を諦め、おもむろに盾の上に槍を乗せた。そこからエイビスに槍先を向けると、槍の持ち柄をくるりと回す。
そのとき、黒く尖い棘が放たれた。
それも何百もの棘である。
「なんだよ、この技っ!」
エイビスは素早く跳ね上がり、ロングソードで弾き返す。まさか遠距離用の武器まで備えているとは、油断していた。
「この黒鎧、進化してる……!」
走り抜ける足元には棘が刺さる。見事な命中率だ。
空中であれば狙いも外れるかと飛び上がるも、確実にエイビスの心臓目掛けて棘が放たれる。すぐにロングソードをひるがえし、叩き落とすが、無数に放たれる棘を斬り返すばかりでは、体力を削られるだけだ。
エイビスが地面に着地し、剣を構え直したとき、エンの声が響く。それと同時に鉄を斬る金属音が轟いた。
エンが黒鎧に爪を立てたのだ。
ブロディの爪はなかなかに鋭い。魔獣だけあり、あの厚みのある鎧に傷ばかりでなく、破壊力もある。
えぐり取るように引っ掻けた鎧の破片が、びちゃりと地面に叩きつけられる。黒鎧の右膝には、5本の爪痕がしっかりと残され、あと数回爪を伸ばせば、核の天使まで行き着きそうだ。
黒鎧は、エンを近づけさすまいと棘を撃ち始める。
ヒトの世界でネコ科に思われてるほど、エンの体はしなやかに、そして機敏に動き、攻撃を繰り返していく。
やはり最初の一発は不意打ちだったため、深く攻撃できたが、2度目はそう簡単には攻撃を受けてくれない。それでもエンは黒鎧の視線を奪いつづけている。
「さすが、アレッタの相棒か……」
エイビスは再び屋根の上に飛び移ると、重心を落とし、剣を掲げた。右頬の近くに構えた剣は微動だにせず、まっすぐに天を指す。
その体勢でエイビスは魔力を高める呪文を唱え始めた。
唱える声は歌に近く、さらに精霊の言葉のようで、まるで子守唄のようだ。
なめらかなメロディはこの闘いに華を添えるように、じんわりと辺りに響きだす。
アレッタはその声を胸で聴き、ジョヴァンナの剣を弾き返した。
彼女の息はすでにあがり、青白い肌に玉の汗が浮いているのが見える。激しい痛みと耳をつんざく悲鳴によるものだろう。
「ジョヴァンナ、二度と剣が持てなくなるぞっ」
「うるさいっ! 左手になればこんな傷、すぐに治せるっ!!」
アレッタは言葉を返せなかった。
神の左手は、選ぶのではない。
だからこそ、今、ここで彼女の想いを絶たねばならない。
彼女は、
アレッタは素早く刀を水平に構えた。
踵に力を込めると、瞬間的な反発力でジョヴァンナの懐へと潜り込む。
彼女も手首を返し、剣が盾になるよう構えに移る。
ふたりのいななきが響き渡った────
アレッタはジョヴァンナの脇をすり抜けながら、刀をふり抜く。地面を滑りながら、ジョヴァンナの少し先で足は止まった。
だがジョヴァンナはじっと、その場に立ち尽くす。
数秒の間をおいて、ぐちゃりと音を立てて、死色の剣が地面を叩いた。
「うあぁぁあぁああああぁ」
ジョヴァンナの、悲鳴に似た怒声が上がった。
アレッタは彼女の腕ごと斬り落としたのだ。
地面には赤黒い溜まりができるが、その血すらも啜りあげようと、死色の剣は蠢き取り込んでいく。
アレッタは、苦々しく顔を歪めたジョヴァンナに、ゆっくりと振り返った。
その後ろ姿が、自分の姿に見えてくる。
もしかしたら、羨む心を掛け違えていたら、こうなっていたのではと───
その頃、屋根上のエイビスは、低音を響かせながら、ゆったりと詠唱を終えた。
それと同時にロングソードに燃える文字が浮かび上がる。
剣先まで文字が刻まれたとき、その剣が炎をまとった。炎が啼くほどに、激しいうねりをあげて、剣に宿る。
エイビスはその剣を黒鎧の心臓へと指すように、身構えた。
そっと左手に燃える剣が添えられる。
まるで弓だ。
ゆっくりと炎の剣が頬横で後ろへと引かれていく。
そして、閃光が黒鎧に向けて走った。
そうとしか見えなかった。
それほどまでの速さで、黒鎧の盾を、そして、鎧を
焔の剣で貫通させていたのだ。
膝から崩れた黒鎧は、灰となり、塵となり、地面へと崩れていく。
鎧が剥がれた天使が手を伸ばすが、その手はもう何も掴めない。黒く焼け焦げた皮膚に、羽……もう原型を留めていられない。
すぐに指先から崩れ、その天使の魂が悪霊へと変化していく。
黒鎧をまとった者の末路だ。
エイビスは散りゆくそれをただ見下ろし、くるりと背を向けた。
一瞬、膝が落ちる。
一気に大量の魔力を放出したせいだ。さらにいえば、アレッタへの輸血もあるだろう。
だが、1体倒せたことに、エイビスに余裕の心があったのは間違いない。アレッタもジョヴァンナの動きを封じ込めているのを分かっていたからだ。
エイビスはロングソードを両刃剣に創りかえながら、何気にアレッタの方を振り返った。
だが、彼女の動きに、エイビスの思考は固まった。
エイビスの横をアレッタが飛び抜いていったのだ。
それはアレッタの意思ではなく、強力な力による結果だ。
ほんの数コマの時間だ。
視線をずらし、見えたものは、もう1体の黒鎧───
違う。
悪霊へと変化を始めた天使が、死色の剣を使い、黒鎧に変化している姿だった………
呆気にとられるエイビスの後ろから声がする。
「エイビス……逃げろ……」
エンが体を使ってアレッタを壁への激突から守ったようだ。
だが、それでもあの衝撃はひどくアレッタの体を傷つけている。
銀の鎧が砕け、なんとか立ち上がるものの、刀を杖にしてようやくだ。
前方にいるジョヴァンナは、ゆっくりと歩みを進めてくる。
おもむろに斬り落とされた腕を掴みあげると、傷口へと当てた。すぐに黒鎧と化した皮膚がそれを受け取り、見る間に同化させてしまう。
黒に滲むジョヴァンナが腕を振りあげた。するりと黒い粘液が伸び、もう1体の黒鎧を覆う氷を簡単に砕く。左腕の氷が剥がされただけなのに、黒鎧は簡単に氷を砕き、動き出した。
「……
ジョヴァンナの唸る声が聞こえた瞬間、黒の粘液が鋭い刃となって伸び迫る。
エイビスに、向けて、だ。
体勢を整える間もなく繰り出された。
魔力を瞬間的に大量に放出したエイビスにとって、今の状況は無防備の他ならない。
フィアを使って盾も作れなければ、剣で弾く間もない。それほどに速い────
エイビスは腹部への直撃を身構えたとき、月光がさした。
いや、すみれ色の髪───
その髪がなびいたとき、仮面に赤い熱が跳ねる。
そして、アレッタの声───
「……盾になると…約束したからな……」
地面へと倒れ込むアレッタの背に、突き抜けた黒い粘膜がある。素早くそれを手で払い、仰向けに抱きかかえるが、そこには穴があった。
銀の鎧は砕け、腹部に拳大の穴がある。割かれた肉の隙間から、見る間に血がにじみでる。
かすみ始めたアレッタの体をエイビスは抱えながら、名を呼ぶ声も出せず、震えながら今ある現実を見下ろしていた─────
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