第49話 激動7

 か細い息を繰り返すアレッタ。

 その彼女の魂が揺れている。

 幼女のアレッタと、神の左手のアレッタが重なって見えるのだ。


 彼女を抱える仮面ごしのエイビスは、今どんな表情なのだろう。

 血溜まりを止めることもできず、姿が重なるアレッタをただ呆然と見下ろしている。


 フィアは素早く剣から精霊へと戻り、炎の壁を創りあげた。

 ドーム状に昇り上がった炎は、黒鎧の攻撃を吸収しながら耐えている。

 だが、雨のように降りつける棘は、いつ炎の壁を突き破ってもおかしくはない。ときおり撃ち込まれるジョヴァンナの黒い鞭が、炎を削いでいくからだ。


「……エイビスっ!」


 しかしエイビスは動かない。いや、動けないでいる。

 そのとき、刀が地面に落ちた。

 

「…わ…わたしの…ネージュ……」


 アレッタは落ちた刀に触れようと、腕を、指を、必死に伸ばす。


「……ネー…ジュ……」



 アレッタの声に、その想いに応えるように、刀から精霊へと形を変え始めた───



 ゆっくりと現れた青髪のネージュに、アレッタは微笑みかける。

 震えるネージュの手を掴むと、子猫のようにその手に頬をすり寄せ、唇が、ねーじゅ、と静かにつづる。



「……アリー……ごめんね……あたしの…アリー……」



 しぼりだしたネージュの声に、アレッタは首を横に振る。ただネージュの温もりとネージュの声に触れ、とても幸せそうだ。



「……わたしは……ネージュと… フォンダンショコラ…食べるんだ…」



 そう言ったアレッタは、満足そうに笑顔を浮かべている。

 ネージュはアレッタの手を握りなおすと、フィアに叫んだ。


「……フィア、なんとかしてっ! 早くっ」


「今壁を外すわけには……! それに、もう……」


「もう、何よっ!!」


「魂が……」


 フィアはそれ以上、言葉を濁した。


 だがネージュも気づいていた。


 アレッタの羽を壊したときに、もうアレッタの魂は崩れかけていたのだ。

 膨大な魔力を高めたことで今までの体に戻ったものの、それを維持するだけの器が保てなかった。

 羽が斬られた時点で、器にヒビが入り、その羽が壊れた時点で、器が欠けた。

 大きな魔力が器のなかで膨れるほど、器のヒビは大きくなり、欠けた部分から壊れていく。




 もう、アレッタは、悪霊にしか、なれない────




「ア……アリー、一緒に食べるの……フォンダンショコラ……食べるんでしょ……!」


 アレッタは小さく頷いた。

 そして、ゆっくりと息をはく。

 唇はほんのりと笑みをたたえ、瞼がそっと降りてゆく。

 同時に、ネージュが握る手も落ちた。


 ぐしゃりとネージュの顔が歪む。食いしばった唇が、赤くにじんでいく。


 フィアは頬に伝うのもかまわず、ただ炎の壁を保とうと魔力を手に込める。


 だがもう力の差が歴然だ。

 踏みしめる踵が地面に食い込んでいく。


「エイビスっ!!!!」


 フィアが怒鳴り呼んだとき、エイビスはアレッタに、



「ごめん」



 呟いてから、アレッタの血濡れた唇に口付けた。

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