第40話 選択の結果

 エイビスが精霊王の元に向かって3時間が経つ。

 だがこちらの3時間は精霊王の世界ではたったの3分。

 そのため、向こうの滞在時間が長ければ長いほど、時差が出る。

 今頃エイビスは早く帰りたいと精霊王に悪態をついている頃だと、フィアは本を眺めて思っていた。

 かすかな布ずれの音を聞きながら、ページをめくり、メガネを上げ直したとき、アレッタの腕が大きく動いた。


「…………生きて…る…のか」


 掠れた声でそう言ったアレッタは、左腕をかざし、半分しか開かない目でぼんやりと見ている。より青が濃くなる手首の模様に視点を定めてから、顔横で丸くなるエンに手を伸ばした。エンはクルルと鳴き声をあげ、頭を擦りつけてくる。


「……フィア……」


「ああ、俺はここにいる……

 ……アレッタ、何か飲むか」


 フィアはアレッタの背にそっと手を差し込み、ゆるく座らせると、サイドテーブルに置いてある陶器の水入れから赤紫のジュースを注ぎ、渡してきた。

 あまりの禍々しい色にアレッタは鼻を寄せるが、甘酸っぱい美味しそうな香りがする。


「これはブドウのジュースだ。エイビスの畑で採れたものになる。甘くてうまいぞ」

 

 アレッタは口の中をゆっくりと潤していく。だがあまりの美味しさに目をしっかりあけると、一気に飲み干した。


 ──確かに甘い。だが、甘いだけじゃない。


 鼻に抜ける果実味はもちろん、酸味もあり、舌に残る渋みもある。

 だが、それをすべてまとめてくれるのが、この甘味だ。

 最初に感じる甘みと、飲んだ後の甘みは同じものだろうか。まるで表情が違う気がする。これならいくらでも飲めてしまいそうだ。


 アレッタは唇を赤く染めながら、すぐにおかわりと、フィアの前にコップを差し出した。

 アレッタの両手で掴むそのコップに注ぎ足してやると、アレッタはすぐに唇をつけ、今度はゆっくりと味わいながら飲み込んでいく。


「…この世界はいろんな飲み物があるんだな……」


 アレッタは満足げにひと呼吸して、布団に潜り直した。

 顔色が落ち着いたのを見てはいたが、フィアは額に手を乗せる。熱の具合を見るためだ。

 平熱とまではいかないが、高熱からは遠ざかったようだ。

 ブドウで濡れた口元もふくため、水で絞ったタオルで顔をぬぐってやると、アレッタは少しすっきりした表情を浮かべた。


「熱も落ち着いたな……ひとまず、安心か……」


「エイビスは?」


「今、エイビスは精霊王の元へと赴いている。あと数時間で戻ると思う」


 そうかと小さく返事をし、アレッタはベッドの布団を肩まで引っ張った。

 客間の天井は華やかだ。

 それを見つめながら、ぽつりと呟く。


「ネージュは大丈夫だろうか……」


 フィアは言っている意味がわからず、アレッタを覗き込んでくる。


「フィア、ネージュが心配だ」


「何がだ。お前は間違いなく、ネージュに殺されかけたんだぞっ」


「きっと何かあるんだ。

 あのネージュがわざわざ心臓を外すと思うか?」


「手元が狂うこともある」


「いや、聖剣がそんなことなどあり得ない」


「違う! お前は死んでいてもおかしくなかったんだぞっ?」


 ここまでの傷を負わせたネージュに憎しみはあれど、赦すことなどあるわけがない。

 フィアの言葉にはその思いが込められている。


 それでもアレッタは諦めきれないようだ。

 ただじっと天井を睨み、小さな手を握りしめた。




「……じゃあ……

 ……なんで、生きているんだ、…私は……」




 唇を噛み涙をこらえるアレッタを、フィアはただ見つめることしかできないでいた───

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