第34話 3日目は釣り日和【釣り編4】

 騒ぐふたりの様子を眺めるフィアとネージュは冷静だ。


「魚がかかったようだな」

「これでお昼はシチューだけじゃなくなったわね」


 お互いに確認をすませると、フィアは早速魚を焼く準備に取り掛かる。ネージュは丸太に腰を下ろし、ポケットから黒曜石を荒く削ったような無骨な懐中時計を取り出した。上のボタンを押すと、黒い渦を描きながら文字盤が現れる。それを読み取ると再びポケットにしまい入れた。


「それ、漆刻しっこく時計か」


 フィアが火の調整をしながら上目遣いで言ってくる。


「え、あ……そう。よくわかったわね」


「少しは知識がある。漆刻時計は悪霊あくれいの襲撃時間を教えてくれる時計だったよな? なんでお前が持ってるんだ?」


「こっちに降りてくるときに持って来たの。アレッタが上のこと、気にするかなって……」


 悪霊は常に天界を襲うわけではない。ある程度の数が揃うと襲ってくる。

 ただその数に規則性はなく、天界はこの漆刻時計がなければ常に緊張の時間を過ごすことになるだろう。

 また襲撃頻度はヒトの世界の死者の数に影響する。たくさんの死者がでれば、悪霊襲撃の時間は常にあるし、死者が少なければ襲撃までに時間が空く。簡単なことなのだが、ヒトの世界を見られない天界にとって、この漆刻時計は休息の時間と、悪霊の規模を教えてくれる大切な道具なのである。


「確かにアレッタなら気にするかもな。しかし、聖剣のお前がいないと上も大変だろうな」


「……そうね」


 ネージュはアレッタがまだ魚と格闘する姿を見やり、立ち上がった。


「……ちょっと薪、拾ってくるわね」


 近くの森へと踏み入るネージュの足は、どこか慎重だ。

 フィアはそれを眺め、「森に魔族はいないのにな」鍋をかき混ぜ呟いた。



 アレッタは釣り上げた魚を鉄のバケツに入れたのだが、それなりの大物だったようで尾っぽがバケツの縁に垂れている。


「エイビス、これはヌシなのか?!」


 アレッタは口をパクパクと動かす魚を突きながら聞いてみるが、


「これは主の友達かも。いつもよりずっと大きいけど、主よりは小さいから」


「……そうか」


 毛の乾いたエンがアレッタの頭によじ登るが、アレッタは元気がない。

 そんなアレッタの頭をエイビスは優しく撫でると、


「アレッタ、この勝負、僕の負けだよ。僕の魚はアレッタの魚の半分の大きさだ」


「でもエイビス、5匹も釣っただろ」


「それは僕の釣り技術が上だったのかもしれない。けど、大きさは負けたからね。

 3時のデザート、僕の半分あげるよ」


「……本当か!!!!」


 すぐに機嫌を戻したアレッタは、バケツを抱えて走り出した。

 フィアの元へと行くためだ。


「おーーーーい、フィアーーーー釣れたぞぉーーーーーーー」


 必死にバケツを運ぶアレッタに、一瞬で近づくと、彼は片手でバケツを受け取った。


「フィア、すごいだろ? この一番大きいのが私が釣ったんだっ」


 はみ出た尾っぽを指差しアレッタが話すと、フィアはにっこりと微笑んだ。


「アレッタやるな。この大きいのは夜のメインにしよう。この魚はフライが美味しいんだ。

 小さいのはエイビスか……いつも通りだな。これは昼に食べてしまおう」


 その言葉にエイビスの仮面が静かにフィアを見つめている。

 仮面なのに、無表情とわかるのはどうしてだろう。

 見つめ合う2人をおいて、足元にいるアレッタはきょろきょろと視界を回している。


「何かあったか?」


 バケツを下ろすと、アレッタはフィアを覗き込んだ。


「ネージュは? この魚、自慢するんだ」


 自身が釣り上げた魚のエラに手を入れ、持ち上げてみる。

 だが、近くにはどうも気配がない。


「ネージュは薪を拾いに行った。北の方角へ歩いているから、アレッタ迎えに行ってくれるか」


「任された」


 瀕死の魚をバケツに戻し、森の中へと踏み入れたアレッタだが、自身の背丈より大きな草木が生い茂っている。

 かき分け進んでいくと、一度通った跡を見つけた。さらに奥に微かな声が聞こえる。ネージュの声だ。

 その声を辿りながらアレッタは声を上げて近づいていく。


「ネージューーーどこだぁーーー」


 大きな葉を避けて現れたネージュは、何もない木の下で佇んでいた。

 どこでもない場所を見つめているように見え、アレッタはネージュの後ろに立ち、声をかけた。


「ネージュ、どうかしたのか?」

「……アリーこそ、こんなところまで…」


 振り返ったネージュの顔色がそれほどよくない。思えば、朝食をかなり食べていた。もしかしたら、それで具合が悪いのかもしれない。

 そう思ったアレッタは、必死に手を伸ばしてさすってやる。だがお尻付近が限界だ。


「ネージュ、朝食を食べ過ぎて具合が悪いんだろ? 顔色がよくない」

「ありがと、アリー……」


 そっとネージュの手が伸ばされたので、アレッタはそれを掴んだ。

 掴んだのを機に歩き出したネージュを見上げながら、アレッタは顔を綻ばし、釣りの話をしだす。


「なぁ、ネージュ、エンが湖を泳いだんだ。それに、すごく大きな魚を釣ったんだぞ? ヌシには及ばなかったが、それでもヌシの友達ぐらいに大きいんだ。だがこれは今日の夕食で、フライになるそうだ」


「……すごいわね」


 反応の弱いネージュを心配そうに見上げたアレッタに、ネージュは前を見たまま質問をした。


「ねぇ、アリー、体調はどう?」


「体は元どおりだが、回復が遅い。朝から体がだるかったからな。

 どうも魂に残っていた魔力が残り少ないようだ。さすがに昨日のような怪我をしたら、もう、危ないだろうな……」


「そっか。でもそれならヒトにより近くなってるのね」


「そうだな。何か感じ方とか変わったりするだろうか」


 ウキウキと話すアレッタをネージュは見下ろすと、彼女の小さな手を握り直した。

 だが、微妙にヌルヌルべとべととした感触がある。


「……ねぇ、アリー、何触ったの……?」

「魚」


 繋いでいない手を鼻にかざしたアレッタは、しかめっ面を浮かべた。


「生臭っ」

「ちょ、ってことは、この手……」

「生臭いな」

「……アリー………」


 アレッタはうなだれるネージュに笑顔を浮かべると、


「焼魚が待ってるぞ、ネージュ! 機嫌直せっ」


 小さな手でネージュの手をしっかりと握り、彼女の精一杯の力で引っ張り始めた。

 幼女にしては強いのかもしれない。

 だが、幼女だ。

 か弱い幼女。


 ネージュは、引っ張り歩くのが辛そうなアレッタを抱えると、足を踏み込む姿勢をとる。


「あたしの方が早いわ、アリー」


 風を切るようにして、いい香りがするあの場所へと戻るのだった。

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