第35話 3日目は釣り日和【ランチ編】

 アレッタとネージュは到着すると、真っ先に手を洗いに水辺へ走った。

 意外と水が冷たい!

 ふたりでかじかみながらも手を洗うが、生臭いにおいが全く離れない。

 いくら手のひらを見つめ、洗ってみても、生臭さが消える気配はない……


 このまま臭う手でランチを食べなければならないのかと、絶望に打ちひしがれるふたりに、唐突に救世主が現れた!


 レモンだ!!!


 だがフィアから与えられたはずの救世主は、彼女たちの手のひらに置かれたままである。


「なんか酸っぱい匂いね」

「食べたらいいのか?」


 レモンの使い道が変わると判断したフィアは、すかさずふたりに近づいた。


「汁や皮の部分を手になすりつけろ。少し置いてから水ですすぐといい」


 半信半疑でフィアの言った通りにしてみる。

 少しピリピリとするが、あのへばりついた生臭さが本当にこれだけで消えるのだろうか……

 再び水で洗い流すと、すぐに鼻へと近づけた。

 

 ………爽やかだ。

 清々しい香りが、手から放たれている……!!!


 感動に震えるふたりは、手を取り合い、歓声をあげた。

 すかさずネージュがフィアに笑顔を向ける。


「さすがね、フィア」

「これぐらいは一般常識だ」

「褒めたのに、その返しは何よ」


 突っかかるネージュを横目に、アレッタは魚が刺さる焚火のそばへと移動した。

 口を下にして串に打たれ、熱気が魚の皮をじりじりと炙っている。

 魚の口は小さいながらも尖る歯があり、そこから汁が滑り落ちた。灰にジッと音が鳴る。余った水分が滴り落ちているようだ。

 いきなり、皮が爆ぜた。

 白い粉が浮き出て、それが爆ぜている。

 爆ぜる理由は厚くまぶした塩のせいだ。塩が魚の余分な水を吸い、蒸発する際に弾け、音が鳴る。

 その度に香るのは、魚の脂の匂い。香ばしいが、優しく、肉よりも淡く、どこか草のような香りもする。


 これが川魚の香り……


 アレッタは鼻でそれを学ぶと、口いっぱいに唾液を溜め込みはじめた。


「……アレッタ、飲み込め」


 フィアに言われ、ごくりと飲みこむが、すぐに唾液が湧き上がってくる。

 アレッタは口を抑え、我慢できないとフィアに目で訴えるが、彼の目は冷ややかだ。我慢しろと目線で言っている。それに見兼ねがエイビスが、シチューをかき混ぜながらアレッタに言った。


「先にシチューを食べるかい?」


 それにアレッタは首を横に振った。頭が取れそうなほどに激しい横振りだ。


「魚が先だ、エイビス!」


「どうして? お腹が減っているんだろ?」


「私は一番美味しいと感じる時に、初めて食べる美味しいものを口に入れたいんだっ!!!」


 なるほど。仮面が縦に揺れ、シチューを混ぜる手を止めた。

 一方エンは、アレッタの胸ポケットの中で落ち着いているが、魚の匂いが気になるらしく、常に鼻をひくつかせている。それを見たアレッタがエンの鼻をつついていると、ネージュが隣に腰掛け、エンの頭を指で撫でる。


「フィア、魚ってあとどれぐらいかかるのかしら?」


 ネージュはのんびりと火にあたりながら、魚のいい香りを肺いっぱいに吸い込んでいる。


「あと10分ぐらい、だろうな……」


「「10分も?!」」


 声をあげたふたりは顔を見合わせ、困った表情を浮かべた。


「アリー、10分も保つ?」

「ネージュこそ」

「あたしは難しいわ」

「私だってキツイぞ」


 口々にこれはまずいと声を上げるふたりに、フィアはため息をつきながら、お茶を差し出した。


「ジャムが入ってる。これを飲んで黙ってろ」


 ふたりで肩をすぼめてお茶をすするが、これがまた美味しい。

 茶葉がいいのと、お湯の温度がいいのだろう。

 湯気を伝って茶葉の香りとジャムの酸味のある香りが上がってくる。それが絶妙に混ざり合い、胃に優しく満足感を与えてくれるのだ。

 エイビスも同じくそれをすすりながら、上半分の仮面をアレッタの方へと向けた。


「アレッタ、釣りはどうだった?」

「釣れると楽しいなっ」

「やはり君は『魚を釣る』のがいいみたいだね」

「隠居の爺さんじゃないからな」


 無言の仮面が威圧を続けるが、アレッタは気にすることなく茶をすする。

 少し冷めた体はじんわりと中から温まり、さらにジャムの甘みが胃を落ち着かせてくれる。

 あと10分、どうにか我慢できそうだ。


「そうだ、フィア、今日のデザートはなんだ?」

「もうデザートの話か」


 フィアはため息交じりにアレッタに言うが、アレッタの瞳からは眩い熱視線が放たれている。


「今日のデザートだが、エイビスの、半分もらえるんだ!

 しっかり食べなければならないので、どんなものか心づもりを……」


「アレッタ、チョコレートはまだだったよな?」


「ちょ、ちょこれーと?」


 どんなものか頭の中で想像してみるが、形も思い浮かばないし、ましてや色もわからない。

 どれほど美味しいものなのかと目を丸くしたとき、ネージュがずいと体を前に出した。


「あたし知ってるわ! 女の子ならみんな大好きなお菓子だって」

「そう、ネージュの言う通り、お菓子の代名詞的な存在だな。

 チョコとは、カカオを使った甘いお菓子だ。熱に溶けやすいが、それだけに加工もしやすい」


 フィアは自分で説明し、それに納得したのか小さく自分に頷いた。


「……そうだ、フォンダンショコラにしよう。アレッタ、手伝えよ?」

「もちろんだ!」

「あたしも手伝うわ。なんか楽しそうだし」


 そのやりとりに、ひとり壁を作るのはエイビスだ。


「どうもアレッタたちが来てから、フィアのお菓子づくりに力が入ってるんだよな……」

「何かいいましたか、エイビス」

「いいえ」


 お互いに目を合わせないでの会話だが、この背景にはエイビスのお菓子嫌いがある。


 実は、フィアはお菓子を作りたい。

 毎日でも作りたい……!!!


 この理由はお菓子好き、だけではない。

 料理よりもコツがいるお菓子作りは、フィアにとっていい練習になるのだ。

 だが肝心の食べるヒトが、自分とエイビス、あとはご近所の魔女ぐらい。

 ……となると、それほど頻繁には作れない。


 だが今回、女という性別のヒトが、2人も現れた。

 これは力強い助っ人であり、このタイミングを逃したらお菓子作りのコツ、ましてや料理のコツを逃すかもしれない……!


 そんな下心があっての、お菓子作りだ。

 あと4日。

 どんなお菓子を、あと何回作ることができるだろう────


 フィアもまた、アレッタと同じようにこの1週間を大切に大切に過ごしていたのだった。

 そんなフィアの下心など誰も知る由もなく、今は出来上がった魚に視線が釘付けだ。


「さ、焼きあがったぞ」


 フィアが串を抜き取り、手渡していく。


「初めての魚ね、アリー……」

「そうだな、ネージュ……」

「みんな、魚は持ったかな?」

「しっかり食べろ。では、」



「「「「いただきますっ」」」」



 4人の大きな口が、魚に向かってパカリと開いた。

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